①結局、何者にもなれずに終わる気がする60歳
ついに60歳になりました。
肩書?
ありません。
キャリアと呼べるもの?
これといって何も……。
何十年も生きてきたけど、
結局、何者にもなれなかった気がします。
もちろん、
親は私の将来をちゃんと考えてくれました。
まだ、「女に学問なんていらない」
という親も多かった時代に、
「これからは女性も、手に職をつけたほうがいい」と、
大学に行かせてくれて、資格も取ることができました。
これで一生、食べていける。
両親はきっと、そう思ったことでしょう。
ところが60歳になった今、
私には、積み上げたキャリアも、
これから続けていく仕事もありません。
なんという、親不孝。
せっかくお金をかけてくれたのに、
予定とはまったく違う人生になってしまいました。
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20代の頃はもちろん、働くつもりでした。
仕事で成功したいし、お金も稼ぎたい。
女だからって馬鹿にされたくない。
そんな野心もあったんです。
でも、
男社会で負けないようにして。
さらに社会的地位まで手に入れるとなると、やっぱり大変じゃないですか。
だったら、
ハイスペ男子と結婚したほうが楽じゃない?
いや、身も蓋もないけど。
当時は、かなり本気でそう思っていました。
仕事するより、恋をするほうが何倍も楽しい。
理想の仕事を探すより、
理想の結婚相手を探すほうがワクワクする。
だから、必死に相手を探しました。
自分の出世より、夫の経済力。
今なら、
「いや、それ他力本願すぎるだろ」
と思いますが。
30過ぎて結婚して、子供ができて、
社会から足を洗って。
足を洗う…
本当にそんな感じです。
価値観も生活も。
一度そこから離れると、
それまでどんな仕事をしていたかなんて、誰も聞かない。
話したところで、
「へえ~、そうなんだ」で終わりです。
元会社員、公務員や教師。
看護師、薬剤師、歯医者だろうと、学校に来れば、
「〇〇君のママ」
「〇〇ちゃんのママ」
会社では部下を持つ立場でも、
担任に頭を下げて、同じように説明を聞く保護者の一人です。
女が集まれば、そりゃいろいろありますけど、
でも、
「私は〇〇です」
なんて肩書きをぶら下げる人はいなかったし、
言う必要もありませんでした。
悩みがあれば、お互いに話す。
子育てで気になることがあれば相談する。
自分の愚痴を聞いてもらえば、
今度は相手の愚痴を聞く。
深刻な話から、
どこのスーパーが安いとか、
どうでもいい無駄話まで。
そういう主婦の集まりが、
私はけっこう好きだったんです。
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ところが最近、女性を取り巻く環境もずいぶん変わりましたよね。
60歳になって、
仕事も肩書もない私が、noteなんかをウロウロしていると、
「私は〇〇です」
「こんな資格を持っています」
「これまで、こんな仕事をしてきました」
そんな自己紹介に圧倒されます。
そりゃ、
プロフィールを書く場所なんだから、当たり前なんですけど。
当たり前でも、心がザワつく。
仕事がないことが、恥ずかしくなる。
主婦同士で話していた頃みたいに、
「それ、わかる~」じゃダメなのかなって。
何者かになっていないと、人と対等に話せないんだろうか…
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もちろん、
お金を払うことがおかしいと言いたいわけではありません。
専門的な知識や経験には、ちゃんと対価があって当然です。
分かってますよ。
分かってるけど……。
同じ世代の女性には、私みたいな人、
けっこういるんじゃないでしょうか。
若い頃は、
結婚して家庭に入ることも、ごく普通の選択肢でした。
子育てが終わってから働いた人もいれば、親の介護をした人もいる。
その時その時、自分なりにちゃんと生きてきた。
それが60歳くらいになって、ふと立ち止まってみると、
あれ? 私って、何者なんだろう。
ちゃんと生きてきたはずなのに、私、どこにいるんだろう。
ちゃんと生きようとして、迷子になった。
そんな感覚です。
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