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普通の主権者(0419梅田スタンディング)

 4月19日、梅田ヨドバシ前のスタンディングに参加した。東京の国会正門前19日行動に連帯するアクションだった。

 14:00からのスタンディングだったが、お手伝いをすることになっていたので13:30に現地に着いた。すでに何人かがプラカードを手に列を形成し始めていた。呼びかけ人とサポーターで打ち合わせをしている間も人は増え続け、14:00にはすでに300人ほどが集まっていた。


 3/19、ちょうど1ヶ月前梅田ヨドバシ前でデモをしたときに比べると、人々が手にしているもののバリエーションは圧倒的に増えた。ライブのうちわを作るように、パーティの準備をするように、楽しんで持ち物を作ったり選んだりしたのかもしれない。

 本を読んでいる人も多くなった。憲法や民主主義に関する本。憲法そのものを読んでいる人もいた。あるいはオーウェルの1984を。

 予備校のテキストを広げている人もいた。数学でも英語でもなく「漢文」のテキストを広げていたのはもしかすると、中国との関係悪化を煽る政権に対するその人なりの意思表示だったのかもしれない。

 今回は昼のデモでペンライトを持っている人は少なく、代わりにバルーンを持っている人が多かった。おそらくお誕生日会用の「9」の形のバルーン。似たようなもので、ケーキをデコレーションする用のケーキトッパーを持っている人も見られた。これも9の形をしたもので、あつらえたように数字の上に王冠が乗っている。王様気分の権力者に、おまえたちは王でも女王でもないと突きつけるように。


 少ないと言ったが、ペンライトを持ってきている人もやはりいた。「百均で買ったペンラをデコったんです」と語ってくれた人は、レースで縁取られたハート型のペンライトを右手に、造花を仕込んだペンライトを左手に持っていた。プラカードにも花が飾られていて、華やかにデモを彩ってくれていた。

 手書きのイラストで作られたうちわを掲げている人もいれば、なんらかの裏紙にボールペンでぐりぐりと文字を書いたものをプラカードにしている人もいた。スマホの画面でプラカードを表示している人もいた。

 ほかにもさまざまな人がいた。ティラノサウルスの着ぐるみ。憲法98条を書き込んだこいのぼり。手編みで作られた「NO WAR」のプラカード。腕に巻く用のケミカルライトを折って光らせている人もいた。一本の細いライトは儚くも見えたが、しかしそれを手に持ち列に加わる人の足取りは力強かった。

 「普通の市民」というプラカードもあった。これは高市首相の「(国家情報会議に関して)普通の市民が調査対象になることは想定しがたい」という曖昧模糊な答弁を皮肉ったものだ。「門ひろこさん見てる〜?」といううちわは、先日のAbemaの番組で門ひろこ議員が「デモはごっこ遊び」と発言したことを受けてのもの。

 直球の怒りはもちろん重要で、大切にされるべきものだ。けれどこうしてユーモアを交えて権力者の言葉を批判していく軽やかさもまた、忘れたくない。怒りひとつで塗りつぶされないために。私たちが「楽しんでワーワーしている」ことを見せつけるために。

 「戦争反対はお花畑」と揶揄されたことを逆手に取るようなプラカードや持ち物も多かった。押し花で書かれた「Peace」のプラカードを持っている人。生花を持っている人もいた。

 それから「戦争に反対するお花畑の会」という、Twitterで発足したハッシュタグをプラカードに落とし込んだもの。このプラカを持っていた方はお花の風車を手にして、さらには花柄のスカートを身にまとっていた。「このスカート手作りしたの」そう語ってくれた。とても素敵だった。

 私たちには怒りがあって不安があって絶望がある。けれどその怒りや不安や絶望をものづくりに落とし込める人は、とてもしなやかだ。ものづくりは内省の行為だ。それを続けるうちに、怒りや不安の正体が見えてくる。すると外に発散する声も、研ぎ澄まされていく。

