本の賞味期限はつくり手が決めてしまっていやしないか?
本は初速が大事です。
これ。本をつくり、売ることを生業としている者として言うと、実際その通りなんである。
発売前から話題をつくる。予約がじゃんじゃか伸びる。売れそうな本だと巷で知られることで書店も事前注文数を増やしてくれる。その本について知らなかった読者も、「こんなに話題になっている本=おもしろい本」と興味を持ってくれる。そうしてさらに予約が伸びていく。
発売。大型書店を中心にその本が、目立つ場所で陣を張る。エンド台で、書棚の数列面陳で、全フロアジャックで、POPやパネル付きで、サイネージで、なんならジェンガみたいなタワー陣形で。
目につく。足が止まる。なんの本だろう? こんなに積んである本なら売れている本に違いない。売れている本なら、きっとおもしろい本だろう。どれ一冊、手に取ってみましょうか。
書店というフィールドで覇権を競う一方、同時につくり手は、メディアにも働きかける。こんな本が出ますよ。いい本ですよ。
本は売れなければ書店から返本される。だから返本されるより先に売って、話題をつくり、つなぎ、「売れているから売れる」状況に持っていかなければならない。初速はめちゃくちゃ大事で、初速を出すのがいかに大変かを知っているから、私は売ることに長けている編集者を尊敬するし、自分でも力を尽くしたいと考えている。
が、一方でこの風潮ーー焚き付けすぎるーーを明確に嫌う者でもある。
焚き付けることで、本の賞味期限をつくり手側が決めてしまっているのではないか?
初速時のエネルギーは祭りである。わっしょいわっしょい、皆が乗っかる。それはいい。しかし、祭りが終わり、ひっそりと打ち捨てられたような、忘れ去られたその本は、もう価値がないのか? あるいは、発売時に祭りになるほどの瞬発力がなかった本は、「いい本でなかったからだ」と、果たして言えるのか? 違う。
いろいろ言われるが、「新刊時に売りたい」というのはつくり手側の勝手な都合である。頼むから発売直後に買ってください!とは、私も誰よりも思っているけれど。でも、読み手にとって、「本は、出会ったそのときが新刊」であって、その本が5年前に刊行されたものであったとしても、「読みはじめるそのときが、その本との出会い」だ。
いまの初速重視主義、短期での賞味期限設定が殺してしまうのは、こうした出会いの可能性だ。事実、資材や輸送費の高騰、本を売るシステム自体の立ち行かなさで、今後はいま以上に重版のハードルもどんどん上がるだろう。爆博的な勢いはないけれど、ロングセラーでコンスタントに売れているような本の重版ができなくなっていく。つくり捨て状態だ。
古典といわれる本は、絶え間なく、どこかで誰かが語り継いできたからこそ残った。いまの超短期で勝負を決するような仕掛け方のなかでは、たとえばだけど5年前の本が改めて話題にされるような機会はとても少ない。世にはいまだからこそおもしろい5年、10年前の本などいくらでもあるはずだし、いま読んでも輝きを失っていない本はたくさんある。そうした本に再度注目していくことは、(本のつくり手でもあるが)市井のいち読書人として取り組みたいことでもあった。
そんなわけで読みます。読書会の1冊目で取り上げるのは、長田弘著『読書からはじまる』(ちくま文庫)。2001年に現・NHK出版から単行本が出て、2021年に文庫になった。そう考えると、もはや古典と言ってもいいかもしれない。単行本だったものを文庫にする時点で、そこにはこの本を長く読み継がれるものにしていこうという意思を感じるわけで、私もまたその意思に共感する者である。
文・写真:編集Lily
「書く人のための読書会」をはじめます。毎月1冊、読みます。新刊以外の本も取り上げていくよ。
