奇妙な味の小説「窓の外の男」
一
ユウが窓の外を見るようになったのは、いつからだったか正確には覚えていない。
朝、カーテンを開ける。向かいの電柱の横に、男が立っている。グレーのコートを着て、両手を下ろし、こちらを見ている。見ているのか、見ていないのか。距離があるので表情は読めない。ただ、視線の方向だけが、ユウの部屋に向いている。
最初は気にならなかった。朝の散歩をしているのだろう。待ち合わせをしているのだろう。そういう風に思っていた。
だが、三日目も、五日目も、十日目も、男は同じ場所に立っていた。
同じ時間。同じ姿勢。同じグレーのコート。
ユウは、記憶を疑った。
二
ある朝、雨が降っていた。
ユウはカーテンを開けた。電柱の横に、男が立っていた。傘は差していない。雨に濡れている様子もない。ただ、そこに立っている。
次の日は晴れた。男は、同じ場所に立っていた。
その次の日は曇りだった。男は、変わらずそこにいた。
ユウは、近所の人に聞いてみようと思った。だが、何を聞けばいいのか分からなかった。「毎朝、電柱の横に男が立っているのを知っていますか」と聞いて、何が得られるのだろう。
ユウは、窓の外を見続けた。
三
二十三日目の朝、男が瞬きをした。
ユウは、それを見た。
瞬きは一瞬だった。だが、確かに見た。男の瞼が閉じて、開いた。
ユウの心臓が、重く鳴った。
それまで、男は動かなかった。風景のように、そこに在った。だが、瞬きをした。生きている。生きているのか。それとも、生きているように見えるだけなのか。
ユウは、窓を開けて声をかけようとした。だが、声は出なかった。
男は、変わらず立っていた。
四
ユウは、外に出た。
電柱に向かって歩いた。距離が縮まる。男の輪郭が鮮明になる。グレーのコート。黒い靴。白いシャツ。顔は、まだ見えない。
十メートル。五メートル。三メートル。
ユウが手を伸ばそうとした瞬間、男が消えた。
消えた、という言葉では正確ではない。ユウが視線をずらした一瞬の間に、男はそこにいなくなっていた。音もなく。気配もなく。
ユウは、電柱の周りを見た。何もない。誰もいない。
翌朝、男は同じ場所に立っていた。
五
ユウは、男を観察し続けた。
毎朝、窓を開けて、男を見る。男は、動かない。瞬きをすることもなくなった。
だが、ユウは気づき始めていた。
自分が、男に似てきている。
朝起きる時間が、同じになった。窓の前に立つ姿勢が、同じになった。着ている服が、グレーのものばかりになった。
ユウは、鏡を見た。自分の顔が、少しずつ変わっているように感じた。表情が、減っていく。笑うことが、少なくなっていく。
ユウは思った。
私は、見ていた。だが、見られていたのは私だった。
六
五十日目の朝、ユウはカーテンを開けた。
電柱の横に、自分が立っていた。
グレーのコート。黒い靴。白いシャツ。両手を下ろし、窓の中を見ている。
ユウは、自分の体を見た。体はあった。だが、重さがなかった。温度がなかった。
ユウは、窓の外の自分を見た。
窓の外の自分は、こちらを見ていた。
ユウは、部屋の中を見回した。部屋は変わらずそこにあった。だが、自分がそこにいる感覚がなかった。
ユウは、窓の外に立っていた。
窓の中には、誰もいなかった。
七
朝、誰かがカーテンを開ける。
窓の外に、男が立っている。
グレーのコートを着て、両手を下ろし、こちらを見ている。
男は、動かない。
風景のように、そこに在る。
そして、誰かが、男を見ている。
毎朝、同じ時間に。
風景は、語らない。
だが、語られる者は、風景になる。
