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世界の偉人シリーズ|第2話 鳥井信治郎 サントリーHD創業者・日本人のための洋酒を造った男

本物を持ち込めば売れる。
そう信じて始めた事業が
全く売れなかった。

それが、鳥井信治郎の最初の現実だった。


鳥井信治郎
日本に洋酒文化を根付かせた実業家。
後に「やってみなはれ」の精神を生んだ人物として知られる。
1879–1962|寿屋(現 Suntory Holdings )創業者


【商売の入口】
1879年、大阪に生まれる。
幼い頃から商家の空気の中で育ち、
若くして丁稚奉公に出る。

奉公先は薬種問屋。
そこで彼は、商売の現場を覚えていく。

何が売れるのか。
なぜ売れないのか。
良い商品でも、
市場に合わなければ動かない。

信治郎は早い段階で、
その現実を見ていた。
この経験が、

「良いものを作ること」と
「売れるものを作ること」は違う

という感覚につながっていく。


【世界との出会い】

丁稚奉公を終えた信治郎は、
家族から事業資金にと渡された百円を手にする。
当時としては大金だった。

普通なら、そのまま商売の元手にする。
しかし彼は違った。
見聞を広げるためにと船旅に出る。

そこで、海外文化や洋酒に触れる。
その中で出会ったのが
ウイスキーだった。

日本にはまだない。
だが、いつか当たり前になる。
そう直感した。


【誰もいない市場へ】

当時の日本では、
酒といえば日本酒だった。

ワインもウイスキーも、
ほとんどの人にとって無縁だった。

市場がない
文化がない
需要もない

多くの人はそう見ていた。

それでも信治郎は、
洋酒の未来を信じた。
そして、まだない未来の市場に賭けた。


【最初の失敗】

しかし現実は厳しかった。
本場の洋酒を扱っても売れない。

味が合わない
文化が違う
習慣がない

「日本人には合わない」

そう何度も言われた。
正しいと思ったものが
市場に拒否される。

在庫だけが残っていく。
理想だけでは会社は続かない。


【生き残るための現実】

ここで信治郎は、
理想だけを追わなかった。

洋酒が売れない間、

輸入販売
卸売
商社機能

で会社を支える。

本命が育つまで、会社を潰さない。
理想を守るためには、まず生き残る。

派手ではないが、
極めて重要な判断だった。


【信用を積み上げた時期】

1923年9月、関東大震災が発生。
関東は未曾有の大被害を受ける。

多くの取引先も苦境に陥った。
この時、信治郎は利益を優先しなかった。
自ら関東へ向かい、取引先を支援する。

商品供給を止めない。
関係を切らない。

苦しい時に動いた。
この行動が、後の大きな信用になる。


【最初の転機】

その後、信治郎は理想を一度崩す。

本場そのままではなく、
日本人向けに作り直す。

甘くする。
飲みやすくする。

生まれたのが
Akadama Port Wine だ。

だが、彼が変えたのは味だけではなかった。
広告だった。

大胆な女性ポスター
強烈なビジュアル
印象に残る宣伝

まだ飲んだことがない洋酒を

「知っているもの」
「憧れるもの」

へ変えていった。
後の「サントリー宣伝部」の原点だった。

市場が、動き始める。


【本命への挑戦】

普通なら守る。
だが彼は違った。
本来やりたかったものへ進む。

ウイスキー

そこで出会ったのが「竹鶴政孝」。
本格ウイスキーづくりへと進む。

時間がかかる
資金もかかる

それでも進めた。
入口も、資金も、信用も
すでに積み上がっていたからだ。


【戦っていた相手】

競合ではない。
海外企業でもない。
彼が向き合っていたのは

「市場の未成熟」

だった。

文化がない
習慣がない
理解がない

だから彼は

市場を創り
信用を創り
流れを創った。


【これは戦略だったのか】

結果だけ見れば、SUNTORY成功譚。
しかし中には、かなり強い型がある。

・市場がない場所へ入る
・売れない間は別収益で耐える
・信用を積み上げる
・広告で市場を教育する
・流れができてから本命を通す

極めて市場創造型の構造である。

信治郎は、単なる酒造経営者ではなかった。
彼は、

赤玉ポートワイン
 ↓
洋酒文化浸透
 ↓
ウイスキー挑戦
 ↓
日本人向け改良
 ↓
ハイボール文化
 ↓
国民的洋酒メーカー

という、
未来への連続性を見ていた。

彼が見ていたのは、

「今売れる酒」ではない。
「日本人の生活文化が、これからどう変わるか」

だった。
だから彼は、

広告で憧れを作り、
時間をかけて洋酒文化を浸透させ、
日本人向けに味を調整し、
生活の中へ洋酒を入り込ませていった。

しかも面白いのは、
最初から本命を売っていないことだ。
彼が重視していたのは、

文化
習慣
憧れ
空気感
生活変化

だった。

つまり信治郎が作っていたのは、単なる酒ではない。

「日本人の新しい飲酒文化」

そのものだったのである。
だが、それだけではない。

来る日も来る日も売れない。
何度も否定される。
それでもやめない。

時間を使い、
資金を使い、
情熱を使い、

誰も信じていなかった未来に賭け続けたのである。


【そして企業は「酒屋」を超えた】

ウイスキーは、やがて世界に認められていく。

Yamazaki(山崎)
Hibiki(響)
Hakushu(白州)

それらは単なる商品ではなく、
日本発の文化として評価される存在になった。

だが、信治郎の構想はそこで終わらない。
次に向かったのは「酒の周辺」だった。

・ビール(ピール)事業への挑戦
・健康食品への展開
・清涼飲料・水・食品領域への拡張

酒を売る会社ではなく、
「生活そのものに関わる会社」へと変わっていく。

やがて Suntory Holdings は、
単なる酒造会社ではなくなる。

飲料
健康
食品
流通
広告
文化

それらを横断する企業へと成長していった。


【まとめ】

鳥井信治郎が最初にやっていたのは、
ウイスキーを売ることではない。
赤玉ポートワインを売ることでもない。
彼が作っていたのは一貫してただ一つ。

「まだ存在しない市場が、受け入れられる順番」

である。

・売れない時代は、商社機能で耐えた
・震災では、利益より信用を選んだ
・広告では、まだ見ぬ欲望を作った
・ウイスキーでは、文化そのものを育てた
・そして事業は、酒を超えて生活へ広がった

結果として残ったものは、企業ではない。
それは、

文化を設計する会社だった。

そして今もその名は続いている。
一つの酒の名前ではなく、
一つの問いでもある。

「まだ誰も信じていないものを、どうやって現実にするか」

信治郎が残した答えはシンプルだった。

売るのではない
市場を先に作る

その思想は、今も生き続けている。


★世界の偉人シリーズは、不定期投稿です。
★日本国内のみならず外国の偉人についても取り上げていきます。
どうぞお楽しみに!


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