記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

麗しのオルタンス ジャック・ルーボー 愛すべき数学的メタ・ミステリ

■概要

『麗しのオルタンス』ジャック・ルーボー(著)、高橋啓(翻訳)、東京創元社〈創元推理文庫〉、2009/1/30
破格のミステリであり、楽しい実験小説。

オルタンスというのは哲学を専攻する美しい女子大生、そしてアレクサンドル・ウラディミロヴィッチは、さる高貴な血を引く猫だ。彼は大哲学者にゴロ鳴きを聞かせるために雇われた雌猫チューチャに心を寄せている。そんな平和な街に起きる連続〈金物屋の恐怖〉事件!深夜0時直前、金物屋で大音
響とともに鍋が散乱する。犯人は誰? 動機は何か? 文学実験集団ウリポの一員である詩人で数学者の著者が贈る、珍妙でミステリアスな物語。訳者あとがき=高橋啓

https://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488188023

著者は元数学者でもあり、作中では6、53、366といった特定の数字が繰り返し言及されます。また、架空の数学者二コラ・ブルバキの故郷とされるポルデヴィア公国が重要な役割を果たすなど、数学や理系的な仕掛けに関心のある読者にとっても興味深い作品です。

セクシーな描写も含まれるため、小中学生にはあまりおすすめできませんが、ミステリの定石をことごとく外してくる、遊び心に満ちた実験小説です。作品を考察した論文も数多く発表されており、その気になれば一生楽しめる作品でしょう。

全三部作で、第二部の翻訳もありますが、これも絶版

第三部のL’Exil d’Hortense(亡命したオルタンス)は未訳

■内容メモ

◆プロット ややネタバレ

複数のストーリーが、常に脇道に入り込みながら複雑に展開していきます。以下はネタバレを含みますが、私自身、物語をきちんと理解できているか、まったく自信がありません。そもそも、簡単に要約できるような作品ではないのです。

物語には一応、中心となる語り手が存在しますが、異常に細かく分かりにくい描写が入ったり、メタ的な語りの途中に出版社や読者の意見が割り込むなど、「語り」そのものに最大限の遊びが盛り込まれています。

◆オルタンス

哲学の修士論文を準備しているオルタンスは、人目を引く美しい女性である。裕福な家庭の娘だが、自分の生活費は自分で稼ごうと、グロワッシャンのパンとケーキの店でアルバイトをしている。店には、オルタンス目当てで訪れる客も多い。
ある日、オルタンスはバスで図書館へ向かう途中、謎めいた青年と出会い、恋に落ちる。モルガンと名乗るその青年は、夜になると「セールスに出かける」と言って姿を消していた。

彼の行動に不審を抱いたオルタンスは、婦人科医のイヴェットに頼み、モルガンの鞄を調べてもらう。すると、その中から泥棒の道具が見つかる。
オルタンスは、モルガンが浮気をしていたのではないと知ってひとまず安心する。しかし、衣替えを手伝いに来た母親から、高価な靴や衣類がなくなっていると聞かされ、モルガンとの別れを決意する。

イヴェットやシヌール神父一家、モルナシエらは、オルタンスが危険な目に遭わずにモルガンと別れられるよう協力する。やがて2人は別れるが、その際に交わされた会話は、アレクサンドル・ウラディミロヴィッチによって検閲されており、詳しい内容は明らかにされない。
この件でオルタンスと知り合ったモルナシエは、のちに彼女と結婚する。

◆アレクサンドル・ウラディミロヴィッチ

食料品店を営むエウセビオス夫妻に飼われている猫、アレクサンドル・ウラディミロヴィッチは、緑の瞳と青みを帯びた濃い灰色の毛並みをもつ雄猫である。
周囲の猫や犬をことごとく従わせており、ふだんは人間にもほとんどなつかない。ただし、肉屋の娘ヴェロニカ・ボワローだけには、体を撫でることを許している。

アレクサンドル・ウラディミロヴィッチは、実はポルデヴィア皇子が巡幸中に生まれた不義の子であり、高貴な血筋を引いている。ある晩、籠に入れられた状態でエウセビオス夫妻の家に運ばれ、夫人が世話をするよう命じられたのだった。

アレクサンドル・ウラディミロヴィッチは、53番地D階段の3階にやってきた、若い赤毛の雌猫チューチャに恋している。一方、その建物の4階には、正体不明の夜型の青年が新たに住み始める。この青年こそ、オルタンスの恋人モルガンであった。

やがてチューチャは、アレクサンドル・ウラディミロヴィッチとの情事を知られ、オルセル家から追放される。そして一連の事件が終わった後、アレクサンドル・ウラディミロヴィッチもまた、失踪する。

◆ポルデヴィア

2年前、ポルデヴィアの第一皇位継承者であるゴルマンスコイ皇子が、この町で行方不明になっていた。
町の聖ギュデール教会には、ポルデヴィア礼拝堂が設けられている。近く、この礼拝堂に面した街路が「ミーニュ神父通り」と改称されることになり、その記念式典が開かれる。
式典の主催者はカトリック教会の大物であるフュスティジェで、友人のシヌール神父に、当日オルガンで演奏する曲目の選定を依頼する。
フュスティジェが教会内で出世したのは、かつてポルデヴィアの皇子をカトリックに改宗させた功績によるものだった。

通りの命名式には、予告通り行方不明となっていたゴルマンスコイ皇子が姿を現すが、皇子はすぐに再び消息を絶つ。皇子は一年後にまた姿を現すかもしれないと示唆されるが、その行方は明らかにならない。
式典の余興として催されたカタツムリ競走では、ヴェロニカ・ボワローが優勝する。

