エリートビジネスマン風【組長】
自給自足で私立ボンクラ大学付属高校へ通う私にとって、
根城にしていた地元雀荘は居心地の良い「職場」だった。
レートは(1-1-2)と安かったが、勝率は抜群。毎日数千円の「日銭」を確実に稼がせてくれる場所だった。
安いレートと明るい雰囲気が客を呼んでいたのだが……「明るい」と言ってもそこは昭和のフリー雀荘。
タバコの煙で店内は煤け、乱暴な言葉と牌の音が交錯する、現代の基準なら誰もがUターンして逃げ出すような空間だ。
そんな泥臭い店に、週に何度か顔を出す「Aさん」という客がいた。
いつもパリッとした品の良いスーツ、髪を整え話し方も所作も驚くほど丁寧。牌の扱いも静かでマナーは完璧。
大手企業のエリートにしか見えないAさんだが、ただのビジネスマンには見えなかったと思っていたのは私だけか?
Aさんは中年、まだ高校生の私と比べるのも失礼だが、麻雀に対する姿勢に同じ匂いを感じた。
勝ち負けはともかく、私はこの上品なAさんと同卓するのが好きだった。
◇
ある日の対局中、事件は起きた。
バン!と勢いよく店のドアが開き、いかにもな風貌の若い男が入ってきた。
肩を怒らせ、鋭い目つきで店内を見回すと、まっすぐ私たちの卓へ歩いてくる。
店内が一瞬で凍りついた。
「おいおい、借金取りか修羅場か……?」と誰もが息をのんだその時、若い男はAさんの脇にピシッと直立し、深々と頭を下げて耳打ちをしたのだ。
Aさんは顔色ひとつ変えず、「そうか」と静かに頷くと、同卓の私たちに向かって深々と頭を下げた。
「皆さん、大変申し訳ありません。どうしても外せない用事ができまして……これを」
そう言って、卓の上にサラリと「1万円札を3枚」置いたのだ。
1人1万円。
この店のレートでは、半荘でトップを獲ってもせいぜい数千円の世界だ。
瞬時に私の脳内計算機が「ありがたく頂戴しろ!」とアンサーを弾き出し、他の2人も申し訳なさそうな顔をしながら(手は素早く)その札を収めた。
これにてこの半荘はノーゲーム。
Aさんは恐縮する若い衆を従え、静かに店を後にした。
卓が割れた後、店内の客が一斉に「おい、今の見たか!?」「1万儲かったな!」「Aさんってサラリーマンじゃなかったのか?」と蜂の巣をつついたような大騒ぎになったのは言うまでもない。
◇
その後、Aさんは二度と店に現れなくなった。
後から風の噂で知ったのだが、Aさんは池袋に本拠を置く大手組組織のトップ(組長)だったという。
忙しい立場だから、きっとあの日も静かに麻雀を打つ予定だったのだろうが、何らかの突発的なことが起き、仕方なく退席したという事か。
なぜそんな立場の人が、わざわざ郊外の場末の雀荘に通っていたのか?
周辺組織のシマ荒らしの偵察だの、様々な尾ひれがついた噂が飛び交った。
だが、私は思うのだ。
もしあれが、ただの「純粋な息抜き」だったとしたら可哀想だな、と。
地元の池袋では、どこへ行っても「組長、組長」と気をつかわれ、心から麻雀を楽しめる場所なんてなかったはずだ。
だからこそ、自分の身分を誰も知らない郊外の雀荘で、1回数千円のゲームを静かに楽しんでいたのではないだろうか。
あのちょっとした騒ぎなんか気にせず、またフラリと打ちに来てくれれば良かったのに。
(実際はここにもシマがあるので、身分が知られた以上他人のシマには入らないのが仁義)
金のために麻雀を打っていた生意気な高校生の私だったが、どうせ打つなら、あんな風に誰よりも品が良いきれいな麻雀を打ちたかった。
Aさん。もし生きていれば、もう100歳近いだろう。
あの静かで綺麗な手つきを思い出しながら、ふと「今もお元気だろうか」と考えてしまうのだ。
