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もうちょっとだけ生きてみ。

第一篇 普通ってなんやろう?

昔、友達の誰かに言われた。
「さんしょちゃんってさ、昼ドラの主人公みたいだよね。」
「よくグレへんかったよね。」
「私やったら、耐えられへんかったと思う。」

全部、ハイ。
私でもそう思う。

こういう時、私はとりあえず笑うことにしている。
というか、笑うしかないでしょ!?の気持ちなので、

「私もそう思うー。」
「この人生振り分けたん誰よー。」
「頼むわ、神様ー!!」
なんて、場がしらけないように、おちゃらけて返す。

でも、そんな時ほど、
なんだか自分の人生が恥ずかしくなる。

そのたびに心がきしむ音がして、
自分の輪郭が静かに綻んでいく。

そんな感覚を、私は知っている。

これまでの経験上、
星の数ほど泣きすぎると、
人間は一周回って笑うらしい。
少なくとも私は、そうだった。

振り返ると、私の人生は「そんなことある?!」の連続だった。

しかも単発じゃない。
まさに半永久的に続くシリーズ物である。
戦隊ものやプリキュアが毎年名前を変えて続くように、
私の人生も、定期的に「そんなことある?!」を更新してきた。

笑っていいともみたいに、
続いてもめでたくないけど。

あまりにも続きすぎて、
私は子どもの頃にはもう気づいていた。
私の普通は、世間の普通じゃない。

日本の「普通」には載らない家族のもとで、
数え切れないほどの「そんなことある?!」を経験してきた。

もちろん、ここには書ききれないほどに。

そうなると、自分の心は自分で守らないと、
あっという間に心のバッテリーがなくなってしまう。

小さな私は、
自分を守る方法を覚えた。

それが、『ない』を見つけること。

期待しなければ、傷つかない。

最初から「ない」と思っていれば、
悲しくない。

私は、そう信じていた。

母がいない。
父がいない。
実家がない。
心の中を素直に打ち明けられない。
電気を消して眠れない。

その時は、
これが自分を守る唯一の方法だと思っていた。

でも、その「ない」は、
少しずつ静かに、私の心を濁らせていった。

気づけば私は、人生の焦点を「不幸」に合わせて、
自分でアップデートしていた。

「私は、幸せじゃない。」
「私の人生は、溺れながら、何とか死なない程度に泳いでいくものなんだ。」

……いやいや。
そんなこと、一度も誰にも言われてないんですよ。

でも、その頃の私は気づいていなかった。
「ない」を数えることが、
呼吸みたいになっていたから。

無意識って、厄介だ。

でも息をする時、
「今から息します。」
「さん、はい!」
なんて、誰も思わないでしょう?
それと同じだったんです。

生まれた時から続く、
「そんなことある?!」の連続。

例えば私は、本気で信じていたことがある。

お父さんとお母さんは、一緒に住まないのが、日本の普通なんだって。


第一章 名前ぐらい

小学校二年生の生活科の時間のこと。

ある日、先生が言った。
「おうちの人に、自分の名前の由来を聞いてきましょう。」

教室が一気ににぎやかになった。
みんな、顔を輝かせていた。
眩しかった。

「優しい子になりますように、ってつけてくれたんやって。」
「僕は初孫やったから、おじいちゃんが絶対名前つけるって言って、一文字入ってるねん。」
「えー、いいな!」
そんな声が、教室中に飛び交っていた。

私は、その話を聞いているだけで期待に胸がふくらんだ。
「じゃあ、私は?」
お母さんは、どんな気持ちで私の名前をつけてくれたんやろう。
だって、いつもお母さんは私のことを
「かわいい、かわいい。」
そう言ってくれていたから。

だから、きっと私にもあると思った。
誰にも負けないくらい素敵な名前の由来が。
「名前の由来がないなんて、あるわけない。」

きっと、クラスのみんなが
「えー!すごい!」って驚くような、
私だけの秘密が。

授業が終わると、ランドセルに教科書を詰め込んで家まで走った。
学校から家までは下り坂だった。
足がもつれて転びそうになるくらい、一生懸命走った。
一分一秒でも早く、お母さんに会いたかった。

