読者記録:午後4時。透明、ときどき声優2 (MF文庫J) 著 岬鷺宮
【入れ替わりでなく、自分たちの道を選んだ先に拡がる可能性】
【あらすじ】
超人気声優である香家佐 紫苑 の「替え玉」としてオーディションでアニメ映画の主演を勝ち取った山田 良菜。
しかし、二人の替え玉を知った監督からその入れ替わりをやめることを提案指示されてしまう。

紫苑の替え玉として、アニメ映画のオーディションを勝ち取った良菜。しかし、入れ替わりが周囲に発覚して、自分達の在り方を再考する物語。
なにかの世界に飛び込むということは、その世界を遠くから眺めた時に、なにか憧れを抱く存在があるからこそである。
最初は誰だってド素人、でも初心者からでもその業界のイロハを自分のなかに叩き込んでいって、次第にその世界での上手な息の仕方を覚えていく。
憧れの先輩や切磋琢磨出来る同期、果てはゆくゆく入ってくる後輩まで色んな人たちと関わっていく。
よくも悪くも玉石混合、色んな才能に触れるたびに、自分だけの武器とは何なのだろうと立ち止まってしまう。
誰にでも出来ることを敢えて自分がやらなくてもいいんじゃないかと後ろ髪引かれたりもする。
そう考え始める段階は既に、憧れを越えるタイミングでもあるのだ。
自分だけの武器なんてものを見つけるのはとても大変で至難の技。
それを見つける間に何度もトライアンドエラーを繰り返すだろう。
しかし、そうやって失敗してカッコ悪い自分でさえもちゃんとそれを見てくれている人がいる。
嘘偽りなく、そこから足掻き始めていけば、その自分だけの武器を手にした時、それは見守ってくれた人の分だけ、自分だけの可能性になるのだろう。
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もう声優を辞めたはずなのに、紫苑の替え玉としてアニメ制作の現場に臨んだ先で出逢う数々の煌めきを持つ 役者達。
良菜は己の宿命から逃れられず、芝居の高揚や演じる喜びを正面から真摯に向き合う。
辛いし、大変だけれど自分にしか出来ないやりがいがある。
しかし、立ち塞がる紫苑の替え玉という事実。
みんなと期待と信頼に応えるために、求められることを出すこと、そのために入れ替わること。
本当にみんなの信頼と期待に応えるために、自分達がすべきことは一体なんなのだろうか。
香家佐紫苑として仕事が求められているのか。
山田良菜として仕事が求められているか。
周囲を欺いてまで、綱渡りの一蓮托生を続けることに意味はあるのか。
昨今の風潮として、一度不手際や不祥事を起こせば、実力があろうがなかろうがそんなことは関係なく、安易に戻ってこられないほど、ブランドイメージが尊ばれることに重きが置かれる。
何よりも自分の声を、心から好きだと言ってくれたファンを裏切って騙す行為に、罪悪感が忍び寄る。
だけれど、本来は二人は容姿、声は似ているが芝居の向き合いかたや、演じかたの解釈はまるで違う。
どちらが正解でどちらが劣っているということはない。
それぞれが自分にしか出せない持ち味を備えているのだ。
だからこそ、本当のことをみんなに話そう。
それで仮に離れていったり、自分のことを嫌いになったとしても、所詮、それはそれまでの関係だったのだ。
厳しい立場に置かれたとしても、これから先も自分が納得して仕事に取り組めるならば、その苦境さえも、潔く受け入れよう。
ここから、また再出発することを相談した結果、そんな風に決めあった二人。
真相の公表告白から始まって、予想されていた世間からの炎上、ファンの失望などや、危機的状況のなかで、役者としての自分たちに向かう良菜と紫苑の二人の姿を、それでもなお応援してくれる人たちが居てくれた。
日本一の女性声優である三棟 珠もその一人。
もちろん、二人をけなす存在も一定数存在した。
そんな他人の物差しの好き嫌いの天秤に向き合えば向き合うほどに、答えはひとつしかなかった。
裏切ってしまった信頼は、叶うのならばこれからの仕事で応えていくしかない。
その決断に関係者たちは意外と冷静だったり好意的であった。
とはいえ真摯に仕事に向き合ってきた同期たちから差し向けられる当然の疑問と問い。
「これからどうしていくのか?」
自分らしさが分からなくなって、二人は低不調に陥ってしまうこともあった。
ただ、主演が決まっていた「おやすみユニバース」という新作タイトルにひも付けて、リリースに付随した対策案としてソーシャルゲームやラジオ番組も控えていた。
そこで、王道の滑舌トレーニング「あえいうえおあお」を越えた、アナウンサーや声優、俳優など声を職業と志す者が必ず練習する滑舌トレーニングの最高峰に挑戦することになる
それは歌舞伎の外郎売が滑舌トレーニング。
一部を抜粋するが、熟練者でも舌を噛んでしまう高難易度なメニューである。
『外郎売』滑舌トレーニング(抜粋)
拙者(せっしゃ)親方と申すは、お立ち合いのに、ご存じのお方もござりましょうが、お江戸を発(た)って二十里上方(にじゅりかみがた)、相州小田原(そうしゅうおだわら)一色町(いっしきまち)をお発ちなされて、青物町(あおものちょう)を登りへおいでなさる、欄干橋(らんかんばし)虎屋藤右衛門(とらやとうえもん)、只今(ただいま)は剃髪(ていはつ)いたして、菜に新(しん)のういろう、円斎(えんさい)と名乗りまする。
二人もある程度、声優としての基盤を築いて来たけれど、今度の出演に必要となる滑舌を習得するためのトレーニングに悪戦苦闘させらてしまう。
だけど、焦りもあるけれど、まだ自分たちの声を必要としてくれる環境と人たちにも恵まれている。数々の不安、希望、憔悴焦燥も繰り返してきた。
ーーそれでも、そこから見出だせた何者でもなかった自分に対して、自分だけの存在証明を。
「大丈夫、これからは自分らしく、誰の真似でもない自分の声を武器にして行く」
一蓮托生で、同盟相手だった紫苑と良菜は、これから先では、しのぎを削る好敵手となる。
「勝負しようよ、お互いの良し悪しが分かっているからこそ、相手には出来ない演技を自分がしてみせて」
「作品を少しでもよいものにして、その世界観の解像度を上げて、ファンをどちらが魅了出来るのか」
そう誓い合って、今まで二人三脚してきた二人は袂 を分かち合って、一人とひとり、別々の道を歩み始めた。
一見すると悲しい別れを選んだかに見えもしたけれど、この業界で二人が透明な自分に色を添えて羽ばたいていくためには避けては通れない通過儀礼であったのだから。
寂しくないよ、またこの現場で会おう、今度は見違えるほど、ぐんと成長した自分を伴って。
