今、どんな事してるの?
と、聞かれてもね~。答えようがない。
フワフワした生き方をしているのでね。
答えもフワフワした物になるのよ。
「毎日プラプラしてるよ♪」なんて言おうものなら、妬みや反感を買ってしまいそうで…。
決して気楽にプラプラしているわけではないのよ。
頭の中は花畑どころか、荒野よ荒野。
乾いた土地に、干し草がコロコロ転がるような風景。
為す術なく、その荒野に突っ立っている状態よ。
何もしていない(ここで言う「何も」は仕事を指す。労働し対価を得る行為)状態を何と言って伝えれば良いのか。
真正直に「何もしていない」と言ってみても、何故か「は?」的な反応しか返ってこない。不思議だ。
だから最近では、曖昧な突っ込みどころ満載な答え方をしている。
「文章を書いている」
(事実だ。毎日文章は書いている。収入には繋がらないが)
「本を作っている」
(実際にZINEイベント用冊子は作った。大赤字だが)
「たまに占いなんぞ…」
(実際は毎日。ZINEイベントの客寄せ用でたまに占うことも有り)
「ほとんど引きこもっている」
(これが一番現実に近い。でもコレを言うと、何故か一様に心配される。私にとって、引きこもりは最高の環境なのだが)
などと、これらを曖昧に組合わせながら答えてきた。
なのに、姉や母親の頭の中ではいつの間にか私が小説家になっている。
私は、小説家などと一度も名乗ったことなどないのに。
私は、文章を書き、本を作り、イベントで手売りしているだけだ。
姉から聞いた話しだが、私が年長さん時代にお世話になった保育士さんに偶然会ったとのこと。その保育士さんは私のことを覚えていたらしい。
私は全く覚えていない。名前を聞いても、記憶に引っかからない。
が、その保育士さんは私のことを覚えていて(って、何十年前よ?50年前よ!すげぇ…)今どうしているのかを聞かれたらしい。
そこで姉は馬鹿正直に「小説書いてる」と言ってしまったらしい。
間違っては居ないが、微妙に誤解を生む…どうせなら「個人で」とか「趣味で」とかの枕詞を付けて、言ってもらいたかった。
仕事を辞めて「小説書いてる」的な事言うと、大概の人は「へえ~」という反応らしい。意外だね~とか、また変った事してるね~的な感じ。
なのに、その保育士さんだけは他の人と反応が違ったらしい。
「そう!やっぱり!」
と、全面肯定。やっぱり!…って、何が?と思う。
何がどう「やっぱり!」なのだ?
そこは姉も不思議に思ったらしい。
なので、その「やっぱり」の理由を聞いたら…「あの頃から、変っていた」と。この台詞を聞いた時、私ゃ口からお茶を吹き出しそうになったわ。
続けて、こうも言ってたとのこと。
「いやね、何か、周りの子達とは違う雰囲気があったのよ」と。
どういう雰囲気なんだろう~。その頃から小難しいこと考えてたのかしら私。変人という自覚はないけれども。
とにかく、この保育士さんから見た私は変っている子で、あれから50年経った今、仕事辞めて小説書いてると聞いて「さもありなん」と思ったのだとか。
この保育士さんも随分とお年を召されているはず。
なのに50年も前の事を覚えてくれていて、だけど私は薄情にも覚えていなくて…。今の私を気にかけてくれたことが何だか嬉しくて。
「あの頃から、変っていた」
この言葉が妙に可笑しくて。
変っていた子が、生きづらさを抱えつつ、不器用ながらも人並みに生きようと無理して生きてきて、最後はボロボロになって仕事を失った。
半世紀も経つと、何となく人生の終盤が見えちゃうんだ。
だけどこれから先は、少しでも良かったと思えることを積み上げられるように生きていこうと思えるようになったよ。
今が、自分の人生を歩んでいるような気がする。
