OLYMPUS E-520と、消えた渋谷の地上駅。
15年ぶりくらいに埃まみれのオリンパスのE-520を引っ張り出してきた。2009年、高校を卒業した時に親に買ってもらった初めての一眼レフカメラだ。
当然、電池は完全にすっからかんだ。当時の充電器も見当たらない。数世代前の古い規格だから、そのへんの家電量販店を回っても手に入りそうにない代物だ。一度はこのまま眠らせておこうかとも思ったけれど、どうしても諦めきれず、Amazonで互換性のある充電器を探して購入した。
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数日後、届いた充電器にバッテリーを差し込み、コンセントに繋ぐ。充電されない…バッテリー自体がもうダメになっているのかもしれない。しかし互換バッテリーもセットになっていたのでそちらに入れ替えて、数時間ののち、息を吹き返したE-520の電源スイッチを、祈るような気持ちで「ON」へとスライドさせた。
カシャ、と静かにレンズが沈み込み、液晶画面が光る。CFカードの中に残されていたデータを恐る恐る覗き込んで、私は手を止めた。
そこに映っていたのは、一枚の渋谷の風景だった。

撮影日は2011年。大学1年生から2年生になろうとしていた春休み、あの3.11の少し後。写真の中の街は、まだどこか冬の装いを残している。
あの頃、日本全体が重く、暗い空気に包まれていた。けれど、私が通っていた渋谷には、どこか意地を張るように、いつも通りの日々の時間が結局は流れていた気がする。そんな混沌と日常が同居する街で私は大学生をしていた。
写真の左側には、アーチ型の屋根が特徴的だった東急東横線の地上駅。その下には、今となっては信じられないくらい巨大で境目も曖昧な喫煙スペースがわずかに映り込んでいる。奥に見えるのは東急百貨店のビル。画面の手前には、バス停へと向かう階段を行き交う人々。私はこの場所をよく知っている。この前を通って毎日、大学へ通っていたからだ。
けれど、なぜこの瞬間にシャッターを切ったのか、その理由は全く思い出せない。構図を凝ったわけでも、歴史的な瞬間を記録しようとしたわけでもない。本当に、なぜデータが残っているのかすら覚えていないような、ただの写真。
それなのに、画面を見つめていると、一気に「エモい」という感情が胸の奥から溢れ出してきて、言葉にならなくなる。刺激的で、毎日が新しくて、どこかあぶなっかしくて。あの頃の空気の冷たさや、バスを待つ瞬間の退屈さ、行き交う人々の足音までが、この1枚から鮮明に蘇ってくるのだ。
「時が経ってしまったな」と思う。
時間が経つのは早い。そう言ってしまうのはあまりに安直で、使い古された表現だと分かっている。けれど、本当に、本当に安直なんだけれど、それ以外の言葉が見つからない。そんな自分へのもどかしさが、苦しくなるほどに押し寄せてくる。
あの頃の私が何気なく切り取った「日常」は、今や跡形もなく消えてしまった。東横線のホームは地下深くへと潜り、百貨店のビルも姿を変え、渋谷の街はすっかり新しくなった。渋谷も、私も、15年という歳月をかけて、二度とは戻れない変化を遂げてきた。
特別な意味なんて何一つなかったはずの、ただの写真。それが時というフィルターを通り、Amazonから届いた小さな充電器によって呼び覚まされた瞬間。写真って、本当に不思議だと思った。
