MBTIで自己紹介できる時代、便利すぎる
MBTIって面白いなあと思います。
診断結果を見て、わかるかも!と思う時間、けっこう楽しい。
しかも、たったの四文字です。名札としての収まりがいい。
SNSのプロフィールにも入れやすいし、会話の入口にもなる。そりゃ流行るよな、と思います。
ところが、このミーハー女は、自分の四文字ですら検索しないと思い出せません。誰かから「私はXXXXです」と言われてもピンとこない。
え?めっちゃごめん、なに?INRI?SPQR?何色のやつ?
それでも、言語化しにくい部分に名前がつくと、自分の取り扱い説明書をもらったような、なんとも楽しい気持ちになりますね。
ただ、これだけではどうも、ねえ。ここで終わるには少し物足りない。
「私はこれです」と自分からこの四文字の札を貼りに行くのも、誰かに独断と偏見だけで貼られるのもそれはそれで面白いのですが、今回したいのはそういう話ではありません。
診断で安心して、それから?
自分を説明してもらうと、なんだか安心します。今までよくわからなかった自分の反応に名前がつくと、ほっとするものがある。
自分だけが面倒な人間だったのではなく、こういう傾向として見てもいいのかもしれないと思えるし、誰かのプロフィールに四文字が並んでいるだけで、ちょっと話しかけやすくなることもあります。
だけど、便利な言葉ほど、そこで考えるのを終わりにできてしまいます。
タイプ名に合う自分は、四文字の中にすっと収まります。でも、そこから外れる自分は、「じゃあ、これは何なんだろう」と持て余してしまう。
自分を知るための言葉が、いつのまにか自分を演じるための設定になることもある。
でも、その外には、まだ自分でも知らない自分がいるかもしれません。
タイプ名に合う自分を探すだけでなく、別のタイプのやり方をちょっと借りてみる。四文字は、そういう遊び方もできます。
たったの四文字、されど四文字。「わたしはこういう人です」と言うには、あまりにも扱いやすい長さです。
四文字の外にあるもの
わたしは何かに引っかかると、そのまま好き嫌いで終わらず、なぜそう感じたのかを考察したくなります。
夜、布団に入ってからも、誰かに言われたひとことについて考える。相手はどういうつもりだったのか。なぜわたしは引っかかったのか。ひとつ考えると、気になることが芋づる式で出てくる。
もう頭は疲れているのに、「あと少し考えたら納得できる」と思っている。寝たい人と、答えを出したい人が、同じ頭の中で揉めています。
そのうち呼吸が浅くなり、肩に力が入り、目だけが冴えてきます。落ち着くために考えていたのに、落ち着くどころか眠れないくらい頭も冴えちゃってる。
そういう時は、考えるのを諦めて、身体へ意識を戻します。ゆっくり息を吐いて、背中が布団に触れている感じを確かめる。手元にある手触りが最高のモチモチの毛布や、猫のもふもふを触ってみる。
モチモチやもふもふは、わたしの問題を何も解決してくれません。相手の本心もわからないし、わたしが引っかかった理由も教えてくれない。それなのに、しばらくすると、あれほど大事だった誰かのひとことが「まあ、明日考えればいいか」くらいになっている。
わたしを落ち着かせたのは、分析ではない。呼吸と、モチモチと、もふもふです。
考えることは、たぶんわたしの得意な方法です。考えることで助かったことはたくさんありました。だからそれが間違っているとは思いません。ただ、得意なことを使い続けるだけが、自分を大事にすることではなかった。
タイプ名は、自分がどこから考え始めやすいのかを知る手がかりになります。でも、それは「いつでもその道を通ればうまくいく」という意味ではありません。
わたしは考えることに疲れた時、いったん言葉を止めて身体感覚へ戻ります。ひとりで抱え込みそうな時は、誰かに話してみることもあります。いつもの自分なら後回しにする方法が、その時の自分を助けることもある。
自分とは違うタイプの説明を読む面白さも、そこにあるのだと思います。「そんな場所から考え始める人もいるのか」と知ることは、他人を理解するためだけではない。自分が使ってこなかった道を、必要な時に借りることもできます。
診断したあとの世界で
言葉は便利です。同時に、言葉は記号でもあります。誰がどんな意図で使っているのかはわかりません。名札なのか、安心材料なのか、それとも会話の入口なのか。それは、わたしが決めるところではない。
わたしにとってタイプ名は、住む場所というより、外から一度自分を眺めるための札くらいの距離感がちょうどいいです。貼ってみると、自分がどこから世界を見始めやすいのか、どの道を使いすぎているのかが見えやすくなる。
でも、その札に自分の全部を預けたいわけではありません。自分らしい方法が、いつでも自分を助けるとは限らない。モチモチやもふもふの方が役に立つときもあります。
四文字を知ったあとにも、まだ試せることはたくさんあります。
いつもの自分なら選ばない方法を、ちょっと借りてみる。試してみる。いつもなら通らない道も歩いてみたい。
わたしは、別の道にいる自分にも会いに行きたい。
そして、一緒に好きなものを探しに行きたいです。
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