わたしの中の棲み分け
創作小説&創作イラストを趣味にしている葉月めいこです。
わたしのスタンスと棲み分けを言語化しておこうと思います。
なんのことかというと実務や趣味のプラグイン制作などでAIを使うという状況についてです。
基本的にわたしは肯定も否定もしてもおらず、環境的に道具として使うという部分が大きいです。
まず、創作において作品自体を生成させる行為に忌避感があります。
それは創作作品はわたしの中で生み出されたものであり、一部だと感じる唯一無二という認識からです。
世界観や空気感、色や文章表現などすべてにわたしらしさが創作作品にはあると思っています。
なのでイラストや小説を生成することは絶対にしたくありません。
ではなぜ使うの?って感じる人もいますよね。
簡潔に言うと土俵が違う、とわたしは思うのです。
コードを書く、プログラミングをする分野において
創作界隈とスタンスがまず違うのです。
創作者は自分の作品を他者に奪われたくない、利用されたくないと感じますよね?
プログラマーは自分のコードを奪われてもいいのか?
正直気にならない。という人が大半だと思います。
なぜなら、コードはテクニックや手段であるから。
コードは独自性というものを必要としません。
似たような機能を作ろうとすれば似たコードになりますし
むしろオリジナリティを加えたら読みづらいだけです。
基本が決まっていてそれを部品として使うために調整をする。
だからこそコピペ文化、みたいなものがあります。
良いコードはオープンに公開するのをよしとするのが普通な界隈です。
専門書もコードの書き方などの教科書です。
法律でコードの著作があっても、どれが誰のコードなのか見分けるのは難しい。
でも自分で作ったパッケージを丸コピーされたら怒ると思います。
先ほど言ったようにコードはテクニックや手段なので、コピーした部品は動くけど、パッケージにするためには
どう表示するか、どう動かすか、設計と構築があってこそ形になります。
パッケージこそが作品とも言えます。
コードの扱いはイラストで言えば
どんなペンやブラシを使うか、フィルターを使うかという素材の部分に近いと思います。
しかしパッケージでもLICENSEにより、ライセンス表記を削除しなければ、どうぞ自由に改編/使用してくれていいですよと言うものもあります。
もちろん二次利用や商用利用を禁止しているものもあります。
なので、創作とプログラムの世界は土俵が違うから
同じ物差しで測っていると温度差がすごいことになります。
根本的な部分が違うのです。
制作者が創作者のためのプラットフォームやアプリを、という考えはプログラミングでAIを使う使わないとはイコールではありません。
使ってるくせになにを言ってるのか、と言う声もたまに聞きますが。
そしてイラストや文章がプロンプトでポンとだしされる現在の状況とは違い
AIのコード生成は検索・学習した内容をそのまま持ってくるのではなく、思考します。
お互いの存在を理解しましょうとは言いませんし、思いません。
わたしは自己責任で自作小説の分析のためには使いますが、日常で使うことはしていません。
※ 外部に公開しない、学習させない設定もちゃんとあります。
ただ並べて比べるにはあまりにも土俵が違いすぎるな、と思いこうしてnoteを書くことにしました。
現状、プログラミングの現場でAIを一切使わない、というのは少ないと思います。
企業・趣味問わず。
なにげなく使っているアプリなどでも現場では使われていると思います。
そのためわざわざ使っています、と明記する状況は少ないのではないかなと感じています。
これを見たSNSのフォロワーさん
理解できない、スタンスが合わなかったらリムをしてブロックしてくれて大丈夫です。
無理に理解を得ようとは思っていません。
創作とプログラム制作をどちらもする立場からすると
モヤモヤしてしまうことが多いので、とりあえず棲み分けを言語化してみました。
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