値段のない贅沢
私は資産家でもなければ、どこかの会社の経営者でもない。若い頃からずっと組織の中で給料をもらい、平々凡々と生きてきた勤め人だった。特別高給取りだったわけでもなく、景気のいい会社で働く同世代のボーナス額を羨むような、どこにでもいる男だった。
そんな私が、なぜかある高級百貨店の外商顧客になっていた。
デパートの外商といえば、私には縁のない世界だと思っていた。高価な宝石も絵画も買えず、高級な紳士服や妻の呉服にも、ほとんど縁がない。そんな月給取りの家へ、なぜか外商部員が夜ごとやってきた。
仕事帰りの私と酒を酌み交わし、日本の古典文化や陶芸、書や日本画の魅力を語り明かした。経済的に余裕があったわけではないが、彼から買ったものが一つもないわけではない。
日本全国の地酒と、会津塗の漆器である。
正月に使う会津塗の三段重箱と、屠蘇器のセット。月給取りの身にはそれなりに勇気の要る買い物だったが、輪島塗のように手が出ないほど高価なものではなかった。あれから四十年近く経った今も、正月になるとその重箱でおせちを食べ、屠蘇器で酒を呑む。歳月を重ねても光沢は衰えず、黒地に配された金蒔絵(きんまきえ)の南天がなんとも美しい。江戸時代の会津武士を思わせるような、質実剛健で気品ある逸品だ。これも彼が「派手さはないですが、絶対にお値打ちです」と熱っぽく薦めてくれたものだった。
そして地酒である。彼は毎月、一升瓶を二本届けてくれた。届けに来るのはたいてい仕事が終わった夜で、そのまま我が家に居座り、その晩のうちに必ず一本を空けていく。しこたま呑むものだから、そのまま泊まっていくことも多かった。自分で売った酒を我が家で呑み、朝方に帰っていくのだから、今思えばおかしな話である。
だが、そんな夜が実に楽しかった。
多趣味で日本文化に造詣の深い彼とは、とにかく話が合った。「酒は辛口に限る」「高い大吟醸に旨いものはない。そこらの安い『鬼殺し』のほうがよっぽどうまい」と、酒の好みも完全に一致していた。
時には「先生、これ絶対うまいですから呑みましょう」と、どこで買ってきたのかも分からないような安酒を自腹で抱えてやってくることもあった。見た目はいかにも安っぽいが、口に含むと実にきりっとした見事な辛口なのだ。「五千円も八千円もする甘い酒はだめです。こういう酒が本当の贅沢ですよ」と語る彼に、「高い酒を売りつける外商がよく言うよ」と苦笑しつつ、酒の肴を出す。どちらがごちそうになっているのか分からない夜だったが、時計の針が午前二時、三時を指しても、語らいは尽きなかった。
やがて彼もデパートを辞めて別の道へ進み、私との付き合いも途絶えた。時代の流れとともに、そのデパート自体も街から姿を消した。
今でも私は、ワインのように甘い日本酒や、気取った大吟醸にはあまり手が伸びない。呑むのは決まって、彼が昔持ってきたような、どこの馬の骨とも知れぬ辛口の安酒だ。
この頃、名も知らぬ安酒を口にするたび、彼と交わした青くさい文化論や、あの賑やかな夜の空気が蘇ってくる。
若かった私たちは、本物の美しさや価値は決して値札だけで決まるものではないと信じていた。いや、信じていたというより、あの小さな畳の部屋で、すでに知っていたのかも知れない。
今夜も私は、自室で安酒を口に含み、誰に聞かせるでもなく呟く。
「酒は辛口に限る」
四十年前の彼なら、きっと目の前で大きく頷いただろう。
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