ピカピカの赤いランドセル。
大事に、大事に使っていたランドセル。
それを揺らしながら、私は息を切らして家へ飛び込んだ。

「お母さん!今日な、生活科で名前の由来聞いてきてって宿題出た!」
「おかえり。」
その一言を言わせる間もないくらいの勢いで聞いた。

お母さんは晩ご飯の準備をしていた。
私の質問を聞いた瞬間、
少しだけ困ったような顔をした。

なんか、不穏な空気。
七歳の私でも分かった。
「なんで、そんな顔してるん?」

そして、お母さんは口を開いた。
「あんたの名前な。」
「本当は、お母さんは違う名前をつけたかってん。」
「でも、おじさんもつけたい名前があって。」
「二つを足して、いとこがつけた。」

……え?足した?

私の名前、何でもよかったってこと?

そんな適当につけたってこと?

名前ぐらい。
お母さんが一番好きな名前をつけてほしかった。

親が子どもに初めてくれる、一番最初のプレゼントやん。
なんで、それが「足した」なん。

しかも、お父さんの話は一度も出てこなかった。

その時は、そこまで考えられへんかった。
ただ、七歳の私は固まった。

友達が嬉しそうに話していた名前の由来と、
自分の現実との差が大きすぎて、
何が起きたのか分からなかった。

情報量が多すぎて、ついに脳みそが爆発した。

そのあと、私は怒った。
「なんでお母さんがつけたかった名前にしてくれへんかったん!」
「お母さん、ちゃんとしてよ!」
お母さんは悲しそうな顔で、小さな声で言った。
「お母さんだって、あんたの名前決めたかったよ。」

でも、その時の私は、
そんなお母さんの気持ちなんて見ていなかった。
「それやったら、なおさら!ちゃんとしてよ!」
その気持ちでいっぱいやった。

晩ご飯も、あまり食べられなかったと思う。
生活科なんて、大嫌いだと思った。
こんなこと知りたくなかった。
7歳にこの現実は、しょっぱ過ぎる。

次の日の生活科。
私は、本当のことを言えなかった。

「名付け親はいとこです。」
「家族の中で名前が決まらなかったので、二つを足しました。」

そんなこと、友達の前で言えるわけがない。
困って、先生に相談した。
先生も表情が曇っていた。

そらそうや。

私でも相談されたら、
「なんとか良いところを見つけて、由来のお話にしてあげたい。」
……って困るやつ。

まさか、
「名前の由来を聞いてきてください。」
という宿題で、

「由来がありません。」

みたいな顔をした子が来るなんて、
先生も思っていなかっただろう。

先生は困りながらも、一緒に考えてくれた。
そしてついに、私は、名前の由来を作り上げた。
「遠くへ行っても、自分の力で強く生きていけるように。」
全部、私が考えた。

発表が終わった時、ほっとした。
でも同時に、ものすっごい
悪いことをしたような気持ちになった。

みんなに、嘘をついてしまった。
私は、嘘なんかつきたくなかった。
友達と同じように、
本当のことを話したかった。

なんで私だけ、こんな気持ちで発表せなあかんの。

七歳の私へ。
名前ぐらい、
お母さんが一番好きな名前をつけてほしかったよな。
期待して走って帰ったもんな。
恥ずかしかったよな。
「私、大事にされてへんのかな。」
そう思ったよな。

ごめんな、私。
自分の名前、今でも好きじゃないねん。
でもね。
名前より大切なものがあるって、
これから少しずつ知っていく。

あなたはちゃんと、大切にされてる。
そう心から思える日が、ちゃんと来るって私は知ってる。

だから、
もうちょっとだけ生きてみ。


第二章 先生、それ違います

家庭科の授業だった。
私は十七歳だった。

先生は女性の社会進出について話していた。
女性が社会で活躍することの大切さ。
日本の制度のこと。
奥さんという言葉の違和感。
先生は、自分の考えをはっきり伝える人だった。

その授業の中で、先生は言った。
「日本では、夫婦別姓は認められていません。」

私はその言葉を聞いて、真っ直ぐ手を挙げた。
それはもう、曇りなき眼で。
「先生、それ違います。」
「うち、お父さんとお母さん、苗字違いますもん。」
私は本気だった。

だって、うちは父と母の苗字が違う。

でも結婚している。

一ミリも疑っていなかったから、
真っ正直に質問できた。

教室がどよめいた。
笑いではない。
「え?」
という空気だった。

先生ははっきり言った。
「日本では、それは制度的にできません。」
「さんしょさんの家は、結婚してないよ。」
私は思った。

いや、結婚してますけど、何か?

