「治療」と呼ばれた実験|1940年国府台、精神疾患の兵士とマラリアの蚊
一匹の蚊に、人の血を吸わせる。
血は、マラリアに感染した日本兵のものだ。
次に、その蚊を、別の人間の皮膚に止まらせる。統合失調症などの精神疾患で、病院に入院している日本兵たちである。
刺された兵士が本当にマラリアを発症するのか、それを確かめる。
場所は千葉県の国府台陸軍病院。1940年、日中戦争のさなかのことだ。
2026年8月17日、共同通信がこの出来事を報じた。
実験を詳しく記した論文を、明治学院大学国際平和研究所の松野誠也研究員が確認したという。陸軍軍医学校の軍医が、国内での感染拡大を防ぐ研究として、統合失調症などの兵士10人を対象に行った。感染した兵士には高熱や体の痛みが出ていた。
報道を読んだ多くの人は、こう受け取ったと思う。
戦時中の日本軍が、精神疾患の患者を実験台にした。おぞましい人体実験だ、と。
その読み方は、間違っていない。
ただ、私は精神科医である。この記事を読んだ瞬間、別のところで手が止まった。
これは、マラリア熱療法ではないのか。
この既視感の正体を説明するには、話を100年ほど巻き戻す必要がある。
そして巻き戻して戻ってくると、この事件は「昔の軍隊は残酷だった」という話では済まなくなる。もっと不気味で、もっと現代に近い話になる。
今日は、その道筋を最後まで歩いてみたい。
1. 熱で「病を焼く」という発想
20世紀前半の精神病院には、「進行麻痺」と呼ばれる患者が大勢いた。
原因は梅毒である。
梅毒トレポネーマは、感染のかなり早い段階から中枢神経系に入り込みうる。その多くは排除されるが、一部が残ると、10年、20年をへて進行麻痺として現れる。
人格が変わり、誇大妄想が出て、認知機能と神経機能が崩れていく。治療されなければ、多くは死に至った。晩期神経梅毒の一型であり、当時の精神病院の入院患者のかなりの部分を占める、深刻な病気だった。
そして、進行麻痺の経過を確実に変える治療法がなかった。水銀やヒ素の化合物はすでにあったが、進行麻痺には頼りにならなかった。ペニシリンが梅毒治療を塗り替えるのは、まだ先の話である。
ここで、オーストリアの精神科医ユリウス・ワーグナー=ヤウレッグが登場する。
彼は若い頃から、ある臨床観察にとりつかれていた。精神疾患の患者が、丹毒やチフスなどで高熱を出したあと、なぜか精神症状が軽くなることがある。
ならば、意図的に熱を出させればいいのではないか。
1917年、彼は一線を越えた。マラリア患者の血液を、進行麻痺の患者に接種したのである。
マラリアは、しばしば40度近い高熱を周期的に起こす。当時は、その熱が梅毒トレポネーマを抑えると考えられていた。しかもマラリアには、すでにキニーネという治療薬があった。火をつけても、あとで消せる。そう期待された。比較的制御しやすい火として、マラリアが選ばれたのである。
そして、これが効いたと受け止められた。対照試験のない時代であり、真の有効性や作用の仕組みを現代の基準で確定することはできない。それでも、一部の患者に症状の改善や寛解が報告され、放っておけばほぼ確実に死に向かう進行麻痺の経過を変えうる治療として、追試が重ねられ、世界中に広がった。
1927年、ワーグナー=ヤウレッグはノーベル生理学・医学賞を受賞する。受賞理由は「麻痺性痴呆に対するマラリア接種の治療的価値の発見」。
つまり、ここを見誤ってはいけない。
「精神疾患の患者にわざとマラリアをうつす」という行為は、当時の水準では、怪しげな民間療法でも秘密の実験でもなかった。ノーベル賞が与えられた、世界最先端の医療だったのである。
一方で、この治療で患者が死ぬこともあった。マラリアは重症化すれば命を奪う感染症である。熱で病を焼くという治療は、最初から、患者の身体を賭け金にしていた。
2. 1961年、厚生省の文書のなかのマラリア
この治療は、日本にも入ってきた。
少なくとも制度のうえで、どこまで正式な治療として残っていたか。戦後の公文書を見ると、よく分かる。
1961年、昭和36年に厚生省が出した「精神科の治療指針」という通知がある。健康保険の運用にかかわる、れっきとした国の文書だ。いまも厚生労働省のデータベースで全文が読める。
そこには「神経梅毒の熱療法」という章が立てられていて、こう始まる。
「一九一七年ワグネルーヤウレツグが、マラリアを接種して発熱させることによつて、進行麻痺患者を治療したことに始まる」
続く記述は、さらに踏み込んでいる。この治療法は効果が確認されており、「ペニシリンと並んで、今日もなお進行麻痺その他中枢神経梅毒に対する最も主要な治療法である」と明記されている。1961年の時点で、である。
