流されてもかまわない
多摩川の河川敷にゴルフ場があることは、ずいぶん前から知っていた。土手の上から眺めたこともある。ただ、そこで球を打つ日が来るとは思っていなかった。優待券をいただいたので、出かけてみることにした。
2021年11月25日、木曜日。晴れ。朝7時45分に家を出る。国道246号の渋滞につかまったが、それでも1時間かからずに着いた。もっとも、素直に着いたわけではない。カーナビの示す目的地が、どうも様子がおかしい。多摩川の対岸、世田谷区のあたりを指している。渋滞で止まっているあいだにリーフレットを広げてみると、駐車場は川崎側にあった。
このカーナビの間違いには、理由があった。2021年3月まで、クラブハウスは東京側にあったのだという。客は渡し船で多摩川を越えて、コースに入った。あとでコースの常連に教えてもらった話である。渡し船に乗ってゴルフに行く。つい8か月前まで、そういうことが東京都内で行われていた。機械のほうが、私より昔をよく覚えていたわけである。
駐車場で靴を履き替え、身支度を整えてコースへ向かう。以前セントアンドリューズのオールドコースで回らせてもらったときも、客の多くは車のそばで着替えていた。ゴルフは、立派なクラブハウスがなくても、案外成立するものらしい。

下野毛の交差点を渡って土手に上がると、スタートハウスが見えた。トレーラーハウスである。開くまで少し間があるので、コース沿いを歩いてみた。待合所は仮設のパイプとテントで、いかにも簡素だ。台風のたびに流されるのだから、これで精一杯なのだろう。
全7ホール、すべてパー3、全長926ヤード。スコアカードもちゃんと用意されている。もっとも7ホールなら、わざわざ書かなくても最後まで覚えていられる。覚えていたいスコアかどうかは、また別の話だが。

スタートは到着順で、私が1番になった。まだ客が少ないので、一人で回らせてもらう。スタートを待つあいだ、後続の常連の方々に、ここでの作法をいろいろ教わった。カートは自分で引く。
北を見ると、二子玉川のタワーマンションが並び、その手前に第三京浜の橋が架かっている。その右手、東京側にこんもりとした丘が見える。以前、散歩で訪ねた野毛大塚古墳だろう。南に目を移せば、武蔵小杉のタワーマンション群。2019年の台風で、あのあたりも水に浸かった。古墳の丘は枯れた草に覆われて、千年以上、あの高さのままそこにある。

グリーンは小さいが、丁寧に手入れされている。さすが東急だと感心した。ただしフェアウェイのほうは、お世辞にも美しいとは言えない。ティフトン芝に雑草が混じっている。
130ヤードほどのホールで、8番アイアンを抜いた。当たりは悪くなかったが、球はグリーンの右にこぼれた。行ってみると、枯れた雑草が靴の甲を隠すほどに伸びていて、球はその根元に沈んでいる。ショートホールなのだから、ワンオンさえすれば関係のない話ではある。そうは問屋が卸さないのが、いつまで経っても腕の上がらぬ者の悲しさで、私は律儀に雑草の上から打った。芝のときとは違う、粘りついてから急にほどけるような手ごたえがあって、球はグリーンの手前で止まった。

前日から寒波が来ているというのに、風がない。汗ばむほどの陽気である。多摩川の流れは穏やかで、シラサギやアオサギが、浅瀬にじっと立っていた。大雨のたびに冠水する河原とは思えない。もっとも、穏やかでない顔を見せる日には、人はここに立っていない。
7ホールを回り終えて時計を見ると、30分も経っていなかった。あっけない。しかし練習場と違って、傾斜も、ライも、風も、一打ごとに違う。アプローチの稽古には、これ以上の場所はないだろう。
帰り道、コースに隣接する作業道を、ダンプトラックが列をなして行き交っていた。等々力大橋の基礎工事だという。やがて、渡し船の代わりに橋が架かる。土手の上では、犬を連れた人や自転車が、いつもどおりに通り過ぎていく。
次の台風でも、あの待合所はきっと流されるだろう。流されたら、また同じ場所に置けばいい。
常連たちは、平日の廻り放題という券で来ているのだと聞いた。4,840円で、日が暮れるまで何周してもかまわないらしい。私の優待券は、1ラウンド分だった。土手を下りながら考えていたのは、次は廻り放題にしようか、ということである。