先生、何を言ってるんやろう。

むしろ先生が間違っとる。

学校が終わって、私は一人で電車に乗った。
友達と帰ることもあったけど、ただそこにいて話さないことも多かった。
この頃には、立派なコミュ障が完成していた。
その日も、多分一人で帰った。
たった十五分の電車だった。
でも、一時間くらい乗っている気分だった。

窓の外はいつもの景色なのに、何一つ頭に入ってこない。

夫婦別姓って、どういうこと?

先生、何を言ってたんやろう。

お母さんは、なんて答えるんやろう。
もし結婚していなかったのだとしたら、
お母さんは今までどんな気持ちで一人でいたんやろう。
そればかり考えていた。

家に帰ると、もう夕方だった。
冬だったと思う。
外は暗かった。

「お帰り。」
お母さんが玄関まで迎えに来てくれた。
テレビがついていて、晩ご飯の匂いがしていた。

いつもと変わらない。

いつもと同じ夕方。

だから私は、ご飯を食べながら気軽に聞いてみた。
「あのさ、今日学校でさ。」
「日本には夫婦別姓ないって習ってん。」
「でも、うち、お父さんとお母さん苗字違うやん。」
「どういうこと?」

お母さんは少し困った顔をした。
悲しそうな顔だった。
「ああ、この日が来た。」
そんな顔だった。

そんな顔せんといてよ。
もう聞きたくなくなるやん。
この先、知りたくないなぁ。

そして言われてしまった。
「今まで言ってへんくて、ごめんな。」
「お父さんとお母さんな。」
「結婚してへんねん。」

五秒ぐらい、何も言えなかった。
そんなことを知ることになるなんて。
もう私、
学校の授業なんて受けへん方が幸せなんちゃう?
そう思った。

その五秒が、ものすごく長かった。
先生の言葉と、お母さんの言葉が、頭の中でゆっくり重なっていく。

先生が言ってたこと、
ほんまやったやん。

世界がスローモーションになった。
床が、ゆっくり溶けていくようだった。

私は確かにここにいるはずなのに、
足元がなくなっていく。

お母さんは続けた。
「あんたもな、お父さんに認知されてへんねん。」
なにそれ。

でも私は、ずっとお父さんのことを「お父さん」と呼んできた。
じゃあ、あのお父さんは、お父さんじゃなかったん?

そんなわけないやん。
でもちょっとまって。
今までも、「あれ?」と思うことはあったよね?

友達のお父さんは、毎日家に帰ってくる。
うちは違う。
お父さんは家に来る日もあった。
ご飯を食べて、少し話して帰っていく。
仕事の合間に、私たちの顔を見に来るだけの日もあった。

お給料を車で渡してもらうこともあった。
窓を開けて、封筒を受け取る。
私は勝手に、それを
「お給料ドライブスルー」
と呼んでいた。

そんなん、昔からやったやん。
え、それも普通じゃなかったん?

でも、それがおかしいなんて思わなかった。
お母さんがいつも言っていたから。
「お父さんが働いてくれてるから、ご飯が食べられるんやで。」
「お父さんに感謝しなあかんよ。」
だから私も、心から感謝していた。

