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奇妙な味の小説「白い家」

静かな丘

その建物は静かな丘の上にあった。夕暮れの光を受けて、白い壁は絵のように美しかった。しかし近づくにつれ、静けさは「満ちている」のではなく「押し寄せている」ことに気づいた。音が消えすぎていたのだ。

白い壁は月光を受けて淡く輝き、まるで現実から切り離された絵のようだった。人々はそれを「カーサブランカ」と呼んだ。白い家、しかしその名はただの色を意味するのではない。

佐久間は答えを求めに来たわけではなかった。ただ、確認したかっただけだ。扉の前に立ち、手を伸ばすと、木製の扉はわずかに開いていた。誰かが先に入ったのだろうか。

その家に入った者は、必ず「確認」することになる。過去の記憶か、未来の幻か。答えを求める者は帰ってこない。ただ確認する者だけが、扉の向こうに立ち続ける。

中は暗かった。窓はあるはずなのに、光が差し込まない。壁には古い絵が掛けられていた。丘の上の建物を描いた絵――まさに今彼が立っている場所と同じ構図だった。だが絵の中の建物には、窓から覗く黒い影が描かれていた。

「確認するだけだ」彼は自分に言い聞かせた。だがその瞬間、背後の扉が音もなく閉じた。静けさが再び満ち、彼は絵の中の影と同じ位置に立っていることに気づいた。

絵の中へ

建物の中に掛けられた絵は、彼が立っているその場所を描いていた。丘の上の建物、沈黙に満ちた空気、そして窓の奥に潜む黒い影。

彼が絵に近づくと、空気がわずかに震えた。キャンバスの表面は絵の具ではなく、水面のように揺らぎ、奥行きを持ち始める。「これは確認のためだ」――そう自分に言い聞かせながら、指先を伸ばす。

触れた瞬間、冷たい感触が皮膚を包み、重力が反転した。彼の身体は絵の中へと吸い込まれ、視界は暗転する。

次に目を開けたとき、そこは同じ丘だった。だが空は赤黒く染まり、建物は歪んだ影のように揺れていた。窓の奥にいた影が、今は外に立っている。それは人の形をしていたが、顔はなく、ただ空洞が広がっていた。

「ここが扉の向こうか…」彼は呟いた。確認のために来ただけのはずが、異世界の扉を開いてしまったのだ。

影は静かに手を伸ばし、彼を迎え入れるように立っていた。その瞬間、彼は理解した――この世界では、確認すること自体が罠だったのだ。

異世界の法則

佐久間は異世界に立っていた。足元の草は灰色で、触れると粉のように崩れた。空を見上げると、赤黒い雲が渦を巻き、その中に無数の顔が浮かんでは消えていた。

「ここは……どこだ」

顔のない影は答えず、ただ建物を指さした。現実世界と同じ白い家が、そこにあった。だが壁は呼吸するように膨らみ、窓ガラスは液体のように流れていた。

佐久間が一歩踏み出すと、地面が波打った。まるで水の上を歩いているような感覚だった。彼は建物に向かって歩き始めた。

影はついてこなかった。ただその場に立ち、彼を見送っていた。

建物の扉に手をかけると、扉は触れる前に開いた。中からは青白い光が漏れている。

佐久間は中に入った。

廊下は無限に続いているように見えた。壁には無数の絵が掛けられていたが、それらはすべて空白のキャンバスだった。だが近づくと、キャンバスの中に薄く何かが浮かび上がってくる。

最初の絵には、子供の頃の佐久間が描かれていた。公園で遊んでいる自分。だが絵の中の自分は、こちらを見て笑っていた。現実の記憶では、その日は誰も一緒にいなかったはずなのに。

次の絵には、大学時代の恋人が描かれていた。彼女は泣いていた。佐久間は確認したかった。あの日、彼女は本当に泣いていたのか。それとも笑っていたのか。記憶が曖昧だった。

