読書感想文┃ 高瀬隼子『いい子のあくび』
「いい子」と「優しい子」の違いはなんだろうと、ときどき考える。
本作の主人公の視点を借りるなら、「いい子」とは、相手の望むものを的確に渡せる人のことなのだろう。
彼女は昔から、先回りして相手の望むものを渡すことができた。というより、そうならざるを得なかったとも読める。祖母から暴力を振るわれる母を見て育った彼女にとって、「いい子」でいなければ、危害が及ぶ恐れがあったからだ。
相手の望むもの。それは例えば、彼氏にとっての「未来を予想させるような家庭像」であったり、上司にとっての「接待を勉強のためと言って付き合ってくれる部下」であったりする。
けれど主人公は、人前であくびを我慢するために内頬を噛み締める行為が象徴するように、「いい子」でいることに傷ついている。
彼女は「いい子は一方的に消費される存在だ」と感じているのだ。
一方、「優しい子」とはなんだろう。
主人公には、これが分からない。
他者の視線があろうがなかろうが善行を積めることのようにも思えるし、ある種の「鈍さ」に似ているようにも思える。
他者の視線というものがキーになりそうだけれど、本質を捉えきれてはいない気がする。
彼氏から「優しい」と言われることもあるが、そうではないことは主人公自身も、そして読者も分かっている。
物語の終盤、主人公は彼氏の前で「いい子」であることをやめてみる。彼氏の浮気によって自分が傷ついていることを、彼自身も分かっているはずだから。
その結末は、一気に「いい子」から「悪い子」、あるいは「優しくない子」へと反転してしまうような、鮮烈なものだった。
でも、他者からの評価を諦め、いい面も悪い面も他者の前に晒すことを受け入れた主人公は、結果として少しだけ「優しさ」に近づいたのかもしれない、と私は思った。
きっと彼女はもう、「優しい人」という称号を得ようなんて思っていないだろうけれど。
優しくなくても、いい人でいられると私は思いたい。
ただ、そのために「いい人」が一方的に消費されない世界であってほしい。そんな風に思わせてくれる作品だった。
