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【北中米W杯】日本人サポーターのゴミ拾いは同じ日本人として心の底から恥ずかしい


どうしても理解できない人に、まず一つ問いかけたい。

あなたがオフィスでPCに向かい、大切な企画書を書いていたとする。それはあなたの評価に直結する、あなたがやるべき仕事だ。ところが、あなたがほんの少し席を外した瞬間に、隣の同僚があなたの席に座り、残りの企画書を勝手に書き進めて完成させてしまった。それだけではない。その同僚は、上司を含むオフィス中に向かって「私が完成させておきました!」と声高らかにアピールしたのだ。

別にあなたが頼んだわけでも、苦戦していたわけでもない。 さて、あなたは席に戻ってきたとき、その同僚に向かって「ありがとう!」と心から感謝するだろうか?

おそらく、湧き上がるのは感謝ではなく、激しい憤りのはずだ。なぜなら、自分の仕事を横取りされ、プロセスを勝手に崩され、何より「自分の存在価値」を否定されたように感じるからだ。

今、北中米ワールドカップの舞台で起きていることも、これと全く同じ構造である。

森保ジャパンの激闘の裏で、またしても「あの光景」が世界へ発信された。オランダ戦の後、スタンドに残ってゴミ拾いを行う日本人サポーターの姿である。FIFA公式SNSがその様子を好意的に取り上げ、海外メディアが称賛する一方で、国内や一部のアジアメディアからは「見せかけの行為」「偽善」という冷ややかな声も上がっている。

私は、このお決まりの「美談」に対して、懐疑派の意見に強く同意する。それどころか、同じ日本人として、あのゴミ拾い活動は心の底から恥ずかしいとすら感じている。

なぜなら、あの行為は現地の人々や社会構造への「敬意(リスペクト)」を欠いた、自己満足の押し付けに過ぎないからだ。

ゴミ拾いをしているサポーターにこう質問してみたい。 「あなたたちの行為によって現地で雇われている清掃員が解雇されたり、不必要な職種と判断されて雇用が縮小されたりしたら、一体なんと説明するのですか?」と。

スタジアムの清掃は、ボランティア活動ではない。現地の人々が正当な報酬を得て、生計を立てるための「仕事」である。観客がよかれと思ってスタジアムを完璧に掃除してしまえば、主催者側は「清掃員を減らせる」「勤務時間を短縮できる」と判断するだろう。サポーターは清掃員の仕事を楽にしているつもりかもしれないが、その実、彼らの貴重な現金収入の機会や雇用を奪っている可能性に思い至っていない。これでは「良かれと思ってやった善意が、他者の生活を脅かす」という最悪の結末を招きかねない。

さらに言えば、彼らプロの清掃員には、長年の経験に基づいた効率的な手順やルート、分別ルールがある。素人が勝手な判断でゴミを一箇所に集めたり、独自のやり方で袋に詰めたりすることは、彼らが当たり前のようにやってきた業務の手順を乱し、かえって現場のオペレーションを混乱させる迷惑行為になり得るのだ。

百歩譲って、それが彼らの純粋なマナーの現れだというなら、別の疑問が浮かぶ。彼らは日常的に、メディアの目が届かない場所でも同じことをしているのだろうか。

残念ながら、日本の繁華街やイベント後の街並みを見れば、ポイ捨てやゴミ問題があふれているのが現実だ。日本国内の日常では他人のゴミを無視する一方で、ワールドカップという「世界中から注目される大舞台」のカメラの前でだけ熱心にゴミを拾う。その姿は、国際的な評価を得るための「演出」であり、日本の好感度を上げるための「パフォーマンス」と言われても反論できないだろう。好感度アップ以外に目的がないというのは、あまりにも当然の帰結である。

「ゴミを拾うのは良いことだ」という一面的な道徳観だけで暴走する行為は、時に現地の経済や働く人々への配慮を欠いた、傲慢な押し付けへと変わる。

自分の出したゴミを片付けるのは当然のマナーだ。しかし、他人のゴミまで拾って「美しい日本」をアピールする裏で、現地の労働者の生活を脅かし、彼らのプロとしての仕事を軽視しているのだとしたら、これほど恥ずかしいことはない。本当に相手を思いやるのであれば、プロの仕事に敬意を払い、彼らにその領域を委ねる潔さを持つべきではないだろうか。

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