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死にかけたら生きることを思い出した「青い鳥」



昨年の夏、私はほんの少し、死にかけていた。

「死」という言葉を軽々しく使ってはいけないと思っているけれど、あのとき確かに、いつもの「生きている」という感覚から、少しだけ離れたところにいた。

そして不思議なことに、そこまで行ってみたことで、私はかえって「生きる」ということを強く意識するようになった。

きっかけは、4日間のハーブファスティングだった。


私はこれまで、織田剛さんの『4日で若返る「毒出し」のトリセツ』を参考に、腸にたまった「蓄積毒」を抜くファスティングを2度経験していた。


これは私にとって、かなり大きな体験だった。

身体が軽くなっただけではなく、頭の中のモヤモヤまで少しずつ晴れていくような感覚があり、長い間置き去りにしていた「自分が好きだったもの」が戻ってきた。

そのひとつが、書くことだった。

以前は好きだったのに、いつの間にか遠ざかり、億劫になっていた文章を書くことを、また始めるようになった。

このnoteを書いているのも、ファスティングを終えた後に、なぜか「書いてみよう」と思い、身体が自然に動いて書き始めていたからだ。


だから私にとってハーブファスティングは、単に身体を整えるためだけのものではなく、「自分を取り戻すきっかけ」になったものだった。

そんな経験があったから、今回は腸の毒出しから次のステップ、肝臓の毒出しファスティングへ進んでみることにした。

腸の4日間のファスティングも経験済みだし、普段から16時間以上の断食をもう5年以上毎日している。

だから、
「まあ、今回も大丈夫でしょう」
そう思っていた。


この「まあ大丈夫」が、今回の物語の始まりだった。




今回は、肝臓のファスティングに必要なハーブを用意して、いつものように始めた。

ところが、ファスティングの3日目、4日目あたりから、少しずつ様子がおかしくなってきた。

「あれ、なんだか気持ちが悪い... 」

ファスティング中、一時的に気分が悪くなることがあるのは知っていた。

だから、これを越えれば、そのうち抜けていくだろうと思っていた。

ところが、抜けていくどころか、どんどん悪くなっていく。

何度も戻し、水も飲めない。
少しの水さえ受けつけなくなっていく。

お手洗いとは離れられないお友達、を通り越して、もう親友状態である。
身体はふらふらして、起き上がるのもしんどい。

「これ、このままこじらせたら、死んでしまうんじゃないか」

だんだん、本気でそう思うようになった。


4日で終わるはずだったファスティングは、思いがけずハードモードへ突入した。

吐き気と闘いながら、2日ほど寝て過ごした。

さすがにこれはまずいと思い、夫に付き添われて病院へ行った。
病院なんて10年以上ぶりだった。

点滴を受け、血液検査と尿検査をすると、いくつか異常値が出ていた。

先生からは、
「断食後の数値がどうなるのか、経験がないのでわからないけれど、とにかく飢餓状態ですね」
と言われた。

病院の先生は、断食で食事を取っていないことを心配していた。
食事をしないことは、生きることとは反対のものに思えたのだろう。

でも私は、尿検査で出た異常値を聞いて、ちょっと嬉しく思っていた。

通常、尿ケトン体の基準値は、陰性(ー)であるのに対して、このとき私のケトン体値は、陽性3(+)だった。

ファスティングの成果として、
「ちゃんとケトン体代謝になっているんだ!」
と、感動さえしていた。


『毒出しのトリセツ』本の中で、ファスティングによって、それまで糖質を主なエネルギー源としていた身体が、脂質を使うモードへ切り替わっていくことが説明されている。
そのときにつくられるのがケトン体だ。

本を読んでいた私は、ファスティング中に頭がすっきりしたり、心が軽く感じられたりすることにも、この身体の切り替わりが関係しているのだろうと思っていた。

実際、これまでのファスティングでは、私自身にもそういう感覚があった。

だから今回も、身体の中で何かが切り替わっているのだと思っていた。

数世代前のご先祖たちは、現代のように糖質をエネルギー源とする代謝ではなかったそうだ。
そう思うと、現代病としてある、頭のモヤモヤ感や身体の倦怠感を抜けていくカギは、ケトン体による代謝にあるような気もしてくる。