「確認するな」佐久間は自分に言い聞かせた。「これは罠だ」

だが足は勝手に動き、絵に近づいていた。指が絵に触れようとした瞬間、絵の中の恋人が振り向いた。彼女の顔は歪み、口が裂けるように広がった。

「なぜ確認しなかったの?」

絵の中から声が響いた。佐久間は後ずさった。

廊下の奥から、足音が聞こえてきた。複数の足音。だが姿は見えない。

佐久間は走った。廊下を抜け、階段を上った。階段は螺旋を描き、どこまでも続いていた。壁は脈打ち、天井からは赤い液体が滴っていた。

階段の途中に、鏡があった。佐久間は自分の姿を確認しようとした。だが鏡に映っていたのは、後ろを向いた自分だった。鏡の中の自分は、こちらを見ていないのに、声だけが聞こえた。

「お前は確認したかっただけだ。だが確認した瞬間、真実は失われる」

佐久間は鏡から目を逸らし、再び走り出した。

記憶の部屋

階段を上りきると、そこには一つの扉があった。扉には文字が刻まれていた。

「確認の間」

佐久間は扉を開けた。

部屋は円形で、壁一面に時計が掛けられていた。だがすべての時計は異なる時刻を指していた。ある時計は止まり、ある時計は逆回転し、ある時計は針が溶けて垂れ下がっていた。

部屋の中央には、大きなテーブルがあった。テーブルの上には、無数の写真が散乱していた。

佐久間は一枚の写真を手に取った。それは彼の家族の写真だった。だが写真の中の母親の顔がぼやけていた。彼は必死に思い出そうとした。母の顔はどんな顔だったか。笑っていたか。泣いていたか。

