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じゃあ、あんたが育ててみろよ

「じゃあ、あんたが作ってみろよ」というドラマを見ました。
あるある。
私もよく言われてました。

私はわりと穏やかで、怒鳴ったりしないし、やさしいほうで、言葉遣いもいいほうで、「してみろよ」なんて間違っても人前では言いません。

それでも、このドラマの題名を声に出していったときすごい快感を覚えました。
私は、我慢強く、忍耐強いので、結構、ひどいことを言われても、反論したりしませんで、
「はい、はい、はい、はい。」と流してきました。

しかし、ふつふつと沸いてきたのです。
今まで言われてきたひどい言葉たちを。
そしてそれを私に対して言ってきた、各教育関係者だの、福祉関係者だの、医療関係者だの、就労関係者だの、心理関係者だの、近親者だのすべての顔が浮かんできました。
フラッシュバックです。

あなたたち、よくも私にあんなこと言えたわね。
障害者の母というものは、無知で、みじめだからいろいろ教えてあげなきゃいけないと思ってたんでしょう。
障害者の母には、何でも言っていいと思ってるんでしょう。
どうせお荷物なんだから。
だって、障害者の母って何もわかってない人たちだと見下してるんでしょう。
障害者の母は、専門職より、下の存在だと思ってたんでしょう。
障害者の母親なら、すべての責任を取るべきだと思ってるんでしょう。

だけど、私は違う。
私はみじめでもかわいそうでも無知でもない。
私は誰かの下でもないし、上でもない。

理論だけなら誰でもいえる。知識があれば。
どうしたらいいのかは、一人一人丁寧に考えていくもの。
簡単に一言では言えないのです。
だからこうして一生懸命日々努力してるわけです。
けれど、努力してもかなわないものはたくさんあるし、希望が持てないことはたくさんあります。
きれいごとではいかない世の中。
差別や、無理解はなくならない。
知的障害で、躁病の我が家の長女、ほかろんと毎日一緒に暮らすのは、簡単なことではないのです。楽しいけれどね。

だからね、言ってやりたい。
今まで私にいろいろ言ってきた人たち全員に。

「じゃあ、あんたが育ててみろよ。」

ああ、このセリフ、半世紀前に、カウンターの向こうの知ったかぶりの人たちに言えてたら、どんなにすっきりできたでしょうか。
今からでも遅くはない。

「私たち親子に文句あるなら、じゃあ、あんたが育ててみろよ。24時間、死ぬまでね。」
言ってしまったね。とうとう。
ああ、すっきりした。

障害のある子を、52年、育ててきた私に、たくさんの拍手を送りましょう。
えらかった、ほんとに。今も、これからも。


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