北へ逃げる、あるいは追う【妄想ハードボイルド #1】
本社デスクとの不毛な泥試合の末、言い渡された行き先は小樽支社だった。 「事実上の左遷」と周囲は哀れみの視線を向けてきたが、当の俺にとっちゃ願ったり叶ったりだ。濁りきった東京の人間関係から抜け出せるなら、北の果てだろうと喜んで飛ぶ。

搭乗ゲート前のロビーには、これから旅行へ向かう浮き立った空気が満ちている。 だが、新聞記者としての長年の習性か、どうにも全員がただの観光客には見えない。黙々とPCのキーを叩く男、コーヒー片手にスマホを凝視する女……誰もが自分の「目的」を隠すための仮面を被っているようにすら見えてくる。まあ、考えすぎか。

やがて搭乗を告げるアナウンスが響き、俺は薄いコートのポケットに手を突っ込んでゲートを潜った。巨大な鉄の塊が、俺をあの静かな港町へと運んでいく。

離陸してしばらくすると、窓の外には見渡す限りの雲海が広がっていた。 白と黒のグラデーションを描くその雲は、不思議なくらいに不気味で、そして綺麗だった。
あの雲の下で、どんな事件が俺を待っているのだろう。 胸のポケットで、新品の取材ノートが小さく存在感を主張していた。
