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日本をダメにした二つのTVドラマ(加筆版)

私が教育公務員時代、唯一赦せなかったTVドラマがある。

「失楽園(著者:渡辺淳一)」

「高校教師(脚本/野島伸司)」


「失楽園」は不倫を題材とした小説を映画化、「高校教師」は教師と教え子の禁断の恋のTVドラマ(TBS)。


ちょうど初任校時代に出版やTV放送、社会現象を起こした。

その結果、ドラマを見た世の成人男性が女子高校生を性の対象と見做したり、既婚男性が職場の独身女性に手を出し、現実の高校教師が教え子に手を出す事態に発展した。

平成初期の頃は”ロリコン(幼児性愛)”の対象者は「中学生」までだった気がする(20代前半が中学生12~15歳を対象とするように)

それがPC版「18禁ゲーム」やコミケなど「2次創作作品」のメジャー化に伴い、高校生から中学生を経て、小学生~幼稚園児とさらに性の対象者は低年齢化していった。

そこから未就学児や小学生を狙った「幼児猟奇殺人事件」が増えて行ったのは自明の理。


(加筆分)
平成中期からは「子どもの手本になる大人」が減った。

それに「ネットやSNS」で本来成人してから思い知る「学校で学んだことと実社会の矛盾(ダブルスタンダード)」を若年時に知り、スマホで上手く対人関係が築けず、精神を病みやすく、生きること自体が過酷なってしまった。

それが未来の日本を担う未成年たちの就労意欲を削ぎ、なりたい職業が「コンサルタント」「動画配信者」という生産性のない、虚業を志望するようになった。

・人から命令や指図を受けたくない。

・最初から自分の希望する部署で働けないなら辞める。

社会人経験0の能力ナシに数か月の研修を行い、2~3年間会社に利益をもたらさないにも関わらず給与や賞与が出る。

そのこともわからずに自分は優れていると勘違いしている。

「謙虚」「素直」という文字は知らないようだ。

GTO」や「地獄先生ぬ~べ~」も同時期に放送されて絶大な人気を博していたのが子ども達からダメな大人社会へのアンチテーゼだった。


私の初任校ではそういった性的な目で見てくる男性教師の視線に敏感に反応して、毎日学年関係なく女子高校生から「大人の出来損ない」の苦情や悩みを捕まえられて、そして聞かされた。

しかも20代だけでなく50歳という分別ある年齢の教師までいて、閉口した。

殆ど体育教師体育館で部活を行う指導者ばかり。

そういう教師のクルマは容赦なく蹴られ、キズを付けられ、リアの灯火類を割られている。

当時の高校生はそれくらい「大人の手本足り得ない不適格教師」に対して”物理的に意思表示”していた。


(加筆分)
毎日女子高校生からクレームを聴き続けていたら、流石に「自分事」と受け止めて対処する。

”軽度知的障碍や境界知能”が疑わしいガテン系や農業従事者、バイクやクルマなど乗り物系が好き、武道系部活出身者の「性に対する異常な執着」にはゲンナリした。

平気で「女子高校生と犯ったか? 何人やった? 味はどんな感じ?」と訊ねてくる。

やんわりと否定すると「真面目だね」とまるで”自分はマトモでお前はオカシイ”と決めつけてくる。

自分が「旅の手段」としてバイクに乗り、唯一デメリットだったのが上記の人たちと関わってしまったことだった。

またバイク屋とも最低限の修理依頼だけで、その常連客達と関わらなければもっと”人として上に行けた可能性”は否定できない。

別に男に限らず「恋愛至上主義」の女性も同様。

「恋愛」以外にも人間には多様な表現手段や生き方がある。

人が楽ができる道具を発明したり、効率の良いアイディアで組織の成長を伸ばす、人の感性を豊かにする芸術、過去の歴史や知恵を知ることが出来る作家、人の死を救うことが出来る医療。

私は未来の日本を担う生徒の手助けを一寸だけ関わることができた。


(加筆分)
特別支援教育では性教育は教えない。

教えてしまったら”避妊”を覚えるのではなく快楽を覚え、「望まれない妊娠/出産」がネズミ算式に広がり、産婦人科がパンクしてしまう。

貧乏子沢山=知的レベルが低い。

知的レベルが高い高所得家庭は限られた人的・資産を少数精鋭に注力する

あまり詳しくは言えないが「同性愛」傾向の男子や巨乳で若い女性教師を選び、抱き着いたドサクサに紛れて触るケシカラン小学生がいた。

当時バスト120㎝あった自分の「厚くて逞しい大胸筋」を何故触らない?と突っ込みたかったw

障碍を持って産まれた子ども達に心を寄り添う若い教師からしたらショックで泣きだすことは普通だ。

実際に幾人か哭いている若手に優しい声をかけたことがある。

内科や看護師や歯科衛生士の場合、対策としてブラと服の間にタオルなどを挟む(歴代の元カノに実際に聞いたので…)

