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ごめんね。ほかろん。

77年生きてきて、53年ほかろんを育ててきて。
それはそれは、大変だったことは事実で。
ほかろんは、知的障害で、子どものころはてんかんの発作がたくさんあって、気分障害、躁病であって、こだわりがすごくあって、ここまで、親子で生き抜いてきたのが、奇跡とさえ思えるほどだ。

それに、さっさと一抜けた父親不在の(これは、障害者家族あるある)シングルだったから、介護の仕事で切り抜けてきたけど、ああ、疲れてしまった。
当たり前だと思うけど、それでも、長生きしすぎのせいか、もう生きる気力がなくなってきた。

だが、まって。
今まで、私の人生の大変さをすべて、ほかろんのせいにしていなかったか。
ほかろんに障害があるから、私の人生が、ややこしく、回りくどく、思うようにいかず、非正規の仕事にしかつけなかったから、貧乏暮らししているのだと、全てほかろんのせいにしていなかったか。

落ち着いて考えてみるに、私の特性やら鬱病の症状によって、生きづらさを感じていたのではないか。
それなのに、ごめんね。ほかろん。
あなたのせいにしていた。

自分のほうに、たくさん原因があったのを、やっと認めた。
気づくのが遅くてごめんね。
先日の主治医とのやりとりでそこのところをじっくり話してみた。
今まで、自分はいい患者でいい親で、がんばりやで、できる限り、まともな生き方をしている人ぶっていたことを。

本当のことを言うと、私は重度の鬱病で、希死念慮もあるし、依然受けた検査で、ADSの特性がある凸凹人間で、自分のことをケアする側と思っていたけど、本当は、私にこそケアが必要な、よわーい人間なんだということを、やっと自覚したと話すことが出来た。

こんな親に育てられて、ほかろんも大変だったろう。
ほかろんが、ちらちら、私の顔色を見ながらご飯食べていたりするのに、私は気が付いていた。
私の表情を読み取っていたほかろん。
暗くて、気難しい顔のお母さんなんて嫌だよね。

気が付くのが遅くて本当にごめんね。
それでね、ほかろん。
私も、障害者手帳を取ることにした。
しっかり、公的なサポートを受けることにした。

そんなこと、周りの人はみんな気が付いていたのにね。
自分だけ、ごまかして生きてきて、不安だらけの心を、隠すために、強烈なパニック映画見たりして、自分の心の不安を隠してきた。

今日で終わりにして、弱くて、助けが必要な人として、周囲に助け求めて生きて行こう。
自分一人でなんて何もできない。
それを教えてくれて、ありがとう。
ほかろん。

ヘッダーはほかろんが、グループホーム体験お泊り四泊五日から帰ってきて、書いてくれたお手紙。

「おかあさん、おりょうりつくってくれてありがとございます。」

ほかろん、素敵なお手紙ありがとう。涙でよく見えないです。

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