奇妙な味の小説「未来は見えません」
第1章:偽りの眼
占いの館「千里眼」は、雑居ビルの三階にある。看板の電球が二つ切れている。天城樹はその薄暗い部屋で、今日も客の手を握っていた。
「あなたの運命線は……ああ、ここで二股に分かれている」
嘘だ。ただのしわだ。
「つまり、重要な選択が近づいている。でも安心してください。あなたには直感がある。その声に従えば」
客の目が潤む。天城は慣れた手つきで水晶玉を撫でた。劇団時代に学んだ「間」を使う。三秒。視線を外す。また戻す。
「大丈夫です。あなたは正しい道を選べる人だ」
客が帰った後、天城は空のペットボトルを蹴飛ばした。虚しい。十年前、舞台で拍手を浴びていた頃の自分は、今の自分を軽蔑するだろうか。それとも笑うだろうか。
夕暮れ、ドアが開いた。
少女が立っていた。十代前半。制服。無表情。
「予約は……」
「あなたは未来を演じているだけ」
少女の声は、まるで録音されたもののように平坦だった。
「何を言って――」
「本当は何も見えていない。でも、それでいい。人は嘘でも救われる。あなたはそれを知っている」
天城の背筋が凍った。この子は何者だ。
「私はミナ。私には未来が見える」
少女は目を閉じた。
「明日の午後三時、この建物の一階で火事が起きる。でも誰も死なない。消防車は四台来る」
「……冗談だろ」
「信じなくていい。でも、私はあなたに必要。あなたも私に必要」
ミナは何も言わずに去った。
翌日午後三時。階下から煙の匂い。サイレン。消防車が四台。
天城は震える手で、ミナの残していった紙切れを見た。そこには電話番号だけが書かれていた。
第2章:予言の少女
「どうやって……」
天城がミナに電話をかけると、彼女はファミレスで待っていた。ドリンクバーのコーラを飲みながら、窓の外を眺めている。
「未来は川みたいなもの。流れを見れば、石がどこに落ちるかわかる」
「哲学じゃなくて、具体的に教えてくれ」
「教えられない。あなたに見せることはできる」
ミナは天城の手を握った。冷たい。
「来週の水曜日、あなたの客に山崎という男が来る。彼は妻の浮気を疑っている。でも、妻は浮気していない。彼の母親が嘘をついている」
「なぜそんなことを……」
「母親は息子を支配したい。妻を追い出したい。あなたが『妻は浮気している』と言えば、彼は離婚する。あなたが『妻は浮気していない』と言えば、彼は母親と絶縁する」
「つまり、俺が未来を決める?」
「違う。未来はもう決まってる。あなたは山崎に『母親と話し合え』と言う。彼は話し合う。母親は泣いて謝る。家族は壊れない」
予言は的中した。
山崎という男は本当に来た。天城がミナの言った通りに告げると、男は涙を流して帰っていった。一週間後、礼状が届いた。
「これで、あなたは本物になった」
ミナは笑わない。
天城は彼女を雇った。いや、パートナーにした。客が来るたび、ミナは裏の部屋で「未来」を教える。天城はそれを「占い」として語る。
評判は広がった。SNSで拡散され、地方のテレビ局から取材が入った。
「奇跡の占い師・天城樹、的中率100%の謎」
スタジオで、天城は笑顔を作った。隣にミナはいない。彼女はカメラを嫌がった。
「占いというより、心の声を聴くんです。皆さんの中には答えがある。僕はそれを引き出すだけで」
嘘だ。全部ミナだ。
帰り道、ミナが言った。
「これはあなたの未来ではない」
「どういう意味だ?」
「あなたは本当は、舞台に戻りたい。でも、あなたはもう戻らない」
天城は何も言えなかった。
第3章:未来産業
全国ネットのトーク番組に出演が決まった日、天城の携帯に知らない番号から電話がかかってきた。
「天城さん、お忙しいところ恐れ入ります。ベンチャーキャピタルの桐島と申します」
男の声は滑らかで、計算されていた。
「ご活躍、拝見しております。ぜひ一度、お話を」
高層ビルの会議室。革張りの椅子。窓からは東京タワーが見える。
「単刀直入に申し上げます。株価を予言していただけませんか」
桐島は資料を広げた。グラフ、数字、企業名。
「もちろん報酬は充分に。一件につき、300万円」
天城は躊躇した。ミナに尋ねると、彼女は首を振った。
「やめたほうがいい」
「なぜだ?」
「未来が濁る」
「濁るって……」
「未来を見る人が増えると、未来が歪む。川に石を投げすぎると、流れが読めなくなる」