(加筆分)
民間と違って研修もなく、”その日”から現場に放り込まれ、「恥をかき、泣きながら覚えて行く」のが教育公務員なのだ。


そこに定時制高校では養育環境に問題がある子ども(不登校やイジメ・境界知能)が多く、初任校にいなかった生徒の想像を超えた話を聞いて打ちのめされた。

トドメと言わんばかりに特別支援学校であまりに発達障碍の激増に「もう子供をそだてられる社会じゃない」と結婚と子どもを放棄した。

これがずっと高校を歴任していればこうは思わず、結婚していた可能性も高い。

しかし、定時制と特別支援の勤務経験で「日本の未来」を知ってしまった。

マスコミが騒ぐ前に、既に数年先に現場で現実(発達障碍と境界知能)を知った。


一番最初の高校で生徒の愚痴や不満を毎日10~20人聞かされれば私生活では誰とも会話したくなくなる。

平成初期までの年長の同僚、特に部活顧問者は部活終了後、パチンコ屋で「1人の時間」を過ごしたくて、よく通っていた。

無論「お小遣いが増える」こともあったが、早く帰宅すると奥さんの答えや解決を必要としない「愚痴や不満」を聞かされるのが嫌で20時辺りまで過ごすのが当時は普通。

自分の場合薄給(24歳で手取り13万円!)で、事務職員は部活手当や出張旅費が支給されないため、パチンコでガソリン代や高速費などを賄っていた(喫煙可能だったので精々1~2時間で帰る)

自分の機嫌をとれない」女性が平成中期以降増えた気がする。

自分が高校生の頃は、そういった女子はあまりいなかった。


その甲斐あって「女性の悩みや相談」には一切耳を傾けることはない。

基本ポジティブな生き方なので、ネガティブな感情は自身のメンタルに悪影響を及ぼす。

仮に聴いても「答えが欲しい訳じゃない、ただ私の気持ちに寄り添って」という”時間の無駄”でしかない。

その”気持ちに寄り添った”結果が「ゆとりやZ世代」というモンスターを誕生させた。


(加筆分)

自分は悪くない(変化したくない)、相手が悪い.…

当時はそんな社会的不適合者を咎め、説諭する既婚に関わらず女性教師が平成初期の高校では当たり前に存在した。

しかし自分の初任校で20代の女性教師に至っては部活指導を嫌がり、「余暇は友達と呑みや旅行」「結婚相手を探すべく飢えていた」ばかりで部活にも顔を一切出さないのでその部の部員から「竜堂先生、俺らの顧問になって欲しい」と懇願された記憶は今でも忘れることが出来ない。

この頃から「教育現場の男女平等は不平等と」不満を持つようになったが、平成中期以降、男性教師は働き損が当たり前になったようだ。


世の中には現実とフィクションの境界が曖昧な人間が一定の割合で存在し、また模倣してしまう者も後を絶たない。

有名な事件だと2019年7月18日に発生した京都アニメーション放火殺人事件により、未来あるクリエーターが死傷、所蔵する資料もすべて焼失した。


上記二つのTVドラマ以降、教育や学びに繋がる番組が減り、過激な「恋愛ドラマ」ばかり作られるになった。

昭和のTVや脚本家は日本のみならず海外の名著や映画を基礎知識で知っており、その上で「視聴者に訴える良い番組を作る気概があった。

しかし平成5年以降バブル景気を反映させた「トレンディドラマ」を契機に視聴率至上主義になり、より過激なTVドラマ(「恋愛」「SEX」ばかりの女性ウケする、刹那的な「性」描写ばかりの作品)が増えた。

邦画に至っては単なる若手芸能人のプロデュースばかり…

令和に至っては「お笑い芸人」「女性タレント」「動画配信者」という壊滅的な人選しか登場しない。

そして失われた30年間の間にお笑い芸人を始めとする、大喰い番組やバラエティ番組ばかりになった。


「教育業界」だけでなく、物心つく3~4歳あたりの子どもが親から与えられたスマホで「ショート動画」や「動画配信者」ばかり見ている。

そして既に”スマホ依存症”になった後、小学生にあがってから「子どもがスマホばっかり見て勉強しなくて困ってます。何とかなりませんか?」と訴えてくる母親が当たり前になった。

いくら小学1年生から学校で「SNSの教育(研修)」を行っても既に手遅れなんだけどね。

学校は親の養育放棄代わりの「託児所」ではないよ…


そんなことがあって以来TVはあってもゴールデンタイムはナニも見なくなった。

そもそも平日の帰宅が20時と遅く、家事(食事や入浴洗濯)をやっていたらあっという間に22時になってそんな無駄な時間はない。

23:30分まで自分が教える教科の予備知識や生徒の就職先の企業情報や創業者の自伝を読み、朝は5時起床~6:30出勤…そんな生活を5年送って辞めた。

そしてコロナ渦の毎日全国感染者数発表という誰も望んでいない報道でTVを処分した。

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