なんでもないけど大事な時間
帰宅途中、今でも交流がある数少ない旧友の家の前を通った。
彼の自宅は3階建てのビルで、2階の道路に面した部屋は彼の仕事の事務所になっており、明かりがついてる時は中で仕事をしている。
しょっちゅう出払ってて滅多に明かりがついてることは無いのだが、先日は明かりがついており、窓際に座る彼の頭の部分だけが見えた。何か問題を抱えてるのか、頭を掻きむしっていた。
LINEで「今、下におるで」と送ったところ、すぐに気づいて窓を開け、「上がって来いよ」と言うのでお邪魔した。
彼とは年に一回くらいのペースで会っては飲みに行く間柄だ。まぁ半分は生存確認みたいなもんだろうか。
1時間程度だったか?お互いの近況を話した。彼も仕事は順調そうで良かった。畑と土壌医のことを話すと、「は?」と驚いてたが、すぐに「ええやん、絶対やったほうがええで」と背中を押してくれた。
話してる最中に、もしかしたら自分はその言葉を聞きたくて会いに来たのかなと思った。
自分ではそんなつもりはなかったのだが、もしかしたら何か気持ちが張り詰めていたのかもしれない。そのピンと張った緊張の糸がほどけていくような気がすると同時に、こうやって話ができる友人が居ることの幸せも感じた。
不思議なもので、彼でしか得られない安心感と言うものがあるような気がする。
たとえば妻ですらダメなことがある。ダメと言う表現はちょっと違うかもしれないが、向いている相談と向いてない相談がある。一番近い存在だからといって、その言葉が必ず自分に刺さるというわけではなく、逆もまた然りだ。当然だが妻じゃなきゃダメなことも多い。
仕事関係などの相談は旧友の彼にすることが多い。考え方が自分と似ていて一番頼りになる。ある意味ドライと言うか、言葉を曖昧に濁さないので真実味を感じることができる。人はえてして苦手なこと、わからないことを質問された場合、適当にあいまいな表現をしてはぐらかすことがあるが、彼はわからないなりに真摯な言葉を発してくれる。
それはもう正しいとか間違ってるかという以前に、こちらが何かを決断するための大きな支えになっている。私は意見が聞きたいだけで、正解を聞きたいわけではないのだ。
「そろそろ帰るよ」
「おう、じゃぁまた」
2/17から宿曜占星術で言うところの「業」の年に入る。
「業」の年は28年に一度訪れる「前世のターニングポイント」となる。
過去の行為に応じて因果の車輪が回り始め、背負う宿命が最も鮮明に現れる年となる。過去の因果を整理する年でもあり、「業」の年に起こる問題は「自分で蒔いた種」らしい。
この時期は、やらなければならないことが増え、同時に責任も求められる運勢となる。義務と責任の板ばさみになる暗示もあるが、逃げずに立ち向かう姿勢が開運をもたらし、過去のカルマの昇華へとつながるそうだ。
重要な仕事にかかわったり、温めていたことを実行に移すのもよいらしいので、自分のやりたいことを全うするよい機会だと心得て頑張りたい。
最近は陽が落ちるのが若干遅くなった気がするが、外はもう真っ暗だった。
最期までお読みいただきありがとうございました。
#日記 #エッセイ #旧友 #親友 #宿曜 #業 #振り返りnote
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