本当は甘えたい嫁が可愛い
「……おい、〇〇。いつまで寝てんの。朝だよ」
冷ややかな声とともに、カーテンが一気に開け放たれる。眩しい太陽の光が容赦なく寝室に差し込み、〇〇は顔をしかめた。
「う、ん……飛鳥、あと五分……」
「ダメ。朝食冷めるでしょ。……はぁ、本当に手がかかるんだから。さっさと起きないと、置いて一人で朝ご飯食べるからね」
「わかった、起きるよ……」
「……返事だけは早いのね。ほら、立つ」
二人の朝は、いつだってこんな調子だ。
結婚して一年。〇〇の妻である飛鳥は、目鼻立ちの整ったクールな美人だが、とにかく素っ気ない。

「ねえ、飛鳥。今日のお味噌汁美味しいね」
「……ふーん。普通に作っただけだけど」
「今日の服、すごく似合ってるよ」
「……別に。勝手に買ってきたやつだし」
〇〇が話しかけても、基本的には「ふーん」「別に」「勝手にすれば」で片付けられる。だが、ツンツンした態度の裏で、〇〇の好きなおかずを黙って作っていたり、脱ぎ散らかした服を文句を言いながら畳んでいたりする。素直になれないだけで根はとても優しい性格なのを、〇〇はよく知っていた。
そんな飛鳥と過ごす久しぶりの休日。二人でデパートへ買い物に出かけたのだが——。
「……ねえ、飛鳥。この服とか、飛鳥にすごく似合いそうじゃない?」
「……ハぁ? 何言ってるの。そんな派手な服、着るわけないでしょ。センス疑うんだけど」
「そ、そうか……。じゃあ、あっちの雑貨屋さん覗いてみない? 可愛いクッションとかあったよ」
「……行くなら早くして。別にどうでもいいけど」
「あ、この食器とか二人にちょうど良くない?」
「……壊れそう。要らない」
デパートの店内を巡りながら、〇〇は必死に話題を振ったが、飛鳥の反応は終始冷ややかだった。何を提案しても気のない返事ばかりで、どこか退屈そうにスマホを眺めたり、そっぽを向いたりしている。
夕方になり、デパートを出て駐車場へと向かう歩道。沈みかけた夕日が、二人の影を長くアスファルトの上に伸ばしていた。
〇〇は歩みを止め、少し後ろを歩く飛鳥に向き直った。
「……あ、あのさ、飛鳥」
「……なに?」
「今日……せっかくの久しぶりのデートだったのに、ごめんな。あんまり楽しくなかったよな」
「……っ! な、なに言ってるの……?」
「服屋でも雑貨屋でも、飛鳥、ずっと気のない返事ばかりだったし……無理に付き合わせちゃってさ。ごめん」
飛鳥の肩がビクッと跳ね上がった。一瞬、何かを言いたそうに唇を戦慄(わなな)かせる。
(ち、違う! 違うのに……!)
飛鳥の心の中は大荒れだった。楽しくなかったなんて、絶対に違う。〇〇と並んで店を巡るのが嬉しくて嬉しくて、胸の奥がキュッと締め付けられるほど幸せだったのだ。〇〇が自分のために服を選んでくれた時も、心臓が爆発しそうなほど高鳴っていた。
『本当はすごく嬉しかった!』『〇〇の選んでくれた服、着てみたい!』『大好きだから、緊張して上手く喋れなかったの!』
言いたい言葉は山ほどあった。けれど——長年染み付いた「ツン」が邪魔をする。照れくささが勝ってしまい、素直な言葉が喉でつっかえて出てこない。
「……っ、別に。ごちゃごちゃ煩い場所が嫌いなだけだし。〇〇が勝手に連れ回したんでしょ」
「……そっか。ごめんな。次はもっと飛鳥が楽しめそうな場所考えるから」
「……あ……っ」
〇〇が寂しそうに苦笑いして背中を向けると、飛鳥は伸ばしかけた手をそっと引っ込めた。
(バカ……バカ〇〇。私の気持ちなんて、何一つ分かってない……っ! ……でも、一番バカなのは、素直になれない私だ……)
結局、本当の気持ちを何一つ伝えられないまま、二人は重い足取りで帰宅した。
夜。静まり返ったリビング。
風呂上がりの〇〇は、ソファに腰掛けてテレビの画面をぼんやりと眺めていた。
(せっかくの休みなのに、嫌な思いさせちゃったな……)
〇〇が落ち込んでいると、自室のドアが静かに開き、飛鳥が足音を殺して出てきた。手に小さな袋を握りしめ、意を決したように〇〇のすぐ隣にスッと腰を下ろす。

