幼い頃持っていた神通力
今日もふと思ったことを書いてみる✍️
今思えば幼い頃は周りの物事に対する感覚が優れていて、不気味なものや邪悪なものを知覚する能力があったような気がする。
背中に目があるかのように人の気配を察知したり、背後から何者かが尾行されていると感じれば、瞬時に危機を察知していた。(どういう状況???👆)
子供の頃は夜トイレに行くのを怖がったりするけれど、危険を感じる能力をより感覚的に本能的に持っていたのかもしれない🦁
そんな第六感を思い出すエピソードがある。
幼稚園の頃、地元のスーパーで父親と歩いていて帰宅しようと自動ドアに向かっていたところ
後ろから尾行されている気配を感じた。
振り返ると、大きな大人が自分を見ながら早足で近づいてくる。
本能で恐怖を感じて思わず逃げ出したところ
父親と何か話しており、芸能事務所のスカウトだったらしい。
結局幼稚園の遠足と芸能事務所の試験?が被り、遠足を選んだためその後は何事もなく過ごしていたが
後に調べてみたら、スカウトしてきた会社は月謝詐欺芸能事務所で逮捕されているニュースが見つかった。
理由は分からないけれど、邪悪なものを敏感に察知する神通力のようなものが、幼い頃にはあったのかもしれないと思い返した。
超便利生活によって失ってしまった感覚
先日、2005年に発生した福知山線脱線事故の1両目に乗車して生還を果たした方のブログを読んでいた。
(実は小学校の卒業文集は福知山線脱線事故について書いた📕
尼崎市にある事故現場の追悼施設も訪れたことがある。)
事故直前、伊丹駅で72mオーバーランした際の状況がこのように記されている。
なんか気まずく感じるほどの、空気までもが静止したような、いやな時間が流れる。そのため、電車がバックを始めるまで、10秒ほどかかったように感じた。もちろんそんなにはかかっていなかっただろうが、それほど長く感じるほどの、いつものオーバーランよりは長い「間」であった。
今の自分はこんな風に異変を感じ取れるほど、世界を感覚しているだろうか?
72m(約4両分)ホームを通り過ぎるほど速度を出している異常事態。
乗っている電車に異変を感じても「何かおかしいな」と思って降りる決断を今の自分はできるだろうか?
電車の車内でスマートフォンや音楽に夢中の生活を送っていたら、きっと危険を察知する感覚は失ってしまうし、日常とは違う異変にさえも気づけないんじゃないか
視覚や聴覚、五感を超えて異変を感じ取る第六感。
これらを便利なデジタル機器によって塞ぎ込む生活をしていたら、異変を見逃していざと言う時に自分や周りの人を守る選択を取れなくなる。
そんなことを考えた。
