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太陽と海と翼の生えた馬―小説『かいじん家族の墓標』に込めた想い―

はじめまして。Free2moveの活動を陰ながら応援しているかなた流と申します。この度はFree2moveへの応援を込めて、私の想いを綴らせていただきます。

私は2025年7月、長年の夢であり、目標でもあり、Life Workとしてきた長編小説を書き下ろし、『かいじん家族の墓標』というタイトルで上梓しました。

大学卒業後、小さな新聞社で7年間記者として働くなかで8度の訪朝を果たし、延べ1年余りを彼の地(北朝鮮)で過ごしましたが、その時の実体験(ノンフィクション)をもとに大胆なフィクションを織り交ぜて書いた物語です。

私は記者を辞めて以来これまでRice Workとして、いわゆるショービジネス、エンタテインメント界に身を置き、日本と韓国にプロダクション会社を設け、映画、ドラマ、興行、アーティストのマネージメントなどを日本、韓国、タイ、台湾、アメリカ、ブラジルなどでグローバルに展開してきました。

『かいじん家族の墓標』のメインイメージは、「太陽」と「海」と「翼の生えた伝説の馬」です。表紙絵にもあるように太陽は「黒い太陽」で、己だけが大きく輝いていて周囲を照らさず、人々を闇に落とし込む独裁体制そのものを象徴しています。海には風雨に翻弄される「満ち潮」と「引き潮」――歴史の荒波の中で流浪を繰り返す名もなき民草の生きざまを、「翼の生えた伝説の馬」には濁流を蹴って飛翔する魁(さきがけ)――先駆者の姿を投影しました。

かたな流著、文芸社


メインテーマは「脱北」ですが、夥しい数の家族史の視点から追うと、あるいは大きな時代を俯瞰すると、歴史というものは間断なく繋がり渦を巻いて流れているものです。朝鮮半島の近現代史は動乱にまみれ、日本統治時代の日本や満州、その他外地への大量流出、8.15解放から6.25戦乱にかけての越北、越南の逆流、1960年代から70年代に吹き荒れた在日朝鮮人の大規模帰還事業など、それらは一見別個の事象のように捉えられがちですが、すべてが一つの線で繋がる、悲運の歴史のなかで生まれ故郷を追われる人たちの物語なのです。

小説『82年生まれ、キム・ジヨン』『別れを告げない』他、多数の韓国文学翻訳で知られる斎藤真理子さんは、

「これはなかなか画期的な小説じゃないか。1980年代〜2020年代の朝鮮民主主義人民共和国・大韓民国・日本を舞台に展開される肉厚ファミリーヒストリーでありラブストーリー。在日コリアンの恋人と再会するために北の女性が脱北したりする。
『かいじん』とは怪人であり戒人であり界人であり、壊人でもあり、快人でもあり、魁人でもある、とのこと。
物語の中心にいるのは在日コリアンの親子2代。深刻な局面を次々かいくぐり前進する人々ですが、エンタメ小説でもあるようです。今まであまりなかったタイプではないでしょうか」

と評してくださいました。

また、『高容姫「金正恩の母」になった在日コリアン』、『父・金正日と私』の著者である五味洋治さんは、

「セジュンとソンイという男女が脱北し、中国を経由して日本にたどりつく物語です。(中略) 北朝鮮を脱出するために、自殺を偽装し存在を消すなど、高度な方法を取ったことも書かれています。とてもリアルで、多分これは本当の話ではないかと思いました。ストーリーもよく描かれていますが、脱北を実現するまでの道筋に興味を引かれました」

と綴ってくださいました。

日本では北朝鮮、韓国では北韓(プッカン・북한) と呼ばれている地域ですが、正式名称は朝鮮民主主義人民共和国。英語ではDemocratic Republic of Koreaです韓国がRepublic of Koreaなので両方とも英語では単一のKoreaと呼ばれているのは、何と皮肉なことでしょうか。

私も最近は御多分に漏れず日頃は北朝鮮と呼んでいますが、心のどこかにささくれのようなものが残っていて、口にするたびに鈍痛のようなものが去来したりします。民主主義、共和国―― 今となっては違和感しか覚えない呼称です。映画関係のある先輩はこのことを、もはやギャグかホラー以外の何物でもないと真顔で言っていたことを思い出します。

北朝鮮でなく朝鮮と呼んであげたいという幾分感傷的な気持ちが私には残っているのですが、それには二つの要因があるようです。

日本や韓国ではピンと来ないかもしれませんが、朝鮮は国連の正式加盟国で、国交を結んでいる国は159ヵ国と1地域(日本と韓国は190ヵ国強)に達しています。朝鮮が建国されたのは1948年9月ですが、建国当初は自由選挙、議院内閣制、多党制、私有財産、職業選択と移動の自由、三権分立、宗教活動、表現の自由などが緩やかに保証されていて、今ほど民主主義共和国という呼称に違和感を覚えたり、ギャグやホラーと感じるほどの国ではなかったのも事実です。

第2次世界大戦後、朝鮮半島の処遇を巡り米ソが神経戦を繰り返すなか、アメリカを過度に刺激しないためソ連が半島北半部の急速な社会主義化を推し進めなかったことが大きな要因ですが、それでも現実は現実として存在していたのです。

現在朝鮮半島の北半部を支配する彼の国が、世界160近い国と国交を結んでいること、そしていつの日かきっと建国当初の、その名に恥じない民主主義共和国へと原点復帰を果たしてほしいという切なる願いも込めて、朝鮮と呼ぶように努めています。