確かにそれが、うちの普通だった。

次の日、学校へ行くのが少し怖かった。
あんなに真っ直ぐ手を挙げて、
「先生、それ違います。」なんて言ったのだ。

クラスメイトに、
「あの子のお父さんとお母さん、結婚してないんやって。」
そう思われるのが嫌だった。

その日から私は、
「普通」という言葉に強く反応するようになった。

私はずっと、
「私は普通です。」
「みなさんと変わりませんよ。」

そう証明しようと、生きていた。


十七歳の私へ。
普通だと思ってた世界が、たった一時間でひっくり返ったよね。

生活科の時間も。
家庭科の時間も。
「私、学校なんか行かへん方が幸せやったんちゃうか。」
そんなふうに思ったよね。
怖かったよね。

でもね。
あの日、崩れたのは人生じゃない。

「これが普通なんや。」そう思い込んでいた世界が、
少し広がっただけ。

だから、
もう「私は普通です。」って、一生懸命証明しなくてもいい。

普通にとらわれないからこそ、出会える世界がある。

今はまだ、信じられへんよね。
うん。信じられなくても大丈夫。

でもね。
そんな日が、ちゃんと来るって私は知ってる。

だから、
もうちょっとだけ生きてみ。


第三章 娘でいたかった

お母さんは、自他ともに認める
”娘命”の人だった。
私を守って、育てるために、
命をかけてくれた人だと思う。

でも、その愛情が大きすぎて、
時々、私を苦しめることもあった。

お母さんは、そんな不器用な人だった。

私が困らないように。
私が寂しくないように。
私の未来が少しでも広がるように。

思いつくことは、何でも経験させてくれた。

フィギュアスケート。
バレエ。
エレクトーン。
ジャズダンス。
英会話。
そろばん。
塾。
家庭教師。

気づいたら、私はいろんな習い事をしていた。
お母さんが、自分でやりたかったことも、入ってた。

嫌になったものもあった。
「もうやめたい。」
そう言えば、やめさせてくれた。

でも、塾と家庭教師だけは違った。
そこだけは、お母さんが譲らなかった。
私は反発して、勉強しないという強行手段を取った。
後々、それは後悔したけども。

でも、あの頃の私は、
勉強よりも、
「自分で決めたい。」
その気持ちの方が大きかったのだと思う。

何でも経験させてもらえた。
何でも応援してもらえた。
それは幸せなことだった。

でも、あまりにも全部が用意されすぎて、
私は少しずつ分からなくなっていった。

私は、本当は何がやりたいんだっけ?

お母さんが見せてくれる世界を、
私は一生懸命走った。
いつも、
気づいたら、もう走り始めていた。

だから、
立ち止まって考えることもしなくなった。

自分の人生なのに、
どこか他人の人生を見ているようだった。

お母さんは、自由な人でもあった。
「ビールが栄養補給やねん。」
そう言って笑う。

タバコも、
「最後まで吸ったら美味しないねん。」
と言って、何本も火をつけ直す。

海へ行けば、
真っ黒になるまで日焼けを楽しむ。

思ったことは全部口にする。

誰より自由で、
誰より不器用で、
誰より愛の人だった。

でも、その愛情が、全部私に向いていた。

全方向。全集中。

普通なら、
そのベクトルはお父さんにも向くはずだったのだと思う。

でも、お父さんはそこにいなかった。

だから、
その愛情も、その心配も、
全部私に向いた。

愛されていることは分かっていた。
でも、近すぎて苦しくなる日もあった。

もし、お父さんがちゃんと隣にいてくれたら。
その愛情も、その心配も、
少しはお父さんにも向いていたのかもしれない。
そんなことを思う日もあった。

お母さんの体調が、はっきり悪くなっていると感じたのは、
私が十四歳くらいの頃だった。

子どもの頃から、突然倒れることはあった。
「もうすぐ倒れるわ。」
「でも今日は5分くらいで起き上がるから。」
そう言ってソファに横になり、
失神する。

でも、しばらくすると何事もなかったように起き上がる。
あまりに予告時間とぴったりに
起き上がるもんだから、
それも、うちの普通だった。

でも、十四歳くらいから少し違った。
全身に蕁麻疹が出たり、
明らかに顔色が土色になる日が増えていった。
食も細くなって、
喉を通らなくなっていった。
痛みに顔を歪ませる日も
少なくなかったと思う。

