俺の双極性障害の歴史 vol.2
あと何を書こう。それから、補習をするバイトをしていたのだが、一度すっぽかしてしまうことがあった。そうしたら、次やったらクビですと言われたのでやめた。なんかむかついた。そんな経営の仕方をしているんだと思った。これまで自分が頑張ってきたのは関係ないんだと思った。まあ今思うと当然のルールだと思うが、じゃあこっちから辞めてやるよって感じだった。まあ飽きていたのだと思う。
当時別の塾のバイトを友達づてで誘われていた。自分が行っていた高校のすぐ近くの地元の補習塾だった。友達の友達が働いている塾で講師が足りないからと、慶應に行っていた友達が誘われたので一緒にやらない?って感じだった。面接にも友達と行った。面接のシートに将来の夢はなにかと書いてあったので笑いながら「広い意味での教育者」と書いていた。まあ躁状態だったのだと思う。
そのあとは話が早かった。塾にいる全員の先生に片っ端から話しかけて飲み会を開催した。この時の経験から新しい環境に行くと躁状態になりやすいのだと学んだ。飲み会をやるので45歳くらいの塾長もどうですか?と聞いたら、私はいいですと言われた。でもポケットから裸で三万円くれた。多分会社からお金とか出ないんですかと自分が聞いたんだと思う。そのお金で飲み会を盛大に開催した。その飲み会も今はあまりやっていないらしい。今もやればいいのにと思うけれどそういうわけにはいかないらしい。その塾には2022年8月から2025年3月まで働いていた。何回も鬱になった。バイトに行けない日もあった。二日連続で当日欠勤してしまうこともあって辛かった。バイト先からいつか追い出されるのではないか、クビになるのではないかって不安でいっぱいだった。でも生徒と話している時間だけは誰にも邪魔されないので嬉しかった。結局それから今も塾で働いている。別の塾に移って。
就活
就活をしていたのは2021年の夏くらいだったと思う。もう就活はめちゃくちゃだった。自分にできるはずもなかった。なぜか就活を家でしていた。オンラインが多かったからだと思う。オンラインでしているとなぜ就活をしているのか分からなかった。結局なぜか選考に進んだ会社に内定した。半年くらいかかった。もう諦めていた。別に就職できなくてもいいやと思っていた。でもこんなに自分は力があるのに、なぜダメなんだろうと思っていた。もう嫌だった。就活なんてすぐ辞めたかったけど、まあやらないと行けないと思っていたからやっていた。内定先となった会社の選考としてあった1dayインターンで人事の人が背中がざっくりと開いていたニットを着ていたのを見て、「あれエロかったよね。」と他の就活生に言われて心底引いた。こんな気持ち悪いこと言う人いるんだと思った。しかしその場では言わなかった。こういうことは自分の周りではたくさんある。インターンはグループで行われるもので、基本3人だったけれど、自分は2人だった。気の強い女の子とチームで全然まとまらず、うまくいかなかった。でも自分にとってはすでに昼夜逆転していたので、朝起きて8時の中目黒まで行ってインターンをこなせただけでよかった。朝起きる練習をするためだけにコメダ珈琲に行っていた。そんな自分が情けなくて今思うと涙が出てくるけれど、その時はそれも思わなかった。鬱だったのだと思う。しかし、今あげた2人とも落ちて、自分がその会社の内定者第一号となった。不思議なことだった。人事の人は、インターン大変だったでしょと言われた。あの女の子すごかったもんねと。わかってくれてるんだと同時に、そこまで見ているのかと驚いた。その女の子に合わせている自分まで見てくれていたんだと。今書きながら思い出した。就活ってのは基本的に表面しか見ていないと思っていたから感動した。ああ見ていてくれる人はいるんだなあと思った。その後の面接もなぜか終わったあとは元気になっていた。正直その会社がどんなビジネスをしていて、どんなふうに稼いでいるのかは知らなかったし、どうでもよかった。けど、カルチャーが好きだった。空気感が好きだった。空気が好きだった。この空気か好きかどうかはすごく大事なことだ。双極性障害の自分にとって空気ほど大事なものはない。息苦しいところにいると、本当に窒息死してしまう。心が。この感覚を掴むのに5年かかった。だから皆さんもこの感覚を忘れないでいてください。その感覚がなんとなくあったのでことは首尾よく進み、最後の社長面接までいった。