筆者撮影

この物語を書きたいと思ってから数十年の月日が過ぎましたが、これまで書きたくても書けなかった理由と、今だからこそ書くべきだと思った理由があります。

書けなかった理由の一つは、この物語の主な登場人物にはすべて実在のモデルがいて、小心者の私は、これを世に出すことによってその人たちが特定され、何らかの危害が及ぶのではないかと怖れていたからです。小説の執筆を始める前に私は、確かなラインを通じてその人たちの消息を確かめました。返って来た答えは「探せない」のひと言でした。

帰還事業で朝鮮に渡った同級生たちを、訪朝を機に会おうとした時も「探せない」という返答を受けた経験のある私は、その言葉が「亡くなった」、あるいは「(収容所送りなどで)世に出られない」の異音同義語だということを身に染みて痛感していました。

もしその時にその人たちと連絡が取れ、生存が確認されていれば、この小説を書くことはできなかったと思います。

もうひとつの理由は、1980年代終盤から90年代初頭にかけての時代背景にありました。物語の主人公のひとりセジュンの如く、記者として乗用車一台、運転手と案内員、取材対象者を含め四人ワンチームで九つの全道を旅し、時に無許可地域も突破しながら見聞きした朝鮮という国の現実があまりにも特殊すぎて、自由民主主義国に住む人々には到底理解されないし、普遍化することは不可能だと諦めていたからです。

当時の世界では東欧の民主化、ベルリンの壁の崩壊、天安門事件、ソ連崩壊がドミノ倒しのように起こり、今後の世界は急速に、あるいは緩やかにでも自由民主主義が拡張していくと、誰もが信じて疑わない時代でした。

しかしあれから30年以上が過ぎた現在の世界は、東西冷戦の終結時に抱いていた希望的観測を根底から覆しています。現在世界にある200余りの国のうち民主主義国と言える国は30%に満たないという統計を目にして愕然としました。残る70%の国は、濃淡はあっても、専制主義と言われる国々なのです。世界は過去の反省を葬り去り、中国、ロシアのような軍事大国は語るまでもなく、アメリカまでもがポピュリズムと衆愚政治によって専制と独裁を生み広げるという負のスパイラルに陥っています。

しかしもし、今後朝鮮の地に自由民主主義を復活させることができたとすれば、80年代に韓国で軍事独裁を大衆自らの力で克服し民主主義の範を打ち立てたように、それは世界史の新たな扉を開く輝かしい教科書となることでしょう。

あの頃、特殊すぎて到底普遍化できないと断念していた朝鮮の社会問題が今、世界的な喫緊の共通課題となって津波のように押し寄せているのです。朝鮮の特殊な社会問題の正体はいったい何でしょう。それは水も漏らさない世襲軍事独裁に他なりません。

生まれ育った環境から私の周りには今も、朝鮮の国家体制を支持する人がたくさんいます。テレビやネットのニュースでピョンヤン詣でに出向く昔の学友、親友らの姿を目にするたびに、鉛のようなもので胸を押し潰されるような思いに囚われます。誰憚ることなく胸襟を開いて夜通し語り合ったあの日々は、遠い昔のおとぎ話になってしまいました。

私は今も彼らと対話をしたいと願っています。日本や韓国は自由民主主義国なので、思想や考え方が違うと言う理由で弾圧したり、暴力を振るったりはしません。

しかし対話を始めるには少なくとも共通の出発点が必要です。契約で言うところの、用語の定義です。悲しいかな「世襲軍事独裁国」と言ったとたんに彼らは全否定し対話を拒否するので、スタート地点に立つことすらできません。そこで私は考えました。私の方が一歩引いて、妥協して、彼らが世界に向けて誇らしげに語っている言葉を用語として定義し、対話のスタート地点に設定しよう、と――。

彼らは「白頭の血統」をこよなく誇っています。「血統」と「世襲」はほぼ異音同義語です。

彼らは「先軍」を高らかに謳っています。「先軍」とは「軍事最優先」を意味し、「軍事」より強い言葉ですが、やはり異音同義語と言えます。

彼らは「唯一指導体制」を金科玉条としています。「唯一指導」と「独裁」もまた異音同義語と言って差し支えないでしょう。

朝鮮の国の在り方を「血統先軍唯一指導国」と定義すれば、それを支持する人たちも自分たちが主張している言葉ですから、対話や議論を拒む理由はないはずです。スタートとしてはそれで良いです。

あとは、「朝鮮血統先軍唯一指導国」は是か非か――。
そして、「朝鮮民主主義人民共和国」への原点復帰は可か不可か――。

書いてみて二つの国名の文字数が一緒なのにはいささか驚きましたが、私は私なりにこの時代に生を受けた一民草として、小説に描いた、私が老若男女を問わず愛した朝鮮の人たちの生き生きとした姿とともに、この壮大なテーマに流れる大河の一滴になりたいと願っています。

「黒い太陽」から始まった物語は、裏表紙の絵によって完結します。
太陽のない大海原に船を漕ぎ出すたくさんの、同じ大きさの人々――。太陽がないにもかかわらず光り輝いている人と船と海と空。それは等身大の名もなき人々が何かに照らされるのではなく、自ら発する光によって照らし出す新たな世界に他ならないなのです。

裏表紙・筆者撮影


Free2moveのポッドキャスト番組『同じ空の下 ~北朝鮮と私~』


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