憧れの京大に通えなくなった元彼のこと
大学時代に付き合っていた彼氏の経歴はちょっと変わっていた。
京大の学生だったのだが、以前は某私大に在籍していたらしい。
現役のときに京大に落ち、一浪して再挑戦したが不合格。結局、滑り止めに受けていた私大に進学したのだが、諦めきれず私大を自主退学。
再度、浪人。三度目の挑戦でやっと京大に入ったらしい。
当初、彼がどうしてそこまで京大にこだわるのか不思議でならなかった。
彼の通っていた私大は、西日本一といっていいほどの名門大学だったからだ。そのまま、その大学を卒業して就職する人生は十分に順風満帆といっていい。
むしろ、京大に通うほうが遠回りしたぶん年齢を重ねてしまい、就職で苦労するのではないか、なんて思っていた。
でも彼の友人らに会ったとき、彼が京大に執着する理由が少し見えた。
五人のうち二人は京大の医学部に現役で合格していたし、もう二人は旧帝大の医学部(こちらは二人とも一浪)。そして、もう一人は飛び級で阪大の院生だったのだ。
彼の通っていた学校は、全国でも有名な偏差値の高い中高一貫の男子校で、毎年、東大や京大への合格者を多く出し医学部への進学実績も高い。
でも、全員が東大や京大、医学部に進学するわけじゃない。
たとえ、どれだけ秀才たちが集まろうとも成績を順位づけすれば、必ず最下層というものは存在する。
周囲のレベルが高いことに加えて、片道二時間という通学時間も負担だったのだろう。彼の学業成績は芳しいものではなかったようだ。
私は中学受験については、各家庭の教育方針によるもので正解も不正解もないと考えている。
でも彼をみていると、優秀な友人らに囲まれることで自分を見失ってしまったり、小さいころから成績で比較され続けたせいで、周囲と自分を必要以上に比べて思い詰めてしまう人がいることを感じる。
最も厄介なのは、そんな環境はスペックに対するプライドを無駄に高くしてしまう可能性があることかもしれない。彼の京大への執着はここに一因があった気がするからだ。
秀でた集団に属することと、個人の能力を混同すると人生は危うくなる。
さて、念願の京大に入った彼。
ところが、ほどなくして彼は理解不能な行動を起こす。
大学に通わなくなったのだ。
私は彼を問い詰めた。
「どうして大学に行かないの?前の大学を辞めてまで、せっかく入った大学なんでしょ?」
彼女というより、ほぼママだな(笑)
ところが、彼の返答は予想外のものだった。
「浪人中、ずっと決めてたの。大学に合格したら一年間は思いっきり遊ぶって」
???
私の頭の中で大きな「?」が盛大に踊り狂った。
何故、大学に行かない=遊ぶ、になるのかわからなかったのだ。
私は大学にはほぼ毎日通っていたけど、自分が遊んでいないとは思っていなかったし、大学は学ぶところでもあるが遊ぶところでもあったからだ。
講義は面白いし、研究室に行けば教授は雑談の形で様々な知識を与えてくれる。友人らとご飯を食べながら課題について話せば、新たな視点も見えてくる。大学生活で遊びと学びの境界はむしろ曖昧だった気がする。
でも、この年齢になり、母になり、娘と一緒に勉強をしながら娘の大学受験を考えると、彼の気持ちがちょっとわかるようになってきた。
彼の「遊ぶ」の意味を、あのときの私は勘違いしていた。
彼は、もう動けなかったんだろう。
小学生のときから、ずっと走って走って走り続けて、ちょっと疲れちゃったんだろう。
誰とも比較されない、誰にも追い立てられない、自分を証明しなくていい、そんな場所で一人で立ち止まってみたくなったんじゃないかな。
かなわないことだけれど、あのときの彼に「お疲れ様。ちょっと休むといいかもね。大変だったもんね」と言いたくなることがある。
若いときの私では、そんな言葉はとうてい彼にかけられなかったけど、今ならできる。
そして、そんなにがむしゃらに走らなくてもよかったのに、って言いたくなるのだ。
だって、人生はまだまだ長いもの。
卒業後は、大学受験以上に過酷なレースが待っている。学歴なんて頭から抜け落ちちゃうぐらいにね、って。
