「300万円足りなくて、みんなの給料が満額払えなかった日」人生の汚点の話です
前回の最後に、給料が払えなかった日の話を書きます、と書きました。思い出すのもしんどいです、とも。
少しでも誰かの役に立つと思って、しんどいけど書きます。
8年か9年前の話だったと思います。換価の猶予も、銀行へのリスケも、日繰り表も、まだ何もなかった頃。従業員は27、28人ほどいました。
「どうしても間に合わない」と分かったのは、2週間前でした
お金が足りなくなりそうなことには、ぼんやり気づいてはいたんです。だけどお金の事を考えるのが辛くて、明日にしよう、明日にしようと先延ばしにして数字のことから目を背けつづけていました。ぼんやりとはわかってるからなんとかなるって、自分に言い訳して。
けどこの「ぼんやり」が一番ヤバいんですよね。当時は日繰り表のような道具がまだ無かったので、今日いくらあって、給料日にいくら要るのか。それを正確に並べたものが手元に無い。だから「まずいんじゃないかな?」といううっすらとした危機感だけはずっとあるのに「いつ、いくら足りなくなる」というのがハッキリとしなかったんです。
そうこうしていたら、なんと給料日の2週間ほど前になって、「本当に足りないじゃん」と言うのがはっきりと、疑いようのない数字として目の前に現れました。
そこからはもう右往左往ですよ。入金を前倒しできないか、どこかから借りられないか。思いつくことはひととおりやり尽くしました。だが、しかし、何をやっても、もはやどうしようもない事態になってしまっていた訳なんです。
だけどそこから1週間、言えませんでした
本当に情けない話なんですけどね。
そこから1週間ほど、誰にも言えないまま抱えて温めてしまいました。
なかなか言う勇気が出て来ませんでした。
給料日は毎月来ますよね。来ると分かってはいる、だけど言えない。いま思えば、この1週間が一連の出来事のなかでトップクラスにしんどかったかもしれません。
結果的に、一人ずつ面談して、頭を下げました
ようやく意を決して、話すことができました。
まず一人ずつ個別に面談して、事情を説明しました。そのうえで、それぞれに、いくらまでなら待てるかを聞きました。
ちゃんと払えなかったのは全員です。ただし全額ではありませんでしたが。一人あたり10万から20万円ほどを待ってもらいました。多い人で半額。当時の営業部長は、全額を待ってくれました。
そのあと、全員の前で改めて説明をして、頭を下げました。
なんとか、翌月の入金ですぐに払う事はできました
遅れたのは、10日から2週間ほど。月末の入金を待って、待ってもらった分はすぐに払えました。けれども生活費の半分が半月遅れてしまうって、当事者にとってみたら、とんでもなく大きな出来事だったんだと思います。
更にその頃は、業者さんへの支払いも、かなりの金額で待ってもらっていました。待ってもらってるって事は、実質借りているのと同じですからね。本来は金利をつけて払わねばならない事です。もちろん自分自身も、いわゆる消費者金融で借りたりもしていました。何年も社長やってて、本当情けないですが。それでも足りなかった、という状態でした。ああ、思い出すの本当しんどい、、、
会社の空気は、思ったよりも暗くなりませんでした
遅れている間、社内に特別暗い空気は無かったと思います。みんな普通に働いてくれていました。本当にありがたい話です。改めて感謝します。
でもね、後々これが原因で辞めた人間は、少なからずいましたね。
そして自分はといえば、今日までの間ずっと誰にも言えませんでした。家族には当然言えません。銀行にも言えていない。本当に誰にも、です。こんなことって今までありませんでした。
それがなんと、二度目もあったのです
更に書きにくいことになっちゃいましたね
はい、二度目もありました。半年ほど経ってからです。このときも全額ではなかったですが。
そして二度目のあとに、何名かが辞めたいと申し出てきました。私はもちろん、引き留めることなど出来ませんでした。本当に致命的でした。
すべての情報を開示したのは、その後です。全員を集めて、なぜこういうことが起きているのか。借入れの帳票も、自分が連帯保証人になっている書類も、全部見せて、こういう状況なんだと全てを洗いざらい話しました。本当に、震えながら話しました。
あの日が変えたもの
いまから振り返ると、あの日から経営というものに対する意識が根幹から変わったように思います。
絶対に一番に守るべきは従業員のみんなだ、という心の底からの気づきです。
何をさしおいても従業員のみんなの給料だけは確保しなければならなかったのに、それができていなかったんです。最悪の間違いを犯してしまったのです。まさに人生の汚点ですね。あれ以来、本当に順番がはっきりしました。何が何でも、給料を第一に守る。業者さんに待ってもらうことはあっても、給料は守る。当たり前のことですが、ようやくそこが自分の当たり前になりました。換価の猶予を知っていれば真っ先にやるべきだと。
それから紆余曲折があり、今現在では「メンバーファースト」と本気で思っています。言葉にすると軽いんですけどね。うちの場合は理念から始まったものではなくて、あの苦い思い出の日から始まっているのかも知れません。
だからいまに、つながっている
前回、給料の支払いは総務に渡した、資金繰りは渡さない、と書きました。
あの日とのつながりは、当然あります。
給料の支払いをメンバーに依頼しているということは、担当者がまず第一に給料の確保を考える、ということです。給料が払えそうにない、という事態に対して、一番のアラートが立つ。そのために何をどうやりくりするかを、こちらが把握してやりくりする。
そういった意味で、給料の支払いを渡したのは正解だったと思っています。
守る順番の一番上に給料を置いて、それを見ている人間が自分ひとりではなくなりました。あの日から8年かけて、ようやくここまで来れた、というお話でした。
DW
追伸
二度目のあとに全部を見せた、と書きました。
振り返れば、あの時が「隠しても良いことは何もない」と腹を括った最初だったような気がします。この連載を「洗いざらい全て話す」という方針で始めたのも、たぶん同じ場所から来ているんだと思います。
この話の前後
『資金繰り』は渡さないことにした。渡して1ヶ月で分かったこと ── 給料の支払いを渡したいまの話
「800万円足りない」と気づくのが2ヶ月遅かった ── 日繰り表を作った動機は、給料のことでした
★次回予告「属人化には、解消してはいけないものがある」