実施方法も具体的だ。材料は「マラリア療法中の患者血液」を用いる、と書いてある。すでにマラリア熱療法を受けている患者から採血し、その血を次の患者に静脈注射か皮下注射で接種する。発熱はおよそ10回が適当。終わったら塩酸キニーネで熱発作を止める。
患者から患者へ、マラリアをリレーしていく。その手順が、国の治療指針に淡々と記載されている。念のために書き添えると、これは1961年当時の公的な評価であって、現代の比較試験に基づく有効性の評価ではない。
これが、私の言う既視感の正体だ。
「精神科の入院患者に、意図的にマラリアを感染させる」という行為は、20世紀の精神医学の中に、正式な椅子を持っていた。だから1940年の国府台のニュースを、「患者にマラリアをうつした」という一点だけで人体実験と断じることは、実は歴史的にはできない。同じ行為が、治療として堂々と行われていた時代なのだから。
では、あれは治療だったのか。
そう考えかけたところで、話は逆方向にねじれる。
3. 「発熱療法と称して」
共同通信の報道のあと、科学史研究者の住田朋久さんが、この出来事に関する資料を国立国会図書館デジタルコレクションから掘り起こして紹介した。
伊熊健治「マラリア感染蚊に依る人体接種実験」『聯合微生物学会記録 第15回』1941 https://t.co/t8ykZeN4jM 精神病患者 https://t.co/Jb5bKkbEj6 pic.twitter.com/7VmymDCYQ3
— 住田 朋久 😷 SUMIDA Tomohisa (@sumidatomohisa) August 17, 2026
一つは、1941年の『聯合微生物学会記録』に載った報告である。発表者の名は伊熊健治。題は「マラリア感染蚊に依る人体接種実験」。共同通信が報じた論文は陸軍軍医団の機関誌に掲載されたものだから媒体は別だが、同一の研究に関する学会報告と考えて矛盾のない題である。
注目すべきは、この題名だ。「治療」の文字は、どこにもない。
人体接種実験。研究者自身が、これを実験と呼んでいる。もちろん、題名だけで治療的な意図の不存在まで証明できるわけではない。ただ、少なくとも当人が研究として発表していたことは動かない。
もう一つの二次資料が、この出来事の構造を考えるうえで重要な一文を含んでいる。
朝野富三・常石敬一『奇病流行性出血熱』1985 https://t.co/nW6yPSY0gM 発熱療法 かつて精神病患者の治療法として効果がある、と誤って考えられていたもの 昭和十五年、国府台陸軍病院入院中の精神病患者に対して発熱療法と称してマラリアの感染実験が行なわれている https://t.co/Jb5bKkbEj6 pic.twitter.com/gG14FZjAYy
— 住田 朋久 😷 SUMIDA Tomohisa (@sumidatomohisa) August 17, 2026
1985年に出た朝野富三・常石敬一『奇病流行性出血熱』。常石敬一は、旧日本軍の細菌戦研究の解明で知られた科学史家である。その本に、こういう趣旨の記述がある。
昭和15年、国府台陸軍病院に入院中の精神病患者に対して、「発熱療法と称して」マラリアの感染実験が行われている。
発熱療法と称して。
これは1985年に書かれた後年の評価であって、1940年の当事者による同時代の説明ではない。その限界は踏まえておく必要がある。それでも、「治療」と「感染実験」がどう重なっていたのかを考えるうえで、この6文字は重要な手がかりになる。
ここで、医学史の補助線を一本引いておきたい。
マラリア熱療法の中心にあり、最も確立した適応とされたのは、進行麻痺などの神経梅毒だった。先ほどの1961年の治療指針でも、適応症の欄に並ぶのは進行麻痺、脊髄癆、脳梅毒といった梅毒性の病気だけで、統合失調症は入っていない。
ただし、歴史はもう少し入り組んでいる。
統合失調症(当時の呼び名では早発性痴呆、精神分裂病)や躁うつ病など、梅毒とは関係のない精神疾患にも、マラリア療法は国内外で試みられていた。結果は一貫せず、神経梅毒ほどの成功はなかったと評価されている。
また、血液の接種では梅毒などほかの感染症まで一緒にうつしかねないため、蚊に刺させて感染させる方法そのものも、治療の技法として使われていた。蚊という手段は、それだけでは実験の証拠にならない。
だから、こう整理するのが正確だと思う。
1940年の兵士たちへの感染は、当時の確立した標準治療だったとはいえない。しかし、統合失調症に治療としてまったく用いられていなかった、とも言い切れない。共同通信が伝える研究目的と「人体接種実験」という題名からは、少なくとも、通常の診療だけを目的とした行為ではなかったことが分かる。一方で、原論文の全文と診療記録を精査しないかぎり、治療的な意図が皆無だった、「発熱療法」が意図的な偽装だった、とまでは断定できない。
