【心震える本】『木挽町のあだ討ち』を読んで「なぜ小説を読むのか」の答えが舞い降りた
※映画はまだ観ていません。原作小説について書いています
※ネタバレはありませんが、後半の内容に少し触れますまのでご注意ください
こりゃ面白い。話題になるわけだ
いやぁ、映画化されるというので先に原作を、と思って読み始めたんです。
最後のページを閉じた瞬間から余韻がもうすごくて。
永井紗耶子『木挽町のあだ討ち』。
頭のなかでいろんな場面がぐるぐる回り。
しばらくこのまま自分のイメージを噛みしめていたい気もするし。
だって映画を観たらその印象が強く焼き付いちゃうじゃないですか。それはまだもったいない。そのくらい良い小説でした。
映画を観る予定のお方、のなかで小説が好きな方なら原作を読んでから劇場に行くのもいいですよ!
そんな私は今すぐにでも劇場に駆けつけたい気もありまして。グツグツいってる煮物の火を止めて家から飛び出してしまいたい。
だって予告編だけでもうワクワクが止まらない。なんなら原作よりミステリ色が強まっていそうじゃないですか。
短い映像でも「この場面は!」と居ても立ってもいられない。
そしてまたスペシャルムービーで主演俳優が言ってるんです。「監督から『この役は〝刑事コロンボ〟だから』と言われた」とーー。
ちょっと待て!
そのディテールは原作にはなかったよ。
なんて粋な味付けをしてくれたのでしょう。
血湧き肉躍るーーとはこのことでありまして。
いやしばし落ち着きましょう。
まずこれがどんな内容で、なぜ「小説を読む意味」が舞い降りたかーーというお話でしたね。
そうだったそうだった。

「すると娘は唐傘を落とすと共に、ひらりと振袖を脱ぎ捨てて作兵衛に投げつけた。」
(『木挽町のあだ討ち』p9より)
「小説を読む意味」を問われたら
個人的なことですが、私はあまり新しい作品については書きません。古い記憶から順番に降ろしていかないと脳内が渋滞してしまうから。
でも今回は思うところがあり、『木挽町のあだ討ち』について書いてる次第。
理由は最近「小説を読む理由は何ですか?」という質問をよく耳にするようになったから。
読書離れは知ってます。いいんです。
私だって登山もスポーツもほぼしないから。
「山頂から見る景色の素晴らしさについて教えてください」と聞くことだってあるかもしれない。
でも自分なりには考えを整理しておきたい。
はて聞かれたら何と答えよう。
そのタイミングでこの小説を読んでいたら、答えがふいに舞い降りたのです。
すーっとなんとも気持ちよく。
『木挽町のあだ討ち』はざっとこんな話でございます
時は江戸文化真っ盛りの文化7(1810)年1月ーー雪の夜。
大勢のお客で賑わう木挽町の芝居小屋「森田座」のすぐそばで、ある「仇打ち事件」が起こります。
仇討ちを成した者は美少年、菊之助。
斬られた者は菊之助の父親を殺めた下男、作兵衛。
「我こそは伊納清左衛門が一子、菊之助。その方、作兵衛こそ我が父の仇。いざ尋常に勝負」
大勢の野次馬が見守るなか、白い雪の上に真っ赤な血しぶき。
かくして作兵衛の首級(しるし)を抱えた菊之助は闇に消えていったーー。

あの晩のことを聞かせてください
そしてその2年後。
1人の若侍が「森田座」を訪れて、菊之助が世話になっていた人たちに話を聞いてまわります。あの晩の出来事について詳しく知りたいと。
で、順番に登場するこの関係者がなかなか個性的な面々でして。
お客の呼び込みをする木戸芸者。
役者に殺陣の指南をする立師。
衣装方に、小道具係。
そして森田座を取り仕切る重鎮の戯作者。
いやみんな物腰は柔らかいんですが、それぞれに苦労を重ねた人生が語られて。
「この人たちの生きざまは本筋に関係あるの?」と最初は気になりますが、それはまぁ・・・読んでのお楽しみ。
それぞれの人生とあの夜の真相には関わりが?
