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他人事ではなくて、理論でもなくて、生きることそのもの

障害のある人を支援することを、現場での実際の行動を抜きにして、語ることは楽にできる。
心に苦しみを感じないで、他人事として語ることは、さほど難しいことではない。

実際に、障害のある子を53年間育ててきた私には、もはや、聞きかじったそれらしきことを言って、知ったかぶりをしていたころの、愚かな自分にはもう戻れないし、戻りたくもない。

いい人ぶることや、理解のある人らしさで、やさしさを振りまくことも、もうできないし、しない。

知的障害のある長女ほかろんを53年間も育ててきたなんて、信じられないくらいすごいことをやってきたと思う。
今日一日、今日一日となんとかかんとか、無我夢中で駆け抜けてきたら、53年たっていた。
それぞれの年齢にはそれぞれの苦労があり、若い頃は体力任せで、生き抜いてきたが、もう私も77歳の老障介護。

私自身の死を意識しての暮らしを考え始めた。
そして、ほぼほぼ準備万端して迎えた、ほかろんのグループホーム体験お泊り。

月曜から、金曜まで。
4回お泊りします。
と言って送り出したものの、知的障害のほかろんは、どこまで理解できているかはわからない。

「きんちょうするなあ」と言いながら出かけて行ったほかろん。
昼はいつもの生活介護。
生活介護が終わったら家に帰らず、グループホームに帰る。

さて、どんな顔をして帰ってくるか。
もう嫌だというだろうか。
また行きたいというだろうか。
などと考えてみても始まらない。

それは私には、どうしようもできないこと。

それでも、考えてしまう愚かな親。

それにしても、一人での生活は、切り刻まれない生活であるなあと思う。
ほかろんと一緒にいる生活だと、何をしていても集中できず、「つぎつぎと」横やりが入り、まとまらない。
時間は小刻みに、仕事はとにかく速く。
だからすべてが中途半端で、丁寧さがなく雑になる。
生きているだけでいいやという次元での生活である。

一人でいると、全てがおしまいまで丁寧に片づけられるし、考え事も中断しないでまとまるし、ゆっくり呼吸することさえできる。
多分これが普通の暮らしなんだろう。

高齢になった私には、普通のスピードと普通の労働量が望ましい。

けれども、まだまだ、わからない。
この先死ぬまでどうなるのかは、まったくもってわからないので、しゃーないなあと流しておこう。

そうは思っても、心細いというか、寄る辺ないというか、この何とも言えない老障介護の母の気持ち。
そういう時に読む本。
以前ほかろんが一か月入院していた時にも読んでいた本。

「ティク・ナット・ハンの抱擁」

その中の言葉の一つ。

「お母さんが泣く子をあやすように、
私たちは自分の苦痛に対して
世話をしてあげなければなりません。」

苦痛から逃げるのではなく、苦痛に対して世話をするのです。
息を吸いながら自分の痛みを感じ、息を吐きながら自分の痛みに微笑みかけます。

生きるってそういうことです。


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