見えてくるのは、治療か実験かの二択ではない。正規の治療とそっくりの外形。当時まだ息をしていた治療仮説。そして軍の研究目的。それらが地続きにつながった場所で、この実験は行われた。
私が最初に感じた既視感は、偶然ではなかった。治療と見分けがつかないことこそが、この実験を実施しやすくした条件だった可能性がある。
4. 写真には写らない違い
ここからが、私がこの事件について一番考え込んだところだ。
医師が患者の腕に蚊を止まらせ、マラリアに感染させる。この場面だけを写真に撮ったとする。
A医師は、進行麻痺の患者を治療するためにやっている。
B研究者は、蚊から人への感染が成立するかを確かめるためにやっている。
C軍医は、治療の体裁を保ちながら、感染経路のデータも取れると考えている。
3枚の写真は、区別がつかない。写っているものは同じだ。蚊がいて、腕があって、白衣がある。
違いは、写真の外にある。
何のためにやるのか。誰の利益のためか。本人は目的を知らされているのか。そして、嫌だと言えるのか。
ここからは、当時にはまだ存在しなかった現代の研究倫理の概念を、事件の構造を読み解く補助線として使いたい。
「治療的誤解(therapeutic misconception)」。
1982年にアメリカの精神科医ポール・アペルバウムらが提唱した概念である。研究に参加する患者が、研究上の介入も、ふつうの診療と同じように自分個人の利益を最優先に設計されているはずだ、と受け取ってしまうことを指す。
患者は、診察室で医師から何かを提案されたとき、当然こう考える。
先生は、私が良くなるためにこれを勧めている、と。
しかし研究は違う。研究の目的は、目の前の患者を最大限良くすることではなく、一般化できる知識を得ることにある。
だから現代の研究では、これは治療なのか研究なのか、目的は何か、危険は何か、断っても不利益はないか、それを説明し同意を得ることが中核的な要件になっている。同意能力がない場合などの例外も、厳格な条件のもとでしか認められない。
では、1940年の国府台で、それは成立しただろうか。
相手は軍人である。軍隊という、命令が絶対の組織の中にいる。そのうえ精神疾患を発症して、閉鎖的な軍病院に入院している。診断は統合失調症などだ。
ここで一つ、精神科医として書いておきたいことがある。統合失調症という診断だけで、説明を理解する能力や同意する能力が失われるわけではない。問題は、一人ひとりの病状と、軍隊および入院という強い従属関係が、理解と自由な拒否をどこまで損なっていたかである。
国府台陸軍病院は、1938年以降、日本陸軍の戦時精神医療の中心施設だった。終戦までに入院した精神疾患の兵士は、のちの研究によれば10,453人。
敗戦時、多くの軍関係書類が焼かれたが、この病院の8,002冊の病床日誌は関係者の手で残され、戦後の研究者たちが戦争と心の傷の実態を明らかにする土台になった。
その病院で、弱い立場が三重に重なった人たちが、被験者になった。
松野研究員は報道の中で、被験者にされた兵士は実験内容やリスクを正確に認識できていなかった可能性がある、と指摘している。捕虜ではなく自国の兵士が対象になった点についても、国家や戦争遂行に貢献できなければ被験者にしても構わないという冷酷さが垣間見える、と。
断っておくと、原論文の全文や周辺史料を精査しなければ、この実験に治療的な意図がまったくなかったのか、説明がどこまでなされたのかを断定することはできない。そこは今後の歴史研究の仕事だ。
ただ、構造だけなら、もう見えている。
治療と実験を分けるものは、行為の見た目ではない。写真には写らない場所にある。だからこそ、写真の外を誰も見張らなくなったとき、治療の姿をした実験が生まれる。
5. 善意と権威が揃うとき
この話を、昔の軍医は狂っていた、で終わらせることもできる。そのほうが楽だ。自分たちとは違う人間の話にしてしまえば、今夜からまた安心して眠れる。
でも、私はこの事件の怖さは逆側にあると思っている。
マラリア熱療法は、疑似科学ではなかった。ノーベル賞を取り、世界中の教科書に載り、日本では戦後の国の治療指針にまで記載された。権威の階段を、一段も踏み外していない。
明らかに狂った治療なら、見抜ける人がいる。
だが、「世界的権威が認めています」「医学的根拠があります」「国の方針です」「患者のためでもあります」「この研究は将来もっと多くの命を救います」。一つひとつはもっともらしい言葉が積み重なったとき、その中心にいる一人の人間が、患者から研究材料へと、音もなく置き換わることがある。
悪意は、必要ですらない。
精神医学の歴史は、このことを何度も記録してきた。
マラリア熱療法。インスリン昏睡療法。ロボトミー。
前頭葉白質切截術(ロイコトミー)を開発したエガス・モニスも、1949年に「特定の精神病に対するロイコトミーの治療的価値の発見」でノーベル賞を受けている。