社長はタクシーに乗っていた。最終面接をタクシーでオンラインでやるんだと思ったが、なんか話していたら内定が決まっていた。褒めてくれていた気がする。なんか言葉にできる人は強いみたいなことを言っていた気がする。役員面接は対面でやったのでなんで社長がオンラインだったのかはわからないけれど、まあいいかと思った。結果的に内定が出た。内定承諾書にサインした帰りに、一つ前の町屋駅で降りて、花を買って帰った。お父さんには青、お母さんにはピンクの花束を。これで子育ては終わりだから。俺は社会人になって一人前になるよという意味で花束をあえた。嬉しかった。母親と父親を喜ばせるために生きているので、すごく嬉しかった。でも、すぐに内定を辞退してしまうのだけれど。
内定式が近づくにつれて
なんかパーティーに参加していた。品川で。その日はバスケをする予定があったので、バスケ道具も持っていた。バスケ道具の一つのボールは中学の同級生にもらったもので、いつか外で使っていたら破裂した。面白かった。パーティーというのは内定先の創立記念日かなんかでアメニティーで会社の名前が漢字で書かれている銭湯用のタオルと、マスキングテープだった。それは今でも使っている。感謝。そのパーティーにはブレザーで参加していた。パーティーと聞いたのでおしゃれをしていったら。今日はきれいな格好をしているねと言われた。そういうことを言われるのはかなり恥ずかしいのでやめてくれと思った。ちょっと場違いだったかなと不安になった。今思うと確かに、内定者がブレザーに金のレジメンタルのネクタイを巻いて、ラルフローレンのチノパンを履いていたら少し変かもしれない。まあいいか。あとは自分はでかい。179cmで75kgあり、がっしりしている。ラグビー体型と言われる。威圧感があるのだと思う。しっかりそのパーティーの最後の集合写真にも写っていた。もう1人の内定者であるオグは来ていなかった。なにか都合が悪かったのだろう。このオグのことは大好きだった。とてもいいやつだった。都立の野球の、強豪校のエースで、明治大学に行っていた。趣味はゴルフと登山で、車はマツダに乗っていた。地元もお互い下町で、なんとなく雰囲気が似ていた。でも憧れていた。一緒に宅建の勉強をしていた。内定先が不動産業界で取れたらとっておいた方がいいと言われたからだ。地元の北千住で勉強したり、オグの地元の近くで野球をやったりしていた。地元の駅まで行ったら車で迎えに来てくれて、心底かっこいいなあと思っていた。自分は車が運転できないからだ。かっこいいなあと思っていたけど、自分は内定を辞退した。鬱になったからだ。
内定辞退
内定を辞退した。鬱になったから。鬱になったから辞退したのか。辞退したくて鬱になったのか分からない。後者はありえないけれど、鬱がそうしろと言っている気もした。お前このまま行くと死ぬぞと死神が言っているような気がした。そもそも重大なことを2022年8月くらいに気づいた。
自分は双極性障害だとは会社に言っていなかったのだ。なぜ言っていなかったのか。それはなんとなくだ。言ってもいいことがないと思った。それは事実だと思った。言ってもいいと思っていたけど、それは嘘をついていることのような気もした。そもそも双極性障害であることを隠して就活をしていたのだから、内定した後に言うのは反則だと思っていた。そもそも精神疾患というのは人に言うべきものなのか。分からない。
今の現時点での考えは、すぐには言わない方がいいと思う。偏見があるからだ。偏見があるから、言わない方がいい。でも、少ししたら言えばいいと思う。職場で信頼を得てきたら、しっかりと伝える。そうしたら、ああそうなんですねと受け取ってもらえる。こんな話を聞いたことがある。アイドル好きの男を彼氏にはしたくないけれど、彼氏がアイドル好きなのはいい。つまり、好きになった人であれば寛容になれるけれど、知らない人の悪い部分は受け入れられない。そんな感じだ。
現在のバイト先では、躁状態の勢いで入社して、基本週一でやりながらも、講師の人の急な欠勤をカバーしたりして、信頼を得て、3ヶ月後くらいに実は双極性障害なんですと伝えた。これはすごい進歩だ。言ってみたらそうなんですねとなった。まあバイトだし、相手も双極性障害がどんなものか知らないってのが本音だと思うけど、職場でのカミングアウトに成功した事例を伝えておきたい。