 スカートに限らず、プラカードやフラッグ、幟、横断幕を自作している人だってそうだ。「9」のブローチを自作している人にも出会った。「安保デモのときから作ってるの」と語ったその人は、ブローチのほかにも鞄やパレスチナの旗のバッジも見せてくれた。10年変わらずプロテストを続けてくれた人がいるのだ。私も、10年だろうが20年だろうが続けてやらねばならない。


 14:00ごろ、スタンディングが始まって間もなく。道路を挟んだ対岸で新党くにもりが街宣を始めた。移民反対政策を掲げる右派の政党だ。呼びかけ人から、「街宣が気になる方を静かなエリアに誘導してあげてください」という提案が出た。私はそのエリアからは遠い場所の誘導を担当していたため、実際にどの程度の人が移動したのかは知らない。その場所でなにが起こったのかもわからない。

 けれどそれから30分ほどあと、「スタンディング参加者から自発的に『戦争反対』『改憲反対』のカウンターコールが起きている」と連絡があった。

 15:00、最終人数678人でスタンディングは終了した。私が誘導を担当していた場所ではしずかに、すみやかに人々は解散していった。しかしその後、駅のほうへ戻ろうとしてヨドバシをぐるりと一周していてその光景に行き合った。

「レイシスト帰れ!」「レイシスト帰れ!」

 くにもりの街宣に対し、スタンディングの参加者たちが対岸からカウンターを続けていたのだった。

 スタンディングの終了からすでに15分ほどが経っていた。けれど人々はその場を動かず、プラカードを掲げながら、フラッグを振りながら、声のかぎりに叫んでいた。

 スタンディングに参加している人の多くはデモ初心者だ。私もそうだけれど、カウンターなんてやったことがない人が大半だったと思う。それでも彼らはヘイトスピーチを許容せず、見よう見まねで声を上げていた。これは大きな一歩かもしれない。


 この日、名古屋では「令和版ええじゃないか」の音頭が奏でられたらしい。東京、国会正門前の近くではシンガーソングライター春ねむりさん主催の「ゲリラ・アフタヌーンティー」が行われたとか。先日は団地のネコさんが「山手線一人スタンディング」を行っていた。来月の4〜6日には、それに触発された「大阪環状線一斉スタンディング」が開催される。各地で、それぞれの方法で、それぞれが声を上げている。

 新しいやり方で。あるいは、これまでのやり方が市民に受け入れられる形で。社会運動が、少しずつ、この国に根差し始めているのを感じている。

 最初に述べたように、参加者が手に持っているものの種類も増えた。どんな言葉なら、どんな形なら、どんなモノならより自分の主張を、自分自身を表現できるか考えながら用意したのだろう。「ただプラカードをネットプリントで印刷して立つ」だけではない、より自らを表現できるやり方で、より自らが楽しめるやり方でスタンディングに参加する姿勢は、プロテストが彼らの人生に馴染み始めている証拠なのではないか。

 また、それぞれの持ち物の多様化はそれ自体がプロテストのバリエーションの豊かさを表現しているように思う。

 実を言うと「疲れた」という声もよく聞くようになった。デモ参加者の人数も、頭打ちになりつつあるのかもしれない。けれどプロテストのあり方はますます多様化し、これまで培われてきたノウハウと共存しながら徐々に人々の意識を変えつつある。

 これから参加者の数は減っていくかもしれないが、少なくとも一度路上に出た人たちはプロテストという手段があることを知った。自分が主権者であることを知った。「普通の市民」として声を上げていいのだと知った。

 数は重要だがすべてではない。大切なのは私たちが主権者である意識を持ち続けることだ。ひとりひとりが、できるときに、できる場所、自分に合うやり方でプロテストを続けられたらそれでいい。


 3月に入ってから、今回も含めて梅田(ヨドバシ前およびバスロータリー)では5回デモがあった(と思う)。これは関西のデモ情報をよく追いかけている人なら知っているだろう。けれど、その5回とも主催がまったくべつの人である、というのは、意識して見ないと気づかないかもしれない。

 できる人が、できるときに、できる場所で、自分に合ったやり方で。その結果が梅田の5回のスタンディングであり、数えきれないほどたくさんの地域でのアクションなのだと思う。

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