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舞台に立たせてあげたい、ジャイアンのこと

映画になると、かっこいい。
たしかにそうだよね、と思ったジャイアンのこと。

しーなさんの記事を読んだ。
「綺麗なジャイアンと、きたないジャイアン」。

そのたとえがあまりにも秀逸で、
私なら、さっぱり思いつかなかった言葉だ。

私がこの記事を書こうと思ったころには、
すでにいろんな人の解釈や考察が始まっていた。

表舞台に立つのは、
つまりnoteに投稿される自分は、
どうしても「綺麗なジャイアン」が多くなる。

振り返れば、私もずっと、
綺麗なほうを呼ぶことが多かった気がする。

無意識に、
前向きな自分や、
がんばっている自分を前に出す。

でも、それは必ずしも
しんどい自分に蓋をして、隠しているわけではない。

むしろ、
しんどい自分をなんとか抱えながら、

「こんな日にも、よかったことはあった」

と、意味を見つけようとしている。

私にとって書くことは、
そんな小さな挑戦でもあるのだと思う。

とはいえ、ときどき、
ほんとうに「きたないジャイアン」を
そのまま表舞台へ連れてくる日もある。

弱音を吐いたり、
うまくいかない気持ちを書いたり。

不思議なことに、
そんな日に限って、
たくさんのスキをいただいたり、
あたたかいコメントをいただいたりする。

noteの街は、
きたないジャイアンにも、思いのほかやさしい。
それはもう、何度も経験している。

だから、
綺麗なジャイアンだけでなくても大丈夫だと、
頭ではちゃんとわかっている。

それでもきっと、
私はまた、綺麗なほうを表舞台に呼ぶのだろう。

それでいいのだと思う。
どちらのジャイアンも、
そのときどきで心に聴いたままに登場させているから。

揺れながら、
今日はどちらを呼ぼうかと決めていく。

その采配は、私の手のなかに。
どちらを選んでも、そこにうそはない。


しーなさん、KTNGプロジェクトに参加させていただきました。
きっかけをありがとうございました!


最後までお読みいただき、ありがとうございました。
これからも、どうぞよろしくお願いします!


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