当時の最先端が、後世の目には加害と映る。
精神医学は、その反転を繰り返し経験してきた。
誤解のないように書き添えるが、これらを全部まとめて「昔の精神科の恥」と葬るのは、それはそれで歴史への不誠実だと思う。
たとえば同じ時代に生まれた電気けいれん療法は、麻酔や筋弛緩、刺激条件を洗練させながら現代医療の中で生き続けており、重症のうつ病や緊張病など、適切な適応のもとでは今も有効性の高い治療である。
過去を裁いて捨てるのではなく、なぜその時代の合理性の中でそれが正しいとされたのかを理解すること。医学史を読む意味は、そこにしかない。
そのうえで、問いはこちらに返ってくる。
2026年の私たちが当たり前にやっている医療の中で、50年後の人間が「なぜこんなことをしていたのか」と絶句するものは、何だろう。
私はこの問いを、AIの時代の入り口で考えている。
AIを使った精神医療は、これから必ず、治療と研究の境界問題を抱える。このAIはあなたのためになります、と言いながら、その対話データは誰のものか。何の開発に使われるのか。患者はそれを理解しているのか。拒否しても、同じ医療を受けられるのか。
技術は変わる。問いは、1940年から一文字も変わっていない。
6. 記録に残らなかった声
最後に、もう一度あの病室に戻りたい。
86年前、国府台陸軍病院の一室で、一人の兵士の腕に、蚊が止まっていた。
彼はそのとき、何と説明されていたのだろう。
これは治療です、と言われたのか。何も言われなかったのか。数日後に高熱に震えながら、彼は自分の身に起きたことを、何と呼んだのだろう。
論文に残ったのは、発症したという結果である。少なくとも、いま私たちの手元にある報道と公開資料からは、彼が何を聞かされ、何を思ったかは見えてこない。
治療と実験の境界線は、ノーベル賞が引いてくれるわけではない。国の指針が引いてくれるわけでもない。医師の善意ですら、あてにならない。
境界線は、写真に写らないあの場所、つまり、目の前の一人が何を知らされ、誰のために身体を差し出し、そして本当にノーと言えたのか、そこにしか引けない。
だから私たちは、蚊の羽音のように小さなその声を、聞き逃してはいけないのだと思う。
86年前に、記録からこぼれ落ちた声を。
加賀谷隼輔(精神科医kagshun)
参考・出典
共同通信「【独自】精神疾患の日本兵に感染人体実験 蚊用意、マラリア発症」2026年8月17日(実験を詳述した論文は明治学院大学国際平和研究所・松野誠也研究員が確認)
伊熊健治「マラリア感染蚊に依る人体接種実験」『聯合微生物学会記録 第15回』1941(国立国会図書館デジタルコレクション、個人送信限定資料)
朝野富三・常石敬一『奇病流行性出血熱』新潮社、1985
上記2点の史料の所在は、住田朋久氏(@sumidatomohisa)のX投稿(2026年8月17日)による
厚生省「精神科の治療指針」昭和36年10月27日保発第73号(神経梅毒の熱療法の項。厚生労働省法令等データベースで全文閲覧可)
ノーベル財団:1927年ノーベル生理学・医学賞(ユリウス・ワーグナー=ヤウレッグ)、1949年同賞(エガス・モニス)受賞理由
Nevin RL, Croft AM. Psychiatric effects of malaria and anti-malarial drugs: historical and modern perspectives. Malaria Journal. 2016;15:332
Austin SC, Stolley PD, Lasky T. The history of malariotherapy for neurosyphilis: modern parallels. JAMA. 1992;268(4):516-519
Appelbaum PS, Roth LH, Lidz C. The therapeutic misconception: informed consent in psychiatric research. International Journal of Law and Psychiatry. 1982;5(3-4):319-329
清水寛編著『日本帝国陸軍と精神障害兵士』/細渕富夫・清水寛・飯塚希世「日本帝国陸軍と精神障害兵士(VIII)」『精神医学』44巻8号(2002)ほか、国府台陸軍病院「病床日誌」に基づく戦時精神医療研究
※本記事は公開報道と一次資料に基づく歴史的考察であり、原論文全文の学術的検証は今後の研究に委ねられます。
いいなと思ったら応援しよう!
こんにちは!Kagshunです!よろしければサポートをお願いいたします!いただいたサポートはEMANONの活動をさらに広げていくことに使わせていただきます。