第44話:昭和の暮らしを支えた 名もなき仕事図鑑『水汲み屋さん──命の水を運んだ人々』(repost)
■昔は、どこに どんなふうに おられたんですか?
あの頃はね、まだ水道なんて町の一部にしか通ってなかったけん、
村のはずれや長屋の一角に「共同井戸」っちゅうのがあったとよ。
朝早うから「カラカラ、ギーコ」と井戸の滑車の音が響いてね、
その音で「ああ、もうみんな起きとるなぁ」ってわかるくらいやった。
水汲み屋さんは、そんな井戸や川から水をくんで、
桶に担い棒を通して、町じゅうに配って回りよったんよ。
まだ暗い夜明け前から、家々をまわる影のような人たちやったね。
■どんなことをしてはったんですか?
朝いちばんの仕事は、まず井戸の底をのぞいて、
水が濁っとらんか、落ち葉が浮いとらんかを確かめると。
それから桶を二つ、天秤棒の両端にぶら下げて、
肩にずっしり担いで運ぶっちゃけど、これがまあ重たい!
ひと桶で二十キロ近くあることもあって、
坂の多い町では、それはもう骨の折れる仕事やったよ。
けどね、水はどの家でも欠かせん。
炊事、洗いもん、風呂、子どもの飲み水。
「水汲み屋さん、今日はもう一本たのむ!」
そんな声が飛び交う、生活の音のひとつやったね。
■どんな人たちが その仕事を?
多かったのは、年を重ねた男の人や、
体を使うしか生きる道のなかった若者たち。
けどね、ただの力仕事じゃなかったんよ。
「水を汲む」っちゅうのは、町の命をつなぐ仕事やったけん。
常連の家の井戸のクセ、水の減り具合までよう覚えとって、
「お宅の井戸、ちぃと浅なっとりますばい」なんて、
まるで水の医者みたいによう気がつく人たちもおった。
みんな汗だくで働きながらも、どこか誇りを持っとったね。
「今日も町を潤した」っちゅう顔しとった。
■その仕事、どうして 見かけんようになったんですか?
戦後になって、水道管があっという間に整備されてね。
蛇口をひねれば水が出るようになってからは、
水汲み屋さんの姿は、少しずつ消えていったとよ。
それでも、昔を知る人らは、
「あの人たちがおらんかったら、あの時代は生きていけんかった」
って、今でもよう覚えとる。
便利になったけど、水のありがたさを感じる心は、
あの人たちが教えてくれた気がするねぇ。
■最後にひと言、もらえますか?
水は、ただの液体やなかとよ。
それは人の手で運ばれ、人の思いで分けられたもんやった。
今、蛇口から水が出るたびに、
私はあの「ギーコ、ギーコ」という井戸の音を思い出すとよ。
あの音の向こうには、黙って町を支えた人たちの背中があったけんね。
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