これねぇ。
読んでるうちに「もしかして?」と感じるものはあるんですけど。
とにかく第五幕で森田座を取り仕切る戯作者が登場したあたりからもう、べらぼうに面白くなってきて。
仇討ちの真相ーーも大事なんですが、それ以上に、人間ひとりの深みや痛みって言うんですかね。
それまでの4人はそれぞれ苦難の道を経て「森田座」に流れ着いてきた。貧困や、理不尽。江戸のーーいやこの世の光と影を感じずにはいられない。
それに対して戯作者の篠田金治は武家の出身。
金銭的な苦労はなかったものの、紆余曲折を経てこの場所にいるーー。
この金治の人生譚のなかには何度もグサグサ、ゾクゾクする箇所があったんです。
仇討ちの真相とは直接関係ないと感じるので、ちょっと引用させてくださいね。
「わしは手前の筆で五人の女を成仏させたろう、思うてますねん」
これは金治ではなく、後に金治の師匠となる「五瓶」という男の言葉なんですがーー金治が昔を回想する場面で出てきます。
「でんでん太鼓を鳴らせるようになったら、そこから先の退屈は手前のせいでっせ」
五瓶は自らの書く芝居の力で、とある事件で無慈悲に殺された遊女五人を弔ってあげたいと言うんです。
商売女であっても「心のうちは同じように痛くて苦しい」のだからと。
せめて芝居のなかだけでも救ってあげたいーーそういうことなのだろうと思います。
そんな五瓶が眩しく見えた金治は、胸の内をつい話してしまう。
自分は日々、「遊び呆けていてもどこか虚しい」のだと。
それを聞いた五瓶は「面白がったらええんとちゃいますか」(同p186)と言い、金治は「容易く言ってくれるじゃないか」と苦笑する。
すると五瓶は、にかっと歯を見せて誇らしげに笑います。これがいい。
「面白がる言うんは、容易いことやあらしません。それこそ芸や。(中略)若様、面白いもんはいつか誰かが何処かから持って来てくれると思ったら大間違いでっせ。面白がるには覚悟が要るんです」
「面白がる覚悟かい」
「そうですねん。面白がらせてもらおうたって、そいつは拗ねてる童と一緒や。でんでん太鼓を鳴らせるようになったら、そこから先の退屈は手前のせいでっせ」
「俺のせいなのか・・・」
面白がりたいなら自分から取りに行け
ズキン、としました。
同時にパッと視界が開けた感じもあって。
なぜ小説を読みたいのか。
私がぼんやり自問していたことを、2人のやりとりが見事に言語化してくれている。
そう、面白がりたいなら自分から取りに行け。
ただし「面白がれる自分」になるにはそれなりの覚悟が必要で。
覚悟と言っても刀を抜くほどのものじゃない。
ただちょっと興味を持って手を伸ばし、自分をそこに乗っけてみるーーという覚悟。
しなやかに受け止め生きる人々がいるーー私たちは本質をどう伝えれば
それだけじゃないんです。
『木挽町のあだ討ち』ーーその謎が解かれる終幕にて。
胸を熱くするような言葉が、ある人物から発せられます。
真相と直接的な関係はないので引用させてもらいますと、こうなのです。
(前略)己の想いを貫くことの難しさも、道理のままに行かぬ割り切れなさも、この世の中には数多ある。それを嘲笑うのではなく、ただ愧(は)じるのでもなく、しなやかに受け止め生きる人々がいる。
意訳すると、もしかしたらただの正論になるかもしれないこの言葉。
たとえば自分の子どもにここだけを伝えたらどうでしょう?