しかし、天城は断れなかった。桐島は政治家と繋がっていた。選挙予測、政策の行方、スキャンダルのタイミング。
「天城さん、あなたは国を動かせる」
ミナは疲れていった。一日に何度も「未来」を見るようになり、彼女の顔は青白くなった。目の下に隈ができ、食事も喉を通らなくなった。
「もう休め」
「休んだら、あなたは困る」
「お前の体のほうが大事だ」
「嘘。あなたは私がいないと、何もできない」
ミナの目に、初めて感情が浮かんだ。それは軽蔑だった。
ある夜、ミナが言った。
「未来が濁ってきた。見えるけど、見えない。いくつもの未来が重なってる」
「どういうことだ?」
「誰かが未来を変えてる。予言が予言を壊してる」
テレビをつけると、ニュースが流れていた。
「大手IT企業の株価が暴落。インサイダー取引の疑いで」
それは、天城が予言した企業だった。桐島が「買い」を推奨し、多くの投資家が飛びついた。しかし株価は逆に動いた。
ミナの予言が外れた。初めて。
電話が鳴り続けた。桐島、テレビ局、週刊誌。
「詐欺師」「インチキ」
天城は携帯を投げ捨てた。
ミナは床に座り込んでいた。
「未来は一つしかない。誰かが見れば、誰かが失う」
第4章:交差する未来
天城は追い詰められていた。契約は次々と破棄され、占いの館には客が来なくなった。ネットには誹謗中傷が溢れ、家の前には週刊誌の記者が張り込んでいた。
ミナは自分の部屋に閉じこもったまま出てこなかった。
ある日、天城はミナの部屋のドアを叩いた。
「なあ、話をさせてくれ」
返事はない。
「俺が悪かった。お前を利用した。でも、お前がいなくなったら、俺は……」
ドアが開いた。
ミナは憔悴していた。髪はぼさぼさで、目は虚ろだった。
「あなたに見せたいものがある」
彼女は天城の手を取った。
瞬間、天城の目の前に映像が流れ込んできた。
夫婦が笑っている。山崎だ。あの時、天城が「母親と話し合え」と言った男。彼の家族は幸せそうだ。しかし、画面が切り替わる。
別の夫婦。口論している。殴り合っている。子供が泣いている。
「これは……」
「山崎が幸せになる未来を選んだとき、別の誰かの未来が壊れた」
「誰だ、これは」
「あなたは知らない人。でも、山崎の母親が謝罪したことで、彼女は別の息子に依存した。その息子の家庭が壊れた」
映像は続いた。
株価の予言で大金を得た投資家。その裏で破産した家族。選挙で当選した政治家。その裏で自殺した対立候補のスタッフ。
「未来は繋がってる。一つの予言は、無数の未来を変える。誰かを救えば、誰かが犠牲になる」
天城は膝をついた。
「じゃあ、どうすればいい?」
「何もしない。未来を見ない。語らない」
「それじゃ、お前は何のために……」
「私も知りたかった。なぜ私に未来が見えるのか。でも、わかった。見えてはいけないものだった」
ミナは立ち上がった。
「私はもう予言しない。あなたも、もう占いをしないで」
「待てよ、それじゃあ俺たちは……」
「それぞれの人生を生きる。未来に縛られずに」
ミナは部屋を出ていった。
第5章:見えない明日
三ヶ月後。
天城は再び、占いの館「千里眼」にいた。看板の電球は全部切れていた。客はほとんど来なかった。
たまに来る客に、天城はこう言うようになった。
「未来は見えません」
客は戸惑う。
「でも、いいんです。未来が見えないからこそ、あなたは自由に選べる。誰の予言にも縛られずに」
客の中には怒って帰る者もいた。しかし、中には涙を流す者もいた。
「ありがとう。それが聞きたかった」
天城は、かつての虚しさとは違う、何かを感じていた。それは誠実さだった。
ある雨の日、ドアが開いた。
ミナだった。
彼女は制服を着ていた。髪は切られ、少し健康そうだった。
「元気そうだな」
「学校に戻った。普通の中学生をやってる」
「未来は見えるか?」
「見えない。見ないようにしてる」
二人は黙って、雨の音を聞いた。
「ねえ、天城さん」
「ん?」
「あなたの未来、見ていい?」
天城は首を振った。
「いらない。俺は今日を生きる。明日は明日が教えてくれる」
ミナは、初めて笑った。
「それが、いちばん誠実な予言だね」
彼女は帰っていった。
天城は窓の外を見た。雨が上がり、虹が出ていた。
未来は見えない。
それでいい。
それが、人間だから。