病院へ行こうと勧めても、
当然のように笑って吹き飛ばされる。
「お母さん、病院嫌いやねん。」

それでも、お母さんは変わらなかった。
タバコを吸って、
ビールを飲んで、
「ビールが栄養補給やねん。」
そう言って笑っていた。

私は、
「この人は大丈夫。」
そう思おうとしていた。

いや、
そう思いたかった。

二十一歳の時、
お母さんはついに手術を受けた。
「病院に来るのがあと三日遅かったら、
命はありませんでした。」と
お医者さんが告げたくらい弱った。

その後、何年か抗がん剤も続けた。
でも、苦しいと言ってやめてしまった。

二十四歳の時、
お父さんの会社が苦しくなった。

家を売るから出ていってほしい。
そう言われた。

お母さんは怒っていた。
悲しんでいた。
いや、そんな簡単なもんじゃない。
言葉でなんか言い表せない気持ちだっただろう。

私は、そんなお母さんを見て言った。
「もういいやん、お父さんなんて。」
「家、出よう。」
ただ、
これ以上、お母さんが傷つく姿を見たくなかった。

それから、お父さんという存在は、
私たちの生活からほとんど消えていった。

お母さんは、
たぶんお父さんが人生で最後に愛した人だったから、
何度も電話をかけ続けた。
でも、出ることはなかった。

それは、私がかけても、同じだった。

気づけば私たちは、
離ればなれになっていた。
家族の様なもの、ついに離散。


二十七歳。
お母さんは、相変わらず病院へ行きたがらなかった。

子どもの頃、
おばあちゃんが心臓の病気で入院していて、
小さい頃から一人で病院へ通っていたらしい。

だから、
どれだけしんどくても、
病院だけは嫌だった。

でも私は分かっていた。

もう、「大丈夫。」
で済む状態じゃなかったってことを。

その年の誕生日。
私はプレゼントの代わりに、
一つだけお願いをした。
「お願いやから、一回だけ病院で診てもらって。」

病院での受診。
それが、
お母さんから私への
最後の誕生日プレゼントになった。

先生は私だけを診察室へ呼んだ。
「ご家族の方だけ。」

私だけ、先生の前に座った。
その言葉だけで、嫌な予感がした。
体温が失われていく。
全身の感覚がなくなっていく。
ちょっと待って、
それ以上・・・それ以上言わんといて。
お願い!

先生は静かに言った。
「末期がんです。」

そして続けて、
「今年の桜は、見られないかもしれません。」
と告げた。

頭の中が真っ白になった。

私の誕生日は冬だった。
それって、
あと数か月しか一緒にいられへんってこと?

胸の奥の、
一番柔らかいところをえぐられるような気持ちだった。
気持ち悪い。
帰りたい。
今すぐここから飛び出して逃げたい。
なんで、この話を一人で聞いてるんやろう。

先生は続けた。
「お母さんに告知しますか。」
「緩和ケアに入られますか。」
「ご家族で決めてください。」

私は二十七歳だった。
娘であって、
医者じゃない。

それでも、その瞬間から私は、
大切な決断をしなければならない立場になった。

でも、お母さんは前から言っていた。
「もし癌やったら、ちゃんと教えてな。」
だから私は、本当のことを伝えた。

緩和ケアのことも、
何度も話し合った。
でも、最後は入らないことを選んだ。

お母さんは少し笑って言った。
「ほな、最後までタバコ吸えるやん。」
「お酒も飲めるな。」

やっぱり、お母さんだった。

「おいしいもん食べたい。」
そう言って、
叔母と一緒によく外へ出かけていた。

私が働いている間、
母のために時間を作り、
何度も車を走らせてくれた叔母には、
感謝してもしきれない。

古い病院は嫌。
きれいな病院がいい。
入院しても、ちょっとでもいいから、
家に帰って少しでも過ごしたい。

最後まで、
お母さん節が炸裂していた。

でも、ある日。
一時帰宅した時のことだった。

家のトイレで、
お母さんは立ち上がれなくなった。

救急車を呼び、
また病院へ戻ることになった。

救急口で迎えてくれた看護師さんは、
「だから無理せんといてって言ったじゃないですか!」
「心配かけんといて!」
「心臓止まるか思ったわ!」と、烈火のごとく怒った。

