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わかりみ。吉本ばなな「クラウディクラウドファンディング」を読んで

お客様から
「吉本ばななさんの『クラウディクラウドファンディング』読んだ?」
と聞かれ、早速購入。 読んでみました。

以下有料記事の感想なので読んでいない方はごめんなさい。

わかりみが深すぎる…。
これって
「う、うちもそうです」
という人は少なくないと思います。
母や父がこのようでなくても近い親戚にいたり、結婚したら相手のうちがそうだったり。
もちろん
「こ、こんなの特別な人のことですよね。盛ってますよね?! 盛ってると言って!!」
という人もいるとは思いますが(それはそれで、幸せなことです)、全然盛ってないですよ。
吉本母みたいな人、私がよく知るだけでも4人はいるし、うっすら知っているだけだともっといる。

あと、親やパートナーからの有形無形の「おどし」や恒常的な「泣きおとし」に神経が麻痺して取り込まれている人もあちこちにいる。
もともとは愛とか心配という優しさがあってのことだけど、その優しさが局所的に機能しているから(みんなに愛を振りまくのは無理なので仕方ないけれど、エネルギーを親やパートナーに全集中…というかその人に吸い取られていて、周囲への共感や感謝が極端に少なくなる)、結果的に親やパートナーではないけれど大切な人達に迷惑をまき散らし、しかしそこには無頓着。
必然的にひとが離れて行くことになり、でも本人は「親やパートナーを愛しているだけなのに、みんな冷たい…」と被害妄想をつのらせるとか…(それでいて献身している親やパートナーから愛情をたっぷり貰えるかというとそういうわけではないので、いつも与える方が多いので愛や共感には飢えていて、他者が必要ではある。でも他者から見るとこういう人達はエネルギーヴァンパイアなので親しくなるのは難しい)。

一見すると弱かったり若かったりする人が、一見すると強くて年長な人(社会的に力のある人だったり)を支配していることについても書かれていますが、これも結構あります(もちろん逆も)。
距離を取らないのだからどっちもどっち…ともいえますが、共依存はなかなか外からは仕組みが分からないのです。

本人達だって(ほとんどの場合)無意識だから仕方ないと言えばそうなのですが、「あなたの無意識はあなたの人間関係である( ウォルター ベラン ウルフ)」。
人間関係が上手くいかない時は、自分の暗黙の前提がおかしいかも…と気付けたりするといいですよね(難しいけど)。

そしてもちろん困った人達だって、吉本さんが書かれているように良い所が沢山あり、他の人には真似できない技能があったり、共に過ごした素晴らしい思い出もあったり…。そして何より、言うまでもなく、本人はただただ一生懸命生きている。
見ようによっては少し愚かだけれどかわいい人で、自分だってダメなところが沢山あるわけだし…と思わないこともないけれど…。
それでも、やはり、相いれないものは相いれないし、人は自由に生きる権利がある。やりなおすことが出来るし、必要なら離れることもできる。
たとえ血のつながりがあってもパートナーであっても、自分でないひとを意のままにしようとしてはいけない。
「なんで〇〇してくれないの?!」
という人は結局自分のことしか考えていないので、それを繰り返されるなら距離をとることは生きて行くための健全な選択。
もちろん距離をとることも、時には縁を切ることも躊躇ためらうのは当然だけれど、とはいえゆっくりゆっくりと共に毒を飲み続けるのか(一緒に飲んでいるように見えて自分だけが毒を飲んでいることもあるから注意!)、悩んだ末にアムリタを選ぶのか…それは自分が決めていい。
虐待されていると「え、私が私のことを決めていいの?」と思いがちかもしれないけれど、いいんです。
どうするかはあなたが決めていい。

そしてこの「クラウディクラウドファンディング」は吉本ばななさんが考えに考えて決められたこと、書かないで済むなら書かないでおきたかったけれど、でも…という非常に重い決断だったのだと思います。
もう十分に、十二分に、いや五十分以上にやっているけれど、突き放すことができない。
熟考の末、最後にこれだけやろう…と。
個人的にはこの選択が良いのか悪いのか、よくは分かりません。
でもばななさんの深い愛を感じますし、またこの文章で救われる人もいると思います。いろいろな形で。

少なくとも私はこれを読み、背中を押された気持ちになりました。
そして改めて、思うことや考えることを書いていこうと思いました。虐待やそれに類することはエッセイで赤裸々に書く事はないけれど、でもフィクションの形をとった「真実」を書いていきたいと。
これまでに吉本さんが生み出して下さった沢山の小説に、作品に感謝しつつ、微力ながらやれることをやっていこうと思います。

書くことは、ずばりテレパシーである。程度の差こそあれ芸術というものはおしなべてテレパシーに依存している。その最たるものが文芸だろう。
           (スティーブン・キング「書くことについて」より)

テレパシーを使う人って、テレパシーを開発する必要があった人。テレパシーを使わないと生き延びられない状況にあった人が少なくないと思います。
その多くは幸福でもなんでもなくて、ただ生きるためにそれを使い、使い続け…。
もちろんその軌跡を残すことで、現在や未来の「テレパシーを使わないといけない状況の人」の光になることが出来るかもしれない。
時空を超えたやりとりができるかもしれない。
でも一方でテレパシーも万能ではなくて、出来ないことも沢山ある。何も届かないこともあると分っているけれど…それでも…。

この文章を読めて良かったです。
教えて下さったKさん、どうもありがとうございます。
そして吉本ばななさん、素晴らしいエッセイをありがとうございます。
これからも作品を楽しみにしています。
どうか、くれぐれもお体を大切にお過ごしください。

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青柳寧子 お読み下さり、誠にありがとうございます! 頂いたチップは今後の取材・資料購入などに使わせて頂きます。 充実した記事をご提供できるように努めて参りますので、何卒よろしくお願いします。