話を戻すと、内定先には伝えていなかったので、いきなり2022年の8月ごろに伝えることになる。すぐ話し合いが行われた。現状を伝え、今後の対策を考えた。しかし、自分にはもう遅かった。完全に鬱になっていて人事の方の話は耳に入らなかった。最初はシフト制とかインターンとかを提案してくれたけど、もう無理だった。働くことなど自分には無理だし、諦めるべきだし、このまま働いたら自殺するとまでは思っていた。
この直感は少し的を得ていると2026年現在では思っている。自殺をしてしまうというのは言葉が強すぎるが、かなり落ち込んでいたと思う。会社に意気揚々と入る。仕事ができない自分に気づく。しかし、期待に応えようともがく。そこに躁鬱の抗えない波が来る。仕事を休みがちになる。もう戻れないと嘆く。その先には深い絶望の淵が待っていたと今でも思う。それでもその想像は解像度が粗く、分からないし、働いてみたらいいじゃないのって指摘はもっともなのでやってみたらいいのにと、今でも就職しておけばよかったと鬱で悩むので正解はわからない。
でも感覚値としては、大幅な下落を避けるために早めに退避した感じだろうか。投資で言えば損切りした感じだ。もしかするとその株価はその後に上昇するかもしれなかったが。
まあそんなわけで、春からフリーターになることが決まったのが2022年9月。卒業が決まっていた。内定したと周りの友達にも言っていた。
卒業ができた
卒業ができたのは奇跡だ。これだけは本当に奇跡だと思う。大学だけはなんとか出た。このことにどれくらい価値があるのかはもっと先になったときにわかるけれど、今でも価値を感じている。一番のハイライトはもう治ったと思って断薬した結果、文字が読めなくなった時のことだ。ここは母親に聞いてみないとなんとも言えないのだが、調子が良く、薬を飲むのを辞めていた時期があった。そうしたら文字が読めなくなった。と同時にテスト期間がきた。これを落としたら卒業ができない。そこからは自分が持っている人脈を総動員した。20単位分の必要なレポートや小テストを全部人にやってもらったのだ。我ながらすごいことだと思う。これを指して奇跡だと思っている。
家族で分担して映像授業を視聴してもらい、小テストを受けてもらう。代わりにレポートを友達に書いてもらう。これでフル単を取った。すごいことだ。すごすぎる。本当に感謝してもしきれない。感謝ばかりの人生。
こんなことがありながら、卒業することはできたのだが、気づいたら就職もできず、宙に放たれていたが、なんとなくやることは決めていた。
お笑いをやる
お笑いをやることにした。理由はわからない。お笑いが好きだったから。お笑い芸人を一度やってみたかったから。誘う人は決めていた。高校の同級生のオトだ。高校の近くの塾(アトム)に誘ってくれた人でもある。オトはお笑いが好きだった。なにより俺のことを面白いと思ってくれていた。
そこからラジオを毎週録るようになり、M-1などの賞レースも出た。結果は出なかった。鬱になり、2025年1月に解散した。オトには非常に申し訳ないと思った。でもオトはその次の年度からお笑い事務所の社会人コースに入り、晴れてオーディションに合格してプロのお笑い芸人となった。さすが俺の込んだ男だ。と思った。言わなかったけど。
その同時期もアトムで働いていた。その頃にはまあこのまあお笑いみたいな好きなことやってバイトで遊ぶ分稼いでいけばいいかなと思っていた。お笑いみたいな自分の好きなことをやる場があればと。
でもお笑いがなくなった後は少し辛かった。それでも2025年3月にオトを誘ったノブが就職するということで、自分も塾を辞めることになっていた。塾では内定を辞退した話をせずに大学院に行くことになっていたからだった(嘘)。大学院の院試を受けていたノブはそれを怪しんでいたので、ノブには双極性障害のことを話した。優しく聞いてくれた。これにも本当に助かった。ノブは否定せずに聞いてくれた。鬱で塾に行ったあとは、ノブに毎回話を聞いてもらっていた。ノブの家の前に自転車を置かせてもらっていたので、駐輪場代として缶ジュースを奢ったりして。そうやって人に話すことはかなりセラピーとして効果があったと思う。それでも他の人には病気のことを黙っていたし、黙っているのは辛かった。でも話して偏見を持たれるのはもっと辛いと思っていたので言わなかった。
イトウを始めとした高校の友達