でも、お母さんは、
舌をぺろっと出して、
ピースサインしてた。

私は、
そんなお母さんに、
仕方ない人やなって笑うしかなかった。

その日から、
お母さんはもう家へ帰ることはなかった。

じいさんと行った最後の昼食会は、
この頃だったっけかな。

私は働いていた。
仕事が終われば病院へ向かう。
病院から帰れば、
次の日の仕事の準備をする。
眠って、
また仕事へ行く。
そんな毎日だった。

お母さんのことを考えたかった。

何でもやってあげたかった。

でも、その頃の私は、
疲労が愛情を追い越してしまうくらい限界だった。

お母さんは、
私よりずっと大きかった。

痩せ細っていても、
私一人では支えられなかった。

そんな自分が、
苦しかった。

ある日、お母さんが言った。
「死にたくない。」
その言葉を聞いた瞬間、
胸が締めつけられた。

涙が止まらなかった。

ただ
「うん。」とだけしか言えなかった。

かける言葉なんて、
一つも見つからなかった。

お母さんの命は尽きることが決まっていて、
私の命はまだ続くことが決まっている。

ただ、隣にいることしかできなかった。

その日は、夜だった。
病室の窓から、町の明かりが見えていた。
私はソファに座っていた。

その時だった。
お母さんが突然、私を呼んだ。
「さんしょちゃん。」

慌てて駆け寄った。

お母さんは、
何かを伝えようとしていた。

たぶん、
「元気に生きてね。」
「幸せでね。」
「ちゃんといい人見つけるのよ。」
そう言いたかったんだと思う。

でも、
「さんしょちゃん。」
そう呼んで、その続きを話そうとした瞬間、
「うっ。」
苦しそうに息をのみ、そのまま呼吸が止まった。

最後まで、
私のことを心配している顔だった。

まだ生きたい。
まだ伝えたい。
まだこの子が心配。
そんな顔だった。

私は夢中でナースコールを押した。
「来てください!」
「母が!」

先生も看護師さんも、すぐに駆けつけてくれた。
でも、私はもう分かっていた。
お母さんの命の火が消えたことを。

人の命って、ろうそくみたい。
最後に、ぶわっと大きく灯る。
話したかったことを、全部伝えようとするみたいに。

そして、言葉の途中で、ふっと消えてしまった。
吹き消した後のふわっとした煙がまだあるみたい。

その光景だけは、今でも忘れられない。
それがお母さんとの最期の時間。

それから私は、一人ひとりに電話をかけた。
「母が亡くなりました。」
「今まで、ありがとうございました。」
その言葉を口にするたび、
少しずつ現実になっていく気がした。

亡くなった瞬間、
お母さんは人ではなく、
ただの器になってしまったような気がした。

さっきまで、あんなにお母さんやったのに。

少しずつ体は冷たくなり、時間だけが止まった。

もう、その声を聞くことも、
名前を呼んでもらうことも、
抱きしめてもらうことも、
冗談を聞くことも、
怒られることも、
一生ない。

私の半分、どこへ行ってしまったんやろう。

悲しんでいるのに、
やることは次から次へと、
私を追いかけてきた。

死亡届も、その一つだった。
その紙を出したら、
お母さんは戸籍の上でも、
この世からいなくなる。
このたった一枚の紙を、
どうしても出しに行きたくなかった。

でも、火葬には必要だった。
だから、行ってきたよ。
一秒でも長く、お母さんの娘でいたかった。

お母さんは生前、
「お葬式を湿っぽくするのは嫌やから。」そう言っていた。

お経をあげることがなかったら、
きっと
「お葬式の時はリッキーマーティンがいいな。」って、
DJにリクエストしていたに違いない。

母の日のカーネーションが嫌いと、
本気で怒る人だったから、
だから、棺の中は、赤と黄色のバラでいっぱいにした。

そして、一通の手紙を入れた。
何を書いたのかは、もう覚えていない。

でも、
「ありがとう。」
「愛してた。」
その二つだけは、書いた。


お母さん。
ずっと、なかなか言えへんかったけど。
愛してたよ。

お母さんがいなくなって干支も二周目やけど、
やっぱり、
いつも会いたいです。

二十七歳の私へ。
人生は、溺れながら、
なんとか生きるものやと思ってたよね。

でも、自分の人生は、自分で選んでいい。
それを知る日が、ちゃんと来る。

今はまだ、信じられへんかもしれないけどね。
そんな希望をもっていいってことも、
分からんくらい、
もう冷たい水に沈んでたからな。

それでも大丈夫。
自分の人生を、自分で選ぶ日がやってくるから。
そんな日が、ちゃんと来るって私は知ってる。

だから、
もうちょっとだけ生きてみ。

(第一篇 完)

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