宮崎台、急行は停まらない
朝の10時、宮崎台の改札を出た。何十年も通過してきた駅である。降りたのは、この日が初めてだった。
両手はふさがっている。右に年長の長男坊、左に年少の次男坊。ママは仕事、バァバも仕事、残ったのはジィジ1人という日である。悪戯盛りが2人、こちらは1人。数の勘定だけで、すでに分が悪い。

改札の真正面が「電車とバスの博物館」の入口であった。田園都市線の高架下を、そのまま使っている。開館は10時。親子連れと幼稚園の団体が、続々と吸い込まれていく。

券売機で入場券を買う。大人200円、3歳以上のこども100円。3人で400円である。財布を出した手が拍子抜けした。もっとも、財布を出すには片方の手を離さねばならない。離した途端に次男坊が券売機の下を覗きに行き、長男坊が背後の団体に押し流される。QRコードの券を改札機にかざして中へ入る。博物館に入るのに改札を通るというだけで、孫たちはもう機嫌がいい。

4階が入口、階段を降りて3階がパノラマワールドである。子供が喜びそうなNゲージパークは予約制で、申し込むと11時まで空きがないという。40分の待ちができた。

その間に、復元された旧高津駅を見て回る。旧蒲田、旧目黒、旧溝の口の駅がミニチュアで並んでいた。溝の口の駅前には、かつてバラック横丁があった。闇市の名残りである。私はガラスに顔を近づけて、あるはずのない路地を探した。孫たちはミニチュアの屋根を指でなぞると、もう隣の部屋へ行ってしまっている。慌てて追いかけながら、私はもう一度だけ振り返った。

隣にはジオラマ・シミュレーターがあった。HOゲージの模型に小型カメラが仕込んであり、その画面を見ながら運転ができる。ここは意外に空いている。長男坊はやり方の説明を最後まで聞いてから、ダイヤルに指をかけた。次男坊は聞くより先に手が出る。画面の中の線路の先を見ているのが長男坊、目の前を模型が通るたびに声を上げるのが次男坊である。交代し、また交代して、2人とも一向にやめない。しかも無料である。

階段を1階まで降りる。降りるたびに、後ろの1人と前の1人を数え直す。バスが置いてあった。昭和40年代に走っていたRB-10型だという。3分交代で運転席に座れる。床は板張りで、踏むと軋んだ。この軋みと油の匂いは、私が子供の頃に立っていた床のものである。孫たちはハンドルしか見ていない。次男坊がそれにぶら下がり、長男坊は料金箱を覗き込んでいる。3分はすぐに来た。

玉川線を走っていたデハ200形もあった。流線形の洒落た車体だが、イモムシに似ているというので「イモ電」と呼ばれたそうだ。孫にその話をしたら、イモムシの方にしか関心を示さなかった。

11時、Nゲージの順番が来た。20分200円である。運転台でもあるのかと思えば、抵抗器のダイヤルを回して模型を走らせるだけだった。東急OBらしいシニアの男が、辛抱強く教えてくれる。長男坊は男の手元を見ている。次男坊は自分の番が来る前に椅子から降りてしまい、私はそれを連れ戻しに行った。精巧なジオラマの方が有料で、画面を見ながら運転できるHOゲージが無料だというのは、どうもアベコベな気がする。もっとも200円で20分、孫が2人とも同じ場所にいるのだから、こちらに文句はない。

ちょうどパノラマシアターの上映が始まったので座った。続いて2階のゾーン3450へ。デハ3450形は1931年から作られ、1989年まで、約60年間を通勤電車として走り続けたのだという。運転台には3分交代で入れる。この電車が現役だった頃、私はいつも客席にいた。孫が下で交代を待っているのに、今度は3分が惜しかった。

車内放送の体験もできる。長男坊がマイクを握って言った。
「つぎは、みぞのくち。みぞのくち」
次男坊が下から手を伸ばして、それを取り上げにかかる。
8090系の運転シミュレーターを予約すると、13時の順番だった。まだ1時間20分ある。東横線のCGシミュレーターで時間を潰した。鉄ちゃんらしい青年もいれば、外国人の親子もいる。皆、黙って前だけを見ている。

それでも余るので、道路を隔てた向かいのキッズワールドへ渡った。手を引いて道路を渡らせるだけで、こちらは一仕事である。プラレールパークもあるが、こちらも予約制で、しかも8090系と時間がかぶる。2人をなだめて、並んだプラレールを眺めるだけにした。なだめるのに使ったのは、持参したオヤツとバナナである。12時を過ぎていた。次男坊がバナナを半分残し、長男坊がそれを引き受け、私は自分の分を出す暇がなかった。

奥に目蒲線のモハ510形が置いてある。先ほどのデハ3450形の原型だそうだ。その隣に、なぜかYS11の操縦席があった。東亜国内航空は、かつて東急グループの一員だった。飛行機までここへ引き取られてきたわけだ。孫たちはとうに次の部屋へ走っていた。
13時、A棟に戻る。8090系運転シミュレーターは1回300円。実写の映像に実際の音がついた、かなり本格的なものだ。ノーマル、ガイダンス、朝ラッシュを再現したエキスパートと選べる。迷わずガイダンスを選んだ。区間は「あざみ野ー溝の口」の急行にした。

孫の後ろで見ているつもりだった。気がつくと、席についているのは私であった。午前中に3つもシミュレーターを触ってきたので、要領はなんとなく掴んでいる。ブレーキを緩め、速度を上げ、標識を読み、停止位置に合わせる。この間、私は一度も後ろを振り返らなかった。画面の中で、あざみ野を出た急行はたまプラーザ、鷺沼と停まり、宮崎台のホームを風のように過ぎていった。
終わると点数が出た。この歳になって採点されるとは思わなかった。初めてにしては、まずまずである。振り返ると、長男坊が私の膝の脇から画面を覗き込んでいた。次男坊は後ろのベンチで、足をぶらぶらさせている。

約3時間、遊び尽くして博物館を出た。展示のまとまりには少々首をかしげたが、入館料は3人で400円、孫が3時間飽きずに遊んだのだから、勘定は十分に合っている。
改札を通り、上りのホームで電車を待つ。長男坊が線路の先を見ている。次男坊は私の手を握ったまま、まだ運転台の話をしている。急行が1本、風を巻いて通過していった。長男坊が背伸びをして、それを目で追う。
じきに、各駅停車が来た。
(2019年7月12日)
