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【日記】主治医とコオロギと私

こんにちは、めろすです。

先日は精神科の通院日でした。実は前の通院で、先生にある悩みを打ち明けました。

ペットのヤモリが人工餌を食べなくなったから、生き餌のコオロギを飼育して食べさせてるんですが、コオロギも可愛いので苦しいです。手塩にかけて育てたコオロギを、ヤモリに餌として差し出すのに葛藤があります。でもヤモリがしっかりコオロギに食いついてくれると、「良し!」と思う自分もいて心が割れそうです。さっきまで私がヤモリに食べさせようとしたコオロギを、ヤモリが食べ残したのでコオロギ飼育ケースに戻したら、「わーい!」って感じで餌に向かって走りだし、新しく入れたばかりのトマトに美味しそうに齧り付いていました。この子もちゃんと生きてて美味しい野菜を食べたいのに、私は自分で育てて、自分で殺してるんです。コオロギじゃなくて私が死んだ方がいいのではと思ってしまいます。

そんなことを言ったら、先生ちょっと反応に困りつつも笑ってくれて「面白いですね〜変わってますね。こんな悩みを持つ人初めて見ました。大いに悩んで下さい、そしてどうなったか教えてくださいよ。でも、僕はコオロギはヤモリに食べられたらいいんじゃないかと思います。コオロギだって、早く虫としての生涯を終えて、違うものに生まれ変わりたいかもしれないよ?それにコオロギに肩入れしすぎです。コオロギにそんな高等な知能はないので、そんなに考えなくてもいいんじゃないかなって思いますよ。」そんな風におっしゃっていました。

面白いと言ってもらえたことで、少しだけ気が楽になりました。私の悩みは、人から見れば面白い話で、笑い話になるのか。って。

そういえば「面白い」っていう評価は、その人に自信を与えるって何かの本で読んだことがあるな〜と思い出したりしました。

それから私はコオロギやペットのことについて自分なりに考えて、この前の投稿「私の原罪」を書きました。

生き物が好き。これは私の原罪である。だから、その業を受け入れる。

必要であればコオロギも育てて殺す。ただしコオロギにも、他のペットと同等の待遇をもって接し、餌として生涯を終わらせられるまで責任を持ち、なるべく快適に、なるべく幸せに過ごせるよう私は尽力する。

それでも心は痛みますが、業として受け入れるしかないというのが今のところの落とし所です。

今回の通院で先生にこんな話をしたら、また変わっていると笑っていました。

でも笑って聞いてくれる人がいるというのは、時として有難いことですね。

それから今回の通院では、以前もらったwais-iv等のフィードバックでのアドバイスに、仕事面で色々な環境調整や周囲の理解が必要なことが記載されているのを改めて読み返し、私が今後仕事をする上で普通の仕事では不安なことを伝えました。今後は精神の障害者手帳の取得を目指す方針になりそうです。

その辺のことはまだ勉強不足なので、皆さんのnote等を参考にさせてもらいながら情報収集していこうと思います。

それではまた!

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