奇妙な味の小説「外で待つ女」
彼女の笑顔は、含みがあるというより、何かを省略した結果のように見えた。 カウンターの端に座る彼女に、「今度は、外で会えませんか」と声をかけた。 それがもっともらしい誘い文句だと思っていた。ぼくの傲慢だった。
「私ね、ここだから楽しいの」 彼女は困ったように、でも逃げない顔で笑った。 「外に出ると、たぶん、あなたが思ってる私じゃなくなる」
それは断り文句としては、ずいぶん丁寧だった。ぼくは「なるほど」と思った。 深追いするほど、ぼくは若くなかった。
ぼくには、妻がいた。 何不自由のない生活。だから、バーでの時間はあくまで「外」の遊びでしかなかった。 誘いを断られた理由に納得できても、心が納得するとは限らない。ぼくは逃げ道をひとつ潰したつもりで、妻の待つ家にまっすぐ帰ることにした。
それが一番、揉めない終わり方のはずだった。
玄関の扉を開けた瞬間、ぼくは息を止めた。 そこには、妻のものとは違う靴が一足、並んでいた。 細く、鋭い、見覚えのある赤のハイヒール。 心臓の音が、バーの氷がぶつかる音のように耳の奥で鳴った。
「あなた、お帰りなさい」
奥から妻が、穏やかな、しかしどこか書き割りめいた笑顔で出迎えた。 「会社の方が見えていますよ」
リビングの照明は、いつもより明るく感じた。 ソファーの中央に、さっきまでバーの端にいたはずの、あの「省略された笑顔」を浮かべた女が座っていた。 彼女は妻が淹れたであろう茶を一口啜り、膝の上で指を組み、ぼくを見上げた。
「お邪魔してます。課長」
妻が背後で、静かにドアを閉める音がした。
*この小説は、一色さんの『恋人達の時間』へのオマージュです。