「思い出せない……」

彼は別の写真を手に取った。友人たちとの写真。だが一人の友人の顔が、真っ黒に塗りつぶされていた。彼はその友人の名前を思い出そうとしたが、どうしても出てこなかった。

部屋の隅に、一人の老人が座っていた。老人は顔を上げ、佐久間を見た。老人には顔があった。だが目は虚ろで、口は動かなかった。

「あなたは……」佐久間は近づいた。

老人の手元には、日記があった。佐久間はそれを手に取り、開いた。


私は確認するために、この家に来た。妻の最後の言葉を確認したかった。「愛している」と言ったのか、それとも「許して」と言ったのか。

だが確認すればするほど、記憶は書き換わっていく。この部屋で何年過ごしただろうか。もう分からない。

写真を見るたびに、顔が消えていく。名前を思い出そうとするたびに、別の名前が浮かぶ。

私はもう、自分が何を確認したかったのかも忘れてしまった。


佐久間は日記を閉じた。老人を見ると、老人はゆっくりと崩れていった。砂のように崩れ、やがて何も残らなかった。

部屋の時計が一斉に鳴り始めた。不協和音が部屋を満たし、壁が震えた。

佐久間は部屋を飛び出した。

絵画の迷宮

廊下はさらに複雑になっていた。壁が傾き、床が波打ち、天井は見えないほど高くなっていた。

廊下の両側には、無数の扉があった。佐久間は一つの扉を開けた。

そこは美術館のような空間だった。壁一面に絵が掛けられていた。すべての絵が、同じ丘の上の白い家を描いていた。だが一枚一枚、微妙に異なっていた。

ある絵では、空が青かった。ある絵では、建物が燃えていた。ある絵では、建物が水没していた。

佐久間は一枚の絵に近づいた。そこには彼自身が描かれていた。絵の中の彼は、絵の前に立っていた。そしてその絵の中にも、さらに小さな彼が描かれていた。

無限に重なる構造。

佐久間は別の絵を見た。そこには、現実世界の建物が描かれていた。だが窓の中に、彼自身が立っていた。

「これは……」

彼は理解し始めた。この異世界と現実世界は、絵を通じて繋がっている。そしてどちらが本物なのか、もはや区別がつかない。

部屋の奥に、巨大なキャンバスがあった。それは他の絵とは違い、まだ何も描かれていなかった。ただ真っ白なキャンバスが、彼を待っているように立っていた。

佐久間がキャンバスに近づくと、突然、絵の具が空中に浮かび始めた。赤、黒、青、白……無数の色が宙を舞い、やがてキャンバスに吸い込まれていった。

キャンバスに絵が描かれ始めた。それは佐久間が絵の前に立っている姿だった。だが描かれていく彼の顔は、徐々にぼやけ、やがて消えていった。

「やめろ!」佐久間は叫んだ。

だが絵は完成した。顔のない人物が、絵の前に立っている絵。

佐久間は自分の顔を触った。まだある。まだ顔はある。だが感触は曖昧だった。

彼は部屋を飛び出した。

廊下を走ると、無数の扉が現れた。佐久間は手当たり次第に扉を開けた。

ある部屋には、逆さまの家具が浮いていた。ある部屋には、壁一面に鏡があり、無限に自分が映っていた。ある部屋には、床がなく、底なしの闇が広がっていた。

そして最後の扉を開けたとき、彼は元の場所に戻っていた。

丘の上。赤黒い空の下。顔のない影が、まだそこに立っていた。

影との対話

「お前は戻ってきた」影が言った。

「ここから出たい」佐久間は言った。「元の世界に戻りたい」

「なぜ?」影は首を傾げた。「ここでは何でも確認できる。過去も、未来も、すべての可能性を」

「だが、それは本物じゃない」

「本物?」影は笑った。声のない笑い。「お前の記憶が本物だと、どうして言える?」

佐久間は答えられなかった。

「お前は確認したかった」影は続けた。「だがな、確認した瞬間、それは本物ではなくなる。観測は対象を変える。お前が確認しようとした瞬間、真実は逃げる」

「ならば……」佐久間は拳を握り締めた。「俺は確認をやめる」

影は静止した。

「確認をやめる?」

「そうだ。俺は答えを求めない。確認もしない。ただ、存在する」

影は後ずさった。

「だが、それでは何も得られない」

「何も得なくていい」佐久間は言った。「俺はただ、自分であればいい」

その瞬間、世界が揺れた。赤黒い空に亀裂が走り、地面が裂けた。建物が崩れ始め、壁が砂のように崩れ落ちた。

影は叫んだ。

「お前は……ルールを破った……確認しない者は……この世界に留まれない……」

影は霧のように薄れ、やがて消えた。

世界は崩壊していった。佐久間の足元が消え、彼は暗闇の中を落ちていった。

だが恐怖はなかった。ただ静けさだけがあった。

残された影

佐久間は床に倒れていた。目を開けると、そこは元の建物の中だった。窓からは夕暮れの光が差し込んでいる。

彼は立ち上がり、周囲を見回した。壁に掛けられた絵は、まだそこにあった。丘の上の白い家を描いた絵。

だが絵の中の窓には、もう影は描かれていなかった。

佐久間は安堵のため息をついた。彼は絵から脱出したのだ。

だが扉へ向かおうとした瞬間、彼は気づいた。

床に、自分の影が映っている。

いや、違う。

影が二つあった。

一つは彼自身の影。もう一つは、顔のない人影の影。

佐久間は恐る恐る振り返った。だが背後には誰もいなかった。

彼は再び絵を見た。

絵の中の窓に、新しい影が描かれていた。

それは彼自身の姿だった。

佐久間は震える手で顔を触れた。感触はある。彼にはまだ顔があった。

だが、本当にそうなのだろうか?

彼は扉へと歩き出した。扉を開け、外へ出る。丘の上には夕暮れの風が吹いていた。

空を見上げると、雲が流れていた。普通の、青い空。赤黒い空ではない。

佐久間は歩き出した。丘を下り、街へと向かった。

だが彼の背後には、二つの影がついていった。

彼は振り返らなかった。確認しなかった。

ただ前を向いて、歩き続けた。


その後、カーサブランカを訪れた者は、絵の中に二つの影を見たという。

一つは窓の外に立つ影。

もう一つは窓の中に立つ影。

どちらが佐久間なのか。

どちらが顔のない影なのか。

それを確認した者は、誰もいない。

確認した瞬間、彼らもまた絵の中へと吸い込まれるからだ。

カーサブランカは今も、静かな丘の上に立っている。

次の訪問者を待ちながら。