「……あ、飛鳥。まだ起きてたんだ」
「……これ」
「え? これ、デパ地下の……お菓子?」
「……別に、〇〇のために買ったわけじゃないから。賞味期限が近いのが安くなってたから、ついでに買っただけだし。早く食べなよ」
(嘘。〇〇が『美味しそうだな』って呟いてたの聞き逃さなくて、〇〇がトイレに行ってる隙に走って買って用意したのに……!)
「ありがとう、飛鳥。これ、食べてみたかったんだ」
「……ふん。お礼なんていらない」
「飛鳥は食べないの?」
「……要らない。それより……」
そこまで言って、飛鳥は小さく息を吸い込んだ。膝の上で指をぎゅっと絡ませ、意地とプライドを必死に押し殺す。
「……あのさ」
「ん?」
「……さっきの……昼間のこと、だけど」
「昼間のこと?」
「……私、別に……楽しくなかったわけじゃないから」
「え?」
「楽しくなかったわけじゃないって言ったの! ……むしろ、その……た、楽しかったよ。……すごく」
「飛鳥……?」
「〇〇が服選んでくれたのも嬉しかった……! 一緒に雑貨見るのも……手繋ぎたいなって思うくらい、嬉しかった……っ」
途切れ途切れの声。飛鳥の目には、薄っすらと涙さえ浮かんでいた。
「でも……照れくさくて、素直になれなくて……っ。いっつも冷たいこと言っちゃって、〇〇のこと傷つけて……本当に、ごめんなさい……っ」

消え入りそうな声での謝罪。嫌われるのが怖くて、でも素直になれなくて、ずっと胸の中で燻っていた飛鳥の本音だった。
〇〇は静かに手を伸ばし、飛鳥の頭を優しく撫でた。
「……知ってるよ」
「え……?」
「分かってるよ、飛鳥。ずっと一緒にいるんだから。口では意地張ってても、嬉しそうな顔とか照れてる顔くらい、ちゃんと伝わってるって」
「あ……」
「『楽しくなかったのかな』って謝ったのは、無理させちゃったかなって思ったからでさ。飛鳥が俺のこと嫌いじゃないことくらい、最初から分かってたよ」
「……嘘。私、あんなに冷たくしたのに……?」
「嘘じゃないよ。……おいで」
そのまま、〇〇は飛鳥の体をぎゅっと抱きしめた。
「ごめんな、不安にさせて。素直になれない飛鳥も、ツンツンしてる飛鳥も、全部含めて愛してるよ」
「っ……〇〇……バカ……っ」
〇〇の胸の中で、飛鳥の体が緊張から解放されるようにふっと柔らかくなった。
(……もう、いいよね。我慢しなくて……いいよね)
飛鳥は〇〇の胸をそっと押し返し、至近距離で〇〇の目を見つめ返した。潤んだ瞳に、甘い熱が宿っている。
「……わかってるなら、最初からそう言いなさいよ、バカ」
「飛鳥……?」
「……昼間、出来なかった」
「え?」
「昼間、本当は〇〇に甘えたかったの。抱きつきたかったし、手も繋ぎたかったし……私だけを見てて欲しかった……っ」
顔を真っ赤にしながらも、飛鳥はもう目を逸らさない。シャツの首元をギュッと掴み、膝立ちになって〇〇の上にかぶさるように顔を近づけてくる。
「昼間我慢した分……今から、全部回収するから。覚悟してよね」
「ちょっと、飛鳥——んぐっ!?」
言葉を言い切る前に、飛鳥の柔らかい唇が〇〇の口を塞いだ。
一度、二度、三度。角度を変えて何度も重ねられる、情熱的なキス。
「んっ……ふぁ……っ、〇〇……ん……っ」
「んっ……飛鳥、ちょっと落ち着い……」
「嫌。落ち着かない……っ。……ねえ、〇〇。私を寂しくさせた罪は重いんだからね」
耳元で、聞いたこともないような甘く震える声で囁く。
「……今夜は、朝になるまで絶対離してあげない。……覚悟して」
「飛鳥……本当にどうなっても知らないぞ?」
「……ふん、望むところだし。……言わせないでよ、早く、私を抱きしめて」
「……分かったよ」

照れを完全に捨て去った小さな愛妻は、爪を立てるように抱きついてきた。〇〇は苦笑しながらも、愛おしさで胸をいっぱいにし、襲いかかってきた飛鳥を強い力で抱き返した。
END
