【徒然日記】フリーって何をかけばいいんだろう?
今日は、恩師が来店してくださいました。
事前にやりとりもさせていただいていたのですが、いざ会うと、やはりとっても嬉しくて。年甲斐もなくテンションが上がってしまいまして(笑)
あれこれ話したいこともあったのでしょうし、聞きたいこともあったのでしょう。気がつけば、ずいぶんたくさんおしゃべりしていました。
こういう時間は、やっぱり嬉しいものです。
自分が昔お世話になった人が、今の自分のところへ来てくれる。
なんだか、不思議な感じもします。
一方で、今日は悲しい連絡も舞い込んできました。
嬉しいことがあったと思ったら、悲しいことが起こる。
人生というのは、なかなかするりとは進んでくれないものだなあ、と思います。
年齢を重ねるにつれて、自分の心の振れ幅が、よくも悪くも大きくなってきたような気がしています。
子どもの頃には、一時期、心を閉じていたこともありました。
周囲に対して、なんというか、無味乾燥としていた時期もあったように思います。
それが今では、ちょっと感動するアニメのワンシーンを見ただけで、ぞわっとして、泣き出しそうになったりする(笑)
ずいぶん変わったものです。
心が動くということは、豊かなことなのだと思います。
嬉しい
悲しい
面白い
悔しい
誰かの言葉に心を動かされる。
美しいものを見て、胸がいっぱいになる。
そういうものを感じられること自体は、とても幸せなことなのでしょう。
ただ、その一方で。
心が動くというのは、ものすごくエネルギーを使うことでもあるのですよね。
だから、心穏やかに過ごしたいときには、あえて興味を閉じるというのも、一つの作戦なのではないかと思っています。
心が動くことと、心を動かし続けることは、少し違うのかもしれません。
自分の気持ちが揺れて、揺れて仕方がないとき。
悪意のある言葉が聞こえてきたり、自然災害に苦しんでいる人たちの言葉が届きすぎてしまったり、「どうにかしてあげたい」と思っても、自分にはどうすることもできなかったり。
そんなこともあります。
もちろん、その人たちの想いや苦しみを「なかったこと」にするという意味ではありません。
ただ、「今は、そっと目を閉じさせてください」ということがあってもいいのではないかな、と。
見ない
聞かない
距離を置く
それだけで「冷たい人」と決めつけるのは、違う気がしています。
人には、それぞれ自分を保てる範囲がありますから。
よく、人を助ける仕事の中で、「自分が無事に帰ってこそ」というような言葉がありますよね。私は、大勢の人に当てはまることなのではないかと思っています。
誰かを助けようとして、自分自身が立っていられなくなってしまったら、結局、誰かを支えることもできなくなってしまう。
だから、自分を守ることは、必ずしも自分勝手なことではなくて。
むしろ、誰かと関わり続けるために必要なことなのかもしれません。
そして、このことは、私が普段「相談に乗る」ということを考えるときにも、つながってくるのです。
さて。
今日はずいぶん真面目な話になってしまいましたね。
タイトルにもある「フリー」の話です(笑)。
私、フリーの記事って、何を書けばいいんだろう?と、たまに思うのです。
気がつくと徒然日記になっている。
いや、そもそも「徒然日記」というもの自体が、何を書いてもいいものなのかもしれませんけれど。
「今日はこれについて書きます!」と決めて書く記事もあれば、
「今日はこんなことがありましてね」
から始まって、気がついたら妙なところまで考え込んでいる記事もある。
たぶん、今日はこちらのタイプです(笑)。
質問箱みたいなものを置いておくのも、一つの手なのかな、なんて考えたりもします。
でも私、不特定多数の人が、名乗らずに投書できるものって、どうにも微妙な気持ちになるんですよね。
いや、匿名だからこそ言えることがある、というのもわかります。
わかるんですけれど。
メッセージでいいから、名乗りつつ要求してよ。
要求するなら、名乗るくらいの誠意で接してくれよ。
……なんて思ってしまうわけです(笑)
結局、今日の記事もこんな感じになりました。
ということで。
もし、
「こんなことを書いている喫茶それなり(naru)をみたい」
とか、
「そういえば、これについてどう考えてるんだろう」
みたいなことがあれば、こっそり教えてください。
善処します(笑)
ここからは、今日あらためて考えた「相談に乗る」ということについて、もう少し書いてみようと思います。
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