◆「金物屋の恐怖」事件

金物屋を狙った連続事件では、ついに36番目の被害が発生する。犯行はいずれも同じ手口で、多数の鍋を天井から吊り下げ、超小型の爆弾を起爆させて、真夜中に大音響を響かせるというものだった。
捜査を担当するのは、有能で知られるブロニャール警部である。
被害に遭った金物屋を地図上で結ぶと、その配置は渦巻きを描きながら、しだいに中心へ向かっていることが分かる。

半年前、小説家を志す若いジャーナリストのモルナシエは、ブロニャール警部を訪ね、自分の推理を披露した。しかし、警部には相手にされず、追い返されてしまう。
それでもモルナシエは独自に調査をやり直し、すべての犯行現場から53歩以内の場所に、黒く塗りつぶされた男が立小便をしている落書きがあることを突き止める。しかも、その落書きは必ず犯行の前に描かれていた。

やがて、教会の向かいにあるミルギエット通り沿いの建物の壁にも、同じ黒塗りの男が描かれる。モルナシエの発見の価値を認めたブロニャール警部は、彼を捜査チームに加える。さらに、各犯行現場からは、彩色された小さな素焼きの粘土像が盗まれていたことも明らかになる。

ブロニャール警部は公園のベンチで張り込みを行う。公園で遊んでいたヴェロニカ・ボワローが、ペンキで壁に落書きをしている男を目撃していた。
ブロニャール警部らは犯人と推理した人物を逮捕するが、証拠不十分のため釈放される。
その後、ブロニャール警部は新たに、『教父学大全』の盗難事件を担当することになる。

◆登場人物(ネタバレ)

意図的に多すぎる登場人物を出しているので混乱しますが…

オルタンス
哲学専攻の女子学生 オルセル教授のもとで修士論文準備中
アレクサンドル・ウラディミロヴィッチ
高貴な血を引く猫。周辺のボスで、オルセル教授の飼い猫チューチャと恋仲
エウセビオス夫妻
エウセビオスは毎日街路にたって観光客の女性たちを品定めしている助平親父
エウセビオス夫人はアレクサンドル・ウラディミロヴィッチの世話をしている
ヴェロニカ・ボワロー
肉屋のボワロー夫妻の娘の少女
猫たちと仲が良く、重要な目撃者となる、なぜか特権的な存在
グロワッシャン夫妻
パンとケーキの店を経営、オルタンスのアルバイト先
アンセルム・ブロニャール
優秀な警部、〈金物屋の恐怖〉事件の担当
ジョルジュ・モルナシエ
小説家志望のジャーナリストの青年 小説家romancierのアナグラム
本作の語り手の一人
シヌール神父
妻子がいる教会のオルガン奏者 
フュスティジェ猊下とは古くからの友人
チューチャ
オルセル教授の飼い猫
イヴォンヌ夫妻
ギュデール・バーの女将とその夫アルセーヌ
イヴェット
オルタンスのかかりつけの婦人科医
モルナシエの母と友人であり、オルタンスの件に引き込む
フィリヴェール・ジュール・オルセル
著名な哲学者、オルタンスの指導教官
独自の倫理の黄金律を構想している
フュスティジェ
カトリックの重鎮、シヌール神父の友人
モルガン
オルタンスがバスで出会い、恋に落ちた青年
本名ではない
ゴルマンスコイ皇子
失踪したポルデヴィア公国の第一皇位継承者
イギリス人とのハーフ
ポルデヴィア公国は二コラ・ブルバキの生地とされる国

■トリビア

◆ポルデヴィア公国

https://oulipo.septembre.io/sites/oulipo/files/docannexe/file/20714/poldevie.pdf

1910年頃のエコール・ノルマル・シュペリエール(高等師範学校)の学生によるいたずらが起源であるらしい。
数学者集団ニコラ・ブルバキは、架空の経歴にポルデヴィアを好んで用いた

誤って二コラ・ブルバキとされるこの肖像はシャルル・ドニ・ブルバキ(1816-1897)のもの

文学グループ・ウリポへの継承

レイモン・クノーが『わが友ピエロ』でポルデヴィアを文学に導入し、その後のオルタンス・シリーズに引き継がれた

ポルデヴィアはコーカサス地方に位置し、君主制(王室)を敷いている。
ポルデヴィア語には53の子音、11の母音、6つの声調、14の格があるという設定。

◆数学的な部分に関するネット上の考察

・小説内の数字に関する考察

・クノー数

https://ris.utwente.nl/ws/portalfiles/portal/5091570/BibQN.pdf

2、3、5、6、9、11、14、18、23、26、29、30、33、35、39、41、50、51、53、65

・これもクノー数

https://bibnum.publimath.fr/IST/IST10003.pdf

・円城塔氏が作者と対談したことがあるようです(未見)

◆オルタンス

オルタンス Hortense なのですが
遠藤諭氏は以前にホーテンス・S・エンドウというペンネームを使っていました
この名義では『近代プログラマの夕べ』 などがあります

■終わりに向かって

少し前までは、フランス語で書かれた論文や考察を読むことは、かなりハードルの高いものでした。しかし現在では、自動翻訳や要約を利用することで、フランス語の文章にもアクセスしやすくなり、この作品をさらに楽しめるようになりました。

こうしたツールが身近になった今だからこそ、本作をあらためて読む新たな価値が生まれているのではないでしょうか。

最後までお読みいただき ありがとうございました


いいなと思ったら応援しよう!