「人生は思い通りにいかないけれど、腐ることなく生きていくんだよ」
ふつう過ぎて、響かないかもしれません。
でも小説を噛みしめるようにここまで読んで来たらどうでしょう。
登場人物それぞれの歩いた道を自分の一部のように感じていたらどうでしょう。
言葉が心を照らすかもしれません。
とは言え胸に染みる物語を追うだけならば、映画やアニメでもいいわけで。
ここに「文章で読む物語」の良さがある
読んでいる時に私たちの頭は脳は、主人公(登場人物)と同じものを見たり聞いたりした感覚に、本当になるらしい。
つまり自分が体験したのと変わらないーー「ありがたい錯覚」を脳はするということで。
だから深く刻まれる。
もちろん刻まれないこともある。
それが相性、出会いというもので。
ふだんから自分の触覚を稼働させているかどうかで異なってくる。
五瓶はそれを「覚悟」と言っているのだ。
と私は受け取った。
それに映像作品は、まさに完成品を受け取る時間。
音と光のインパクトが振ってくる。
言葉が魂を伴い体内に種蒔くような体験はーー小説よりは起こりにくい。
どちらにもどちらの良さがあり。
ただ言葉が刻まれるという点で「小説を読む」意味が際立ってくるのです。
「あぁ、面白いよね」と通じ合う時
そんなことを考えながら読了し。
至福を味わいながら思わず天井を見上げて「あぁ・・・」とため息をもらした私。そんなことをキッチンでやっておりまして。
すると横を通りかかった中2長女が「どうしたの?」と驚いた。
「これ、面白いんだよねぇ」と言うと
膝に置かれたその小説を見て長女、
「・・・あぁ、面白いよね」とニヤリと笑う。
2人の思考を繋ぐ糸がパッと輝いたように見えました。
だって長女はこの本を読んでない。
中学生向きでもないし、この先も読むかどうかわからない。
でも彼女は一瞬考え、「・・・面白いよね」と言ったのです。
つまりそこには
「(自分好みの小説って、本当に)面白いよね」というニュアンスが込められている。
思わずため息が漏れるような「本読み」の感動を、瞬時に理解したのでしょう。
その滋味を味わった者だけがわかるもの。
子どもに読書を教える意味もここにある。
さぁいまいちど。
それを嘲笑うのではなく、ただ愧(は)じるのでもなく、しなやかに受け止め生きる人々がいる。
でんでん太鼓を鳴らした先に
小説を読むとは「面白がる覚悟だ」なんて。私なんかが人に言うつもりはありません。
ただ、やってくれたな面白いじゃねぇかとニヤリと笑う。そんな「自分 対 物語」の快感が「でんでん太鼓を鳴らした先に」待っているのならーー。
空しさをそれで満たしてみるのもええもんでっせ。と自分の肩をポンとするくらいはいいでしょう。

(『木挽町のあだ討ち』p208より)
どのくらい余韻を噛みしめてから劇場に向かおうか
さて『木挽町のあだ討ち』。
こりゃ面白い。話題になるわけだ。
しかも読了するとこのタイトル、二重の意味があったと腑に落ち膝を打つ。
どのくらい余韻を味わってから、大画面を拝みにいくか。
しばらくこのまま味わっていたい感じもするしーー。
映画の感想をちらほら聞くと、どうも小説とは違った味わいの仕上がりになってるらしい。
私のなかの木挽町と、映画のなかの木挽町。
どこが重なり、どこが重ならないか。
面白がってやろうじゃないか。
五瓶よ、覚悟はできてるぜ。
小説好きとしても、
ミステリ好きとしても
映画好きとしても、
心がはやるのでありまして。

〈本データ〉
『木挽町のあだ討ち』
(著者 永井紗耶子/新潮社/税別1700円)
※単行本発売日:2023年1月20日
※全267ページ
※第169回直木賞、山本周五郎賞W受賞作
※脳に関しての参考資料:
『最新脳科学でついに出た結論「本の読み方」で学力は決まる』(川島隆太 監修、松﨑泰・榊浩平 著/青春出版社/税別880円)
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最後まで読んでくださり、ありがとうございました!
素晴らしい読書体験がたくさんの方に訪れますように✨
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