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①結局、何者にもなれずに終わる気がする60歳

ついに60歳になりました。

肩書?
ありません。

キャリアと呼べるもの?
これといって何も……。

何十年も生きてきたけど、
結局、何者にもなれなかった気がします。

もちろん、
親は私の将来をちゃんと考えてくれました。

まだ、「女に学問なんていらない」
という親も多かった時代に、

「これからは女性も、手に職をつけたほうがいい」と、

大学に行かせてくれて、資格も取ることができました。

これで一生、食べていける。

両親はきっと、そう思ったことでしょう。

ところが60歳になった今、

私には、積み上げたキャリアも、
これから続けていく仕事もありません。

なんという、親不孝。

せっかくお金をかけてくれたのに、
予定とはまったく違う人生になってしまいました。

******

20代の頃はもちろん、働くつもりでした。

仕事で成功したいし、お金も稼ぎたい。
女だからって馬鹿にされたくない。

そんな野心もあったんです。

でも、
男社会で負けないようにして。
さらに社会的地位まで手に入れるとなると、やっぱり大変じゃないですか。

だったら、

ハイスペ男子と結婚したほうが楽じゃない?

いや、身も蓋もないけど。

当時は、かなり本気でそう思っていました。

仕事するより、恋をするほうが何倍も楽しい。
理想の仕事を探すより、
理想の結婚相手を探すほうがワクワクする。

だから、必死に相手を探しました。

自分の出世より、夫の経済力。

今なら、

「いや、それ他力本願すぎるだろ」

と思いますが。

30過ぎて結婚して、子供ができて、
社会から足を洗って。

足を洗う…

本当にそんな感じです。

価値観も生活も。

一度そこから離れると、
それまでどんな仕事をしていたかなんて、誰も聞かない。

話したところで、
「へえ~、そうなんだ」で終わりです。

元会社員、公務員や教師。
看護師、薬剤師、歯医者だろうと、学校に来れば、

「〇〇君のママ」
「〇〇ちゃんのママ」

会社では部下を持つ立場でも、
担任に頭を下げて、同じように説明を聞く保護者の一人です。

女が集まれば、そりゃいろいろありますけど、

でも、

「私は〇〇です」

なんて肩書きをぶら下げる人はいなかったし、
言う必要もありませんでした。

悩みがあれば、お互いに話す。
子育てで気になることがあれば相談する。

自分の愚痴を聞いてもらえば、
今度は相手の愚痴を聞く。

深刻な話から、
どこのスーパーが安いとか、
どうでもいい無駄話まで。

そういう主婦の集まりが、
私はけっこう好きだったんです。

******

ところが最近、女性を取り巻く環境もずいぶん変わりましたよね。

60歳になって、
仕事も肩書もない私が、noteなんかをウロウロしていると、

「私は〇〇です」
「こんな資格を持っています」
「これまで、こんな仕事をしてきました」

そんな自己紹介に圧倒されます。

そりゃ、
プロフィールを書く場所なんだから、当たり前なんですけど。

当たり前でも、心がザワつく。

仕事がないことが、恥ずかしくなる。

主婦同士で話していた頃みたいに、
「それ、わかる~」じゃダメなのかなって。

何者かになっていないと、人と対等に話せないんだろうか…

文章を読んでもらいたければ、有料のメンバーシップに入り、
悩みを聞いてもらいたければ、有料相談を申し込む。

もちろん、
お金を払うことがおかしいと言いたいわけではありません。

専門的な知識や経験には、ちゃんと対価があって当然です。
分かってますよ。

分かってるけど……。

同じ世代の女性には、私みたいな人、
けっこういるんじゃないでしょうか。

若い頃は、
結婚して家庭に入ることも、ごく普通の選択肢でした。

子育てが終わってから働いた人もいれば、親の介護をした人もいる。

その時その時、自分なりにちゃんと生きてきた。

それが60歳くらいになって、ふと立ち止まってみると、

あれ? 私って、何者なんだろう。

ちゃんと生きてきたはずなのに、私、どこにいるんだろう。

ちゃんと生きようとして、迷子になった。

そんな感覚です。







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