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奇妙な味の小説「階段の途中で止まる人」

ユウが最初にその人を見たのは、火曜日の朝だった。

品川駅の西口改札を出て、地上へ続く階段。いつもと同じ通勤路。いつもと同じ時刻。だが、その日だけは違った。

階段の十三段目に、人が立っていた。

立っている、というよりも、存在していた。スーツを着た中年の男性。手には何も持たず、視線は宙を向いていた。登るでもなく、降りるでもなく。ただ、そこに。

ユウは男性の横を通り過ぎた。肩がぶつかりそうなほど狭い階段だったが、男性は微動だにしなかった。振り返ると、男性はまだそこにいた。十三段目。ちょうど踊り場と地上の中間。階段の、途中。

翌日、水曜日。同じ時刻、同じ階段。

十三段目に、人が立っていた。

だが、昨日の男性ではなかった。今日は若い女性だった。ワンピースを着て、髪を後ろで結んでいた。彼女もまた、動かなかった。登らず、降りず、ただそこに立っていた。まるで階段の一部であるかのように。

ユウは足を止めた。周囲の人々は誰もその女性を気にしていなかった。避けるように脇を通り過ぎる者もいれば、まるで透明であるかのように通り抜けようとして身体をずらす者もいた。誰も立ち止まらない。誰も不思議がらない。

「すみません」

ユウは声をかけた。女性は反応しなかった。瞳は開いているが、何も見ていないようだった。ユウは階段を登り切り、振り返った。女性はまだそこにいた。十三段目。

一週間が過ぎた。

毎日、十三段目には誰かが立っていた。老人、学生、子供、サラリーマン。性別も年齢も体格も違う。だが共通点が三つあった。

一つ、十三段目から動かないこと。
二つ、誰とも目を合わせないこと。
三つ、誰も彼らを気に留めないこと。

ユウは観察を続けた。立っている人の服装を記録した。立っている時間帯を記録した。天候、曜日、気温。すべてを手帳に書き留めた。だが、法則は見つからなかった。

ある日、ユウは試しにその段を避けて階段を登った。十二段目から十四段目へ、大股で跨いだ。その瞬間、足が重くなった。まるで水の中を歩いているような抵抗。空気が濃密になり、一歩進むのに全身の力を使わなければならなかった。

ユウは立ち止まり、十三段目を見下ろした。そこには中学生くらいの少年が立っていた。制服を着て、鞄を持って。だが、その鞄は床についていなかった。宙に浮いていた。少年の手に握られたまま、重力を無視して。

ユウは息を呑んだ。だが、次の瞬間には鞄は普通に下がっていた。見間違いだったのかもしれない。ユウは階段を登り切り、会社へ向かった。

その日、仕事が手につかなかった。

二週間目。ユウは図書館へ行った。

品川駅の歴史を調べた。西口階段の建設年月日、改修工事の記録、事故の有無。データベースを漁り、古い新聞記事を読み漁った。だが、何も見つからなかった。十三段目で起きた特別な出来事は、記録されていなかった。

だが、ユウは諦めなかった。地元の郷土資料館を訪れ、駅周辺の古地図を調べた。そして、ある事実に気づいた。

現在の西口階段がある場所には、かつて別の建物が立っていた。戦前の写真には、小さな旅館が写っていた。「亀屋」という看板。その建物は空襲で焼失し、戦後に駅が拡張された際、階段が作られた。

ユウはさらに調べた。亀屋に関する記録。宿帳、営業記録、従業員名簿。だが、ほとんどが失われていた。唯一残っていたのは、一枚の白黒写真。旅館の玄関前で撮影された集合写真。従業員と思われる人々が並んでいた。

写真の端に、階段が写っていた。旅館の内部へ続く階段。数えると、ちょうど十三段。

ユウの背筋が冷えた。

三週間目。ユウは十三段目に足をかけた。

朝、いつもの時刻。階段にはまだ誰も立っていなかった。ユウは意を決して、その段に両足を揃えた。

瞬間、世界が変わった。

音が消えた。駅の雑踏、電車の音、人々の足音。すべてが遠のき、まるで水の底にいるような静寂。ユウは周囲を見回した。人々はまだそこにいた。階段を登り降りしていた。だが、彼らは透明なフィルターを通して見ているように、ぼやけていた。

ユウは足を動かそうとした。だが、身体が重かった。膝が固まり、足首が動かなかった。息をするのも苦しかった。空気が濃密で、まるで固体のようだった。

どれくらいそこにいただろうか。時間の感覚が失われていた。一分かもしれないし、一時間かもしれなかった。

誰かがユウの横を通り過ぎた。いや、通り過ぎようとして、身体をずらした。まるでユウが障害物であるかのように。

ユウは気づいた。

自分が、見えていない。

自分が、その段に立つ人になっていた。

恐怖が込み上げた。ユウは必死に足を動かそうとした。階段を登ろうとした。降りようとした。だが、身体は動かなかった。まるで階段に固定されているかのように。

そのとき、記憶が蘇った。

子供の頃、この階段で転んだ。いや、転んだのではない。誰かに押された。いや、違う。足を踏み外した。いや、そうでもない。

記憶が曖昧だった。記憶が重なっていた。記憶が、複数あった。

ユウは、この階段で何度も転んでいた。いや、ユウではない誰かが。何度も、何度も。同じ段で。十三段目で。

そして、ある日、そのまま動けなくなった。登ることも降りることもできなくなった。途中で止まった。

記憶は、そこで途切れていた。

ユウが気づいたとき、身体は動いた。

十四段目へ足を踏み出すことができた。音が戻ってきた。人々の姿がはっきりと見えた。ユウは階段を登り切り、外へ出た。

振り返ると、十三段目には誰もいなかった。

だが、ユウは知っていた。明日になれば、また誰かがそこに立つ。違う服装で、違う年齢で、違う性別で。だが、同じ段に。

ユウは手帳を開いた。記録したすべてのページを破り捨てた。もう記録する必要はなかった。もう理解する必要もなかった。

階段は、ただの構造ではなかった。それは、記憶の断面だった。途中で止まった記憶。完結しなかった物語。語られなかった言葉。

そして、ユウもまた、その一部だった。

一ヶ月後、ユウは転職した。品川駅を使わなくなった。だが、たまに夢を見る。十三段目の夢を。

夢の中で、ユウは立っている。登らず、降りず、ただそこに。誰も気づかない。誰も立ち止まらない。

だが、ユウは知っている。

いつか、誰かが気づく。いつか、誰かが立ち止まる。そして、その人もまた、十三段目に足をかける。

途中は、終わらない。

途中は、続いていく。

語られない者は、途中に立つ。そして、階段は今日も、誰かを待っている。