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ようこそ! ハプニング!


この前、堺雅人さんがドラマの撮影について話しているのを見た。

あれほど膨大なセリフを、どうして間違えずに覚えられるのか。

答えは、ものすごく準備するから、ということだった。

まあ、そこまでは分かる。

プロだから準備する。
セリフを覚える。
現場で失敗しないようにする。

なるほど、立派だ。

ところが、その後の言葉が面白かった。

しっかり準備しておけば、本番で遊べる。
ふざける余裕ができる。

最初は、少し意味が分からなかった。

真面目に準備しておいて、なぜ最後にふざけるのだろう。

準備とは、ふざけないためにするものではないのか。

でも、その話の中に印象的なエピソードがあった。

撮影中、堺雅人さんがセリフを話している最中に、突然ラクダが動き出した場面があったという。

当然、台本にはそんな動きは書かれていない。

ラクダに台本を渡しても、たぶん読んでくれない。

完全なハプニングである。

ところが堺さんは、セリフを飛ばすこともなく、そのラクダの動きに対応しながら芝居を続けることができた。

その出来事を振り返って、やはり準備していたからこそ対応できた、という趣旨のことを話していた。

そこで、私は急に腑に落ちた。

準備とは、ハプニングをなくすためにするものではないのだ。

ハプニングが起きても、壊れないためにするものなのだ。

いや、もう少し言えば、

ハプニングをもてなすために準備する。

そんな感じなのかもしれない。

普通、ハプニングというものは敵だと思う。

予定通り進んでいたところへ突然やって来て、段取りを壊す。

困った客である。

できれば来ないでほしい。

ところが、十分に準備している人にとっては、その突然の客を玄関で追い返す必要がない。

どうぞ、いらっしゃい。

せっかく来たなら、こちらへ。

そんなふうに、予定外の出来事まで自分の表現の中へ招き入れることができる。

ラクダが動いた。

では、そのラクダも芝居の一部にしてしまおう。

そこに、プロの面白さがあるのだと思った。

そう考えていたら、もう一つ思い出した映像がある。

YouTubeで見た、あるコンサートの場面だった。

静かに演奏が続いている最中、客席から突然、LINEの着信音が鳴った。

普通なら、

ああ、やってしまった。

となるところである。

本人も気まずい。
周りもちょっと気まずい。
演奏者にとっても、決して歓迎したい出来事ではない。

ところが、そのピアニストは違った。

鳴ってしまったLINEの音を、そのまま拾った。

そして、その音を旋律の一部にして、即興で新しい音楽を作り始めた。

さっきまで演奏を邪魔したはずの音が、いつの間にか演奏の材料になっていた。

客席は笑い、そして魅了された。

これもまた、ハプニングをもてなすということなのだと思った。

追い出さない。

怒らない。

なかったことにしない。

せっかく来たのだから、

君もこちらへどうぞ。

と席を用意する。

しかも、ただ受け入れるだけではない。

そのハプニングから、それまで存在しなかった何かを作ってしまう。

堺雅人さんのところでは、突然ラクダが歩き出した。

ピアニストのところでは、突然LINEが鳴った。

ラクダにもLINEにも、こちらの予定など関係ない。

人生も、だいたいそんなものである。

こちらが準備万端だからといって、

では今日は何も起こさないでおきますね。

などとは言ってくれない。

むしろ、忙しい日に限ってラクダは歩くし、
静かにしてほしい時に限ってLINEは鳴る。

考えてみれば、私自身も、これまで準備不足のまま本番を迎えることがずいぶん多かった。

困ったら度胸。

分からなかったら勢い。

最後は、その場のパフォーマンスで何とかする。

それで不思議と切り抜けてきたことも多い。

人生というゲームでいうなら、装備を整えずにダンジョンへ入り、途中で拾った薬草だけでボス戦まで進むような生き方である。

それはそれで楽しい。

たまに、自分でも驚くようなクリティカルヒットが出る。

おお、今のは良かった。

そんな瞬間も確かにある。

でも、本番が終わってから、

あそこでもっと面白くできたな。

あの人を、もう少し喜ばせることができたな。

もう少し準備していたら、あの出来事さえ楽しめたな。

そう思うこともたくさんあった。

つまり私は、ハプニングを何とか撃退することには慣れてきたけれど、

まだ、もてなすところまではいっていなかったのかもしれない。

準備している人は、予定通りに進めることだけを考えているのではない。

予定通りにいかなかった時の余白を持っている。

次のセリフは何だったか。

間違えないだろうか。

どうしよう。

そんなことで頭がいっぱいでなければ、周りを見ることができる。

相手の表情を見る。

空気を見る。

そして突然歩き出したラクダを見る。

そこで初めて、

じゃあ、これをどう面白くしようか。

と考えることができる。

クリエイティブというのは、何もないところから突然飛び出してくるものではないのかもしれない。

十分に準備された地面に、余白が生まれる。

その余白から、予定外のものを受け止める力が生まれる。

そして、その予定外のものと遊ぶところから、新しいものが生まれる。

そう考えると、準備というもののイメージが少し変わった。

準備とは、本番を窮屈にするものではない。

むしろ、本番を自由にするものなのだ。

真面目に積み上げた人ほど、本番では軽やかになれる。

そして、自由になった人は、ハプニングを恐れるだけではなく、材料にすることができる。

プロというのは、もしかすると、

予定通りに完璧にできる人ではなく、

予定外のものまで、自分の作品にしてしまえる人

なのかもしれない。

私はまだまだ、人生についてはアマチュアである。

準備不足を度胸で押し切り、

終わった後で、

まあ、なんとかなったし。

と自分を慰めることも多い。

それも悪くはない。

たぶん、それで身についた力もある。

でも、これからはもう一段、違う楽しみ方を覚えてみたい。

一つ一つのことを、少しだけ丁寧に準備する。

仕事も。

人と会うことも。

何かを話すことも。

文章を書くことも。

そして本番になったら、準備したものにしがみつくのではなく、そこから自由になってみる。

予定外のことが起きたら、

来たか。

と少し笑えるくらいになりたい。

ラクダが歩けば、ラクダと芝居をする。

LINEが鳴れば、その音で曲を作る。

人生が予定から外れたら、

そこから続きを考える。

人生をプロフェッショナルに生きるというのは、何も失敗しないことではないのだと思う。

よく準備して、

よく見て、

よく楽しむ。

そして、予定外の客がやって来た時には、

ちゃんともてなす。

そんな人になれたらいい。

人生にはこれからも、いろいろなハプニングがやって来るだろう。

仕事のトラブルかもしれない。

誰かの思いがけない一言かもしれない。

自分自身の失敗かもしれない。

あるいは、突然歩き出すラクダかもしれない。

その時、

なんで今なんだ。

ではなく、

お、君が来たか。

と言えるくらいの余裕を持ちたい。

そして、その客に一つ席を用意して、

さて、君が来たことで、今日は何ができるだろう。

と考えてみる。

まだまだ人生のアマチュアだけれど、

これから少しずつ準備を重ねて、

いつかハプニングが玄関を叩いた時、

困った顔ではなく、

いらっしゃい。ちょうど面白くなってきたところです。

と言える人間になれたらと思う。

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