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水を追い越す

日曜の正午過ぎ、サッカーの練習を終えたばかりの孫二人を車に乗せた。長男坊は小学3年、次男坊はこの4月に1年生になった。5月末に富士の東南麓から三保ダム、飯泉取水堰までを回って以来、水源を辿る社会見学の第2弾ということになっている。もっとも当人たちは、行き先よりも先に、途中で何を食べるかを気にしていた。

EXPASA海老名でトイレを済ませ、名物のメロンパンを買う。腹ができたところで伊勢原ジャンクションから新東名に入った。この区間を走るのは初めてである。トンネルが続き、前にも後ろにも車がいない。快適といえば快適だが、少々薄気味が悪い。それもそのはずで、新東名はまだ全通しておらず、この先の新秦野インターチェンジで行き止まりになる。道は途中で切れているが、水のほうは切れずに繋がっている。今日はそれを見に行くわけだ。

新秦野で降り、ゴルフ場の脇の山道を抜けて県道710号神縄神山線を辿ると、中津川の河畔に出た。何組かの家族が河原でキャンプをしている。テントサウナまで担いできた組もあった。

孫たちは車を降りるなり石を積み始めた。ダム造りである。5月に三保ダムの堰堤を見て以来、水を止めるという仕事に取り憑かれたらしい。積んでは崩れ、崩れては積む。堰堤の形はいっこうに整わないが、二人とも黙って手を動かしている。川面を渡る風が涼しい。この河原がキャンプ場として人気なのも道理だと思った。

最初の目的地、やどりき水源林に着いた。車両進入禁止の柵の脇から、人だけが入れる。約529ヘクタール。人工林と広葉樹林がひとつの場所にまとまっていて、水源の森を見て学ぶ場として県が整備している。土曜と日曜の10時と13時には「森の案内人」が案内してくれるという。時計を見ると13時40分であった。40分の遅刻である。

案内人のいない森を、こちらが案内する羽目になった。ここが酒匂川の上流、中津川の源流域にあたる。そう説明してみるが、森は鬱蒼として、水源らしい水はどこにも見えない。森が水を蓄えるという話は、教科書なら一行で済む。実物は529ヘクタールある。

やどりき橋から下流を眺めた。水量は多くない。この細い流れが、先月見た丹沢湖から来る河内川と合わさって酒匂川になる。橋の先の道を辿ればその丹沢湖に出られるはずだが、バイカーや上級者向けの細道だという。50分ほど遊んで引き返した。

秦野の市街を見下ろす下り道で、鹿が一頭、目の前に出てきた。カメラ係は助手席の妻である。私のiPhone13の扱いに不慣れで、構えているうちに鹿は藪へ消えた。後部座席から抗議の声が上がったが、鹿はもう戻ってこない。

新秦野から新東名へ戻る。帰路もやはり車を見かけない。東名を経由して圏央道に入り、厚木パーキングエリアでもう一度休憩を取ってから、スマートインターで下の道に降り、相模川の右岸を北上した。

2番目の目的地は相模川水路橋である。さっき手を浸した中津川の水は、下って酒匂川となり、飯泉で汲み上げられて、先月訪ねた曽我接合井から地下へ潜る。丹沢を出た水は、今度はこの鋼製の箱桁の中を、相模川の向こうへ渡っていく。

曽我からこの先の相模原ポンプ場まで、導水トンネルは約30キロメートル続いている。そのうち地上に姿を見せているのは、この873メートルだけだ。

力強い造形ではある。ただ、ローマ人は紀元前144年にマルキア水道を起工して、91キロメートルを引いた。2,000年以上前にそれだけのものを通したのだから、この30キロメートルなど現代の技術には朝飯前だろう。孫たちにそう言うと、朝飯前とはどういう意味かと聞き返された。

相模原ポンプ場で、水はようやく引き上げられる。4,600キロワットのポンプが4台、それを担っている。敷地の中に丸い小山がある。当麻谷古墳群の1号墳である。7世紀後半、古墳時代の終わりに築かれた墓が、3基そのまま残されていた。1,300年前の死者のかたわらを、水が通り過ぎていく。孫たちは古墳のほうには目もくれない。

虹吹分水池は相模原浄水場の北端にある着水井で、水はここで二手に分かれる。分かれた一方が、わが家の蛇口まで続いている。フェンス越しに覗いてみると、草に覆われた窪地が見えるだけであった。水は一滴も見えない。長男坊が、また見えないのか、という顔をした。

近くの淵野辺加圧ポンプ場にも立ち寄った。立派な施設であったが、あとで調べたところ、わが家の水道とは何の関係もなかった。

国道16号東京環状を越えて淵野辺接合井。飯泉取水堰からここまで、水は神奈川県内広域水道企業団の管を通ってきた。この先は川崎市上下水道局の第2導水ずい道に引き継がれる。水にも縄張りがあるらしい。

西長沢浄水場に着いたのは17時30分。淵野辺から1時間ばかりかかった。ここで水は濁りを落とし、濾され、飲めるものになる。沈澱池が広い敷地に並び、使われなくなった旧川崎市水道局の給水塔が、まだ立ったまま残っていた。日が傾いて、写真を撮るには暗い。次男坊は車から降りようとせず、何時に帰るのかと聞いてきた。

最後は保木ポンプ場・調整池である。ここからわが家に水道水が届く。着いてみると、調整池は一面の芝生であった。水は地下にある。柵の外から見えるのは、刈り込まれた芝と、その向こうの空だけである。水を追って一日走って、最後に見えたのは芝生であった。

富士山麓の鮎沢川、丹沢湖から来る河内川、そして昼過ぎに孫たちが石を積んだ中津川。それらが集まった水が、この芝生の下を通って、神奈川の町々の蛇口へ配られていく。

後部座席の二人は、いつのまにか眠っていた。あの石積みはとうに崩れて流れ出しただろうが、その水がここへ届くのはまだ何日も先の話である。車のほうが、よほど速い。

今夜、台所の蛇口から出てくる水は、今日、孫たちが手を浸したあの水ではない。あれはまだ、山の中にいる。

(2022年7月10日)

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