その当時は高校の友達とは月一くらいで会っていたのだが、就職している設定で会っていた。内定までは言ったが、内定辞退は言っていなかったからだ。そもそも病気のことを話していなかった。
ちなみに今もほとんど言っていない。理由は働いていないと言うのが恥ずかしいからだ。いや実際にバイトはしているのだが、大学を卒業してバイトをしているのが恥ずかしいので言っていない。でも言ってみてもいいかなって気持ちにはなっている。
最近まで「えびは仕事どう?」と言われたら「ぼちぼちだね。」とか答えていた。もうバレているんじゃないかとも思っていたが、サッカー部(筆者は元サッカー部)のマネージャーに聞いたら普通に仕事をしているんだと思っていたらしい。
双極性障害を人に言うタイミングは難しい。躁の時は全員に言ってしまおうと思うけれども、鬱の時にそれを後悔する。そもそも元気な時は自分のことを病気とすら思っていないけれど、鬱の時には自分は本当にダメな人間だと思っているので、普通な時がわからない。それでも友達といる時は普通の人を装っているので、病気と言って気を遣われてしまうもの嫌だ。
例えば、鬱になることがあると言うと傷つけないように多くの人がしてくれるのだろう。しかし、そんな気遣いはむず痒くなるし、そんな一言で鬱になるわけでもない。この鬱になる理由がないというのが双極性障害の理解し難い点だと思う。今の所の理解としては、誰にでもある気分の浮き沈みがバイトにすらいけないくらいあるので障害として社会に社会に発現しているというのが理解しやすいかと思っている。
しかし、傷つきやすいのも事実なので優しくはしてほしいが、それは病気じゃなくても優しくしてほしいと思う。
だから結論としては、病気だからどうしてほしいってのはないのだ。
結局自分というものが双極性障害と一体化しているので、病気を受け入れてほしいってのは、自分を受け入れてほしいということと同義なのでかなり難しい申し入れとなる。そもそも自分を受け入れてほしいのはみんなそうだろって思うし、そんなことを他人に言われてもできる限りはするけど、全部は無理かもですと言うかもしれない。
じゃあいつ言うか。やはり会社員として働いていないことは言ったほうが気がするが、それもマネージャー(以下ダイチャン)に言わせると、人は他人にそこまで興味がないらしい。だから無理に言わなくていいと言われた。そうなのか。嘘をつくのは悪いことだと思っていたので、それは訂正したほうがいいと思っていた。しかし、興味がないで一掃されてしまったので、少し悲しかったが、気持ちがよかった。
でも、最近イトウとすみっきーには塾でバイトをしていることを伝えた。やりたいことがあるからと。それがなにか聞かれたので形になったら伝えるねと言っておいた。形になるとはこの文章が本になったらとかだ。すみっきーには「YouTuber?」と聞かれたので。「それもやるかもねえ。」と伝えておいた。実際にその二週間後にYouTubeを始めた。
そんなこんなで人生は進んでいる。今日書ききれなかったこともたくさんあるけれど、今は楽しく過ごしている。こうやって文章を書いて、それを本にするために頑張っている。あとは塾で働いて、自分の塾を開業しようとしている。他には絵を描いたり、YouTubeで毎日喋ったりしている。家事をしたり、料理もしている。毎日ランニングしたり、本読んだり、スケボーに乗ったり。1日5回から筋トレもしている。短歌も作っているし、英語の勉強もしている。結局書けなかったけれど、資産形成についても学んでいる。父の話をたくさん聞いて、母の負担をまずは減らそうとしている。お金も少しずつ稼げるようになりたいと思っているし、病気も寛解に向けて動いている。自分に合うカウンセラーを探している。家の近くの共同書店で店番も始めた。大学時代の友人とも少しずつ会い始めた。止まっていた時が少しずつ動き始めた。昼夜逆転して、ベッドで12時間寝ていた自分よりかは生き生きしていると思う。このことと、激動の2025年(アトムを辞めて、武田塾の面接に落ちて、八百屋で働いて、鬱になり引きこもりになり、今の塾でバイトを始め、文章を書き始め、発信し始めた)についてはまた今度書きたいと思う。ここまで読んでくださりありがとうございます。コメントやいいねお待ちしております。普段はエッセイを毎日書いていますのでそちらもどうかよければ。編集者の方もご連絡お待ちしております。これと一個前の文章は大体4時間くらいで書きました。よろしくお願いします。