そんなこんなで、4日で終わるはずだったファスティングは、6日間になった。

後半2日間はほとんど水分も摂れない状態になり、病院で点滴を受け、そこから少しずつ体調を回復させて終了した。


これは、完全に私の想定外だった。

けれど、想定外だったからこそ、普段当たり前すぎて気づけないものに気づかされた。

寝込んでいる私を支えてくれた家族の存在が、深く胸に沁みた。

中学生の息子は、家族の食事を買ってきてくれたり、寝込んでいる私のためにりんごを買ってきてくれたり。

私が寝室から出てくると、オンラインゲームの途中でも、
「大丈夫か!」
と心配して見に来る。

そして枕元には、彼のお気に入りのぬいぐるみまで置いてあった。

中学生男子の優しさは、時々ものすごく不意打ちでやってくる。



ベッドの中で、何度も思った。

生きたいな。

家族ってありがたいな。

この身体も、ちゃんと大切にしなきゃいけないな。

そして、反省した。

私はこれまで、身体に何をしてきたのだろう。

身体を変えよう、整えよう、軽くしようと思うことはあっても、
「この身体で今日まで生きてきた」
ということに、どれくらい感謝していただろう。

身体の声に、ちゃんと耳を傾けていただろうか。

身体は、こちらの都合に合わせて黙って働いてくれる機械ではない。

「前は大丈夫だったから、今回も大丈夫」

そんな私の都合など、知ったこっちゃない。

今回のことで、それを身をもって教えられた。


そして、もうひとつ大きな反省点があった。

私は今回、少し手を抜いてしまっていたのだ。

毒出しハーブファスティングでは、ハーブを摂るだけではなく、必要なものをきちんと摂りながら身体の働きを助けていく。

そのひとつが、フルーツや野菜を搾った生搾りジュースだった。

我が家にはジューサーがないので、布巾を使って手で搾っていた。



最初は楽しい。

けれど、2回、3回と続けていくと、だんだんただの力仕事になってくる。

ギュッ、ギュッと搾るたびに親指がやられる。

しかも、ジューサーほどの量はできない。

結果、だんだんジュースを飲む量が少なくなっていった。

「まあ、これくらいなら大丈夫だろう」

また出てきた。

今回の私の「まあ大丈夫」。

本の中では、ファスティング中に身体から出てくるものに対して、生搾りジュースに含まれる植物由来の成分が大切な役割をすると説明されている。

私はその大切さを知っていた。

知っていたのに、手を抜いた。

ほかにも、お手洗いで毎日出るものが出なかったことや、1年ほど前に開封した古いセンナを使ったこと、今回初めて使ったミルクシスルが身体に合わなかった可能性など、思い当たることはいくつかある。

原因をひとつに決めることはできない。

けれど、ジュース不足はかなり大きかったのではないかと、私は思っている。

手を抜いてはいけなかった。




これは私自身の、かなり反省の多い失敗談である。

ただ、それでも今回の体験を「失敗だった」で終わらせたくないと思った。

これまでのファスティングでは、身体が軽くなり、頭がすっきりして、少しずつ「本来の自分」に戻っていくような感覚があった。

今回は、その反対側から自分を見つめることになったのだ。

苦しくて、生きたいと思った。

家族の優しさが沁みた。

自分の身体が愛おしくなった。

そして、自分の人生をちゃんと生きたいと思った。


「自分の人生をちゃんと生きる」というのは、何か特別な自分になることではなく、余計なものを手放して、もともと自分の中にあったものに気づいていくことなのかもしれない。

私の場合、それは「書くこと」だった。

ファスティングをきっかけに、忘れていたと思っていた「書きたい」という気持ちが戻ってきた。

その気持ちが今、ここにある。

だから私は、ハーブファスティングをただ「身体のためのもの」だけとは思えないでいる。


今回の肝臓ファスティングで、身体の中の毒がどこまで出たのかは、私にはわからない。

けれど、少なくとも心の中にあった何かが、少しほどけたような気はしている。

人は、何かを足していくことで自分になるのだろうか。

それとも、余計なものを少しずつ手放していった先に、
「ああ、これが私だった」
と思える場所があるのだろうか。

私には、まだわからない。


ただ、ひとつわかったことがある。

大切なものは、案外ずっと近くにあった。

家族のあたたかさ。

健康であること。

自分の身体。

そして、自分が自分らしく生きること。

幸せの青い鳥は、遠くへ探しに行くものではなく、余計なものを手放したとき、ふと近くにいることに気づくものなのかもしれない。

私にとって、ハーブファスティングは何度もそのことを教えてくれた。

身体を変えて、新しい自分になるために始めたのに、最後に見つけたのは、自分の中にずっとあったものだった。



毒出しをした後に、見えてくる世界。

今まで気づけなかった青い鳥が、すぐそこにいたことに気づく世界かもしれません。

「毒出しの青い鳥」より
(2024年[春にして春を想う]記事から)



毒出しの青い鳥は、どうやら私の中にもいたらしい。

毒出しハーブファスティングをして、私は青い鳥を見ることができた。


このときの夏、死に少し近づいたことで、生きることが近くなった。

そして今も私は、あのとき思い出した「自分」を、少しずつ生きている。


大切なものは一番近くに、自分の中にある。

誰の中にもいる青い鳥。


そんな青い鳥のお話は、それは、また、
別のお話で。




ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

皆さんの中にいる、青い鳥が輝きますように🕊️








過去に記事として書いた、「そんな青い鳥のお話」や「ファスティング体験記」を、下のリンクに置いておきます


✳︎


そんな青い鳥のお話
『波にのまれ戻れなくなっていた時に見た「青い鳥」』
(2025年)


ファスティング体験記・「毒出し三部作」
第一部
『仙人への道 〜「毒出し」導入編 〜』
(2024年)


第二部
『「毒出し」のトリセツ 〜 宇宙編 〜』
(2024年)


第三部
『毒出しの青い鳥』
(2024年)


毒出しファスティングに欠かせない、スープのお話
『足音が聞こえる。スープの準備を』
(2025年)


「毒出しのトリセツ」書籍のお話
『失ったものを取り戻せるかもしれない__『毒出しのトリセツ』 時代の先を行く』
(2024年)


もうひとつ、ひみつのアカウントで書いた、
毒出しの奥から見えてくるお話
『映画はなにも変わらない』
(2025年)



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