育児の「おわり」は、いつも気づかないうちにやってくる
先日、キッチンの片隅に置いたままの哺乳瓶と粉ミルクがふと目に入り、「あ、そういえばもう使ってないんだ」と気づいた。
使わなくなった“その日”の記憶はない。
ただ、いつの間にか終わっていた。
最後にミルクを飲んでいた様子をちゃんと思い出せない。
きっとその日も、特別な一日ではなかった。
夜は相変わらずバタバタしていて、
「今日もなんとか終わったな」と思いながら眠っただけだったはずだ。
子どもはまだ1歳6ヶ月で、
夜泣きはあるし、寝かしつけは授乳(母乳)寝落ちが定番だ。
腕がじんわり重くなって、下ろすタイミングを探って、そっと布団に置いて、自分も一緒に寝落ちする。
育児が楽になった実感なんて、正直ほとんどない。
「おわり」なんて言葉は、まだまだ先のものだと思っている。
それでも、ひとつずつ"おわり"は来ていた。
哺乳瓶を洗う回数が減り、
夜中にお湯を沸かすこともなくなり、
気づけばあのセットは使わなくなっていた。
そうか、育児の「おわり」は、突然やってくる。
しかも、その瞬間に気づかないことがほとんどだ。
盛大な区切りも、達成感もない。
ただ、日常の中から、静かに消えていく。
それに気づいたとき、
胸の奥が少しだけ、じんわりと温かくなった。
「ああ、ここまで来たんだな」と、
ようやく振り返ることができた気がした。
育児は、「おわり」と「はじまり」を繰り返しながら進んでいく。
ひとつ終わっても、新しいことができるようになって、また別の“今”が続いている。
ミルクは飲まなくなり、お子さまランチが食べられるようになった。
哺乳瓶は使わなくなり、コップを持って一丁前に牛乳を飲んでいる。
ひたすら抱っこをする時間や
授乳で寝かしつける時間はまだ必要だけど、
一つひとつのことを見れば、
確実に成長しているのだとわかる。
きっとこの先も、
「最後だったんだ」と後から気づく瞬間が、
何度もやってくるのだろう。
今日の抱っこも、今日の夜泣きも、
その渦中にいる間は、ただ必死なだけなのに。
哺乳瓶と粉ミルクは、もう少しこのまま置いておこうと思う。
育児の“途中”にいる証として。
そして、静かに終わったひとつの役目を、
ちゃんと見送るために。
(ミルクセットは場所をとるので早く片付けたい気持ちはあるけど、その気持ちには一旦フタをします。笑)
