たまに書く不思議なアレ。亥の子。AIさんに聞いてみた。
この動画は大人が同行してますな……。
瀬戸内海地方には「亥の子」という行事?があります。
ありますなのか、残っています、なのかは分かりませんが……。
ご存知ない方が多いと思いますので、簡単に説明しますと……。
1.11月の亥の日の夜に
2.子供達だけで(大人は関与しない)
3.亥の子石と呼ばれる石を持って
4.各家をを回って石で地面を突く
5.その際には数え歌を歌う(おめでたい歌詞)
6.報酬として小銭やお菓子を貰う
って行事です。
地面がコンクリの場合は、
「空中戦じゃあ!」
と気合を入れて、石は空中で寸止めします。
何のための行事なの?
亥の子さんって何?
分かりませんでしたが、小銭(お小遣い)が貰えるのですから、参加しないハズがありません。
地域によるのかもですが、参加するのは小学生まで。
中学生になると参加しません。
これも不思議なのですが。
不思議といえば、亥の子さんの数え歌です。
1~10まであるのですが、地域によって微妙に歌詞が違っていたのです。
それこそ町の名前が変われば微妙に違う。
遠ければ遠いほど、歌詞が違っている。
大人になって知ったのですが、四国には、亥の子さんの裏歌があり、それは呪いの数え歌だ、ってこと。
ますます亥の子って何?って。
なんで歌詞が狭い地域ごとに変わるの?って。
便利な世の中です。
そうだ! AIさんに聞いてみましょう。
【どうして歌詞が違っているの?】
結論から言うと――
亥の子は「文字で固定されなかった、口承文化の典型」だからです。
亥の子は、
神社主導でもなく
行政主導でもなく
正式な歌詞集もなく
子どもから子どもへ、口で伝えられてきた行事です。
つまり
「去年、上の学年が歌っていたのを聞いて覚える」
これが唯一の伝達経路。
だから子どもは自然に、聞き取れなかった部分を、自分なりに“意味が通る音”に置き換える
これを誤りではなく、補完として行います。
また数え歌は、
リズム優先
意味は二の次
音が合えば成立
で、変化に強いのが特徴です。
なるほど……。
同じ町内 → 同じ学区 → 同じ歌
学区が変わる → 少し違う
町が変わる → 明確に違う
これがその理由ですか。
更に、大人は関与しない、というのも大きいのでしょうね。
だって、「その歌詞、違うよ」って直す存在がいませんから。
更に更に、
亥の子さんは、
子どもの行事であり、
豊作祈願であり、
歌詞の正確さより「回ること」が大事だった。
亥の子は、
正解のないまま、
「子供の口を渡り歩いた行事」
だった、ってことなんでしょう。
にしても、亥の子さんって一体なに?
聞いてみました。
亥の子とは何か(正体)
一言で言えば、
稲作社会における「土地を起こし直す呪的行為」
です。
■地面を突く意味(亥の子石)
石で地を突く行為は、
土を起こす
眠る命を呼び覚ます
悪いものを祓う
という極めて古い呪術的動作です。
これは、
田打ち
地鎮
鍬入れ
と同系統。
「今年も頼むぞ、土地」
と身体で言っている。
■ なぜ子供なのか
子供は、
未分化
境界に近い存在
生と死の間にある存在
と考えられてきました。
だから、
神事
予祝
呪
に使われる。
純粋だからではありません。
世界の境界に立つ存在だからです。
なるほど……。
どんなに歌詞が違っても、
石で地を突く
動作だけは変わらない。
これが核心のようですね。
言葉より古い
理屈より先
意味づけ以前の動作
言葉は周縁、
動作が本体。
だから歌詞が違うことは問題ではなかった。
意味が分からなくても、子供達が石で、土地を突き続けることが大切だった。
亥の子とは、人が土地と折り合いをつけるための、いちばん素朴で、いちばん古い方法、儀式。
私は、「意味が消え、形だけが残った状態」に違和感を覚えた、って事なのでしょうね。
だけど、大事なのは意味ではなく、形の方だった。
「その発言の意図は?」
って言う人が嫌われるわけだ😅
亥の子さんは、
神社祭礼に吸収され
秋祭り
新嘗祭
田打ち行事
に変化したり、
来訪神系の
なまはげ
アマメハギ
鬼夜
カセドリ
に変化していったそうです。
本当に古い古い原始的な儀式だったんですね。
最後に四国の話を。
「裏歌」「影歌」「返し歌」
と呼ばれるものは、
亥の子が本来もっていた
祝福と呪いの両義性
を、そのまま残した痕跡、らしいです。
亥の子は表向きには、
豊作祈願
子どもの行事
お菓子や小銭をもらう
という可愛らしい顔をしています。
しかし構造を見ると、
夜に
集団で
石を突きながら
家々を回る
これは本来、
家を祝福する力=祝福しない力
を同時に持っています。
表歌:
「千年万年栄えますように」
「蔵が立つ」「米が増える」
裏歌:
「屋根が落ちる」
「家が傾く」
「病が入る」
「火が出る」
大人がこれをやれば、
脅迫
呪詛
不吉
になります。
しかし子どもがやると、
冗談
風習
そういうもの
になる。
つまり、
社会が許容するギリギリの場所
に、亥の子は置かれている。
裏歌は、
人を不幸にするため
ではなく
行事を行事として成立させるための、存在。
祝福だけでは、行事は弱い。
拒否された場合の「緊張」があるから、
もてなす↔ もてなされない
という関係が意味を持つ。
そういう事のようです。
なんだか調べて良かった。
だって、呪いって怖いイメージですが、ちゃんと行事をやれ、って脅しな訳でしょ。
優しいじゃないですか。
各地に残る呪い的なのも、本来は、ちゃんとやろうぜ、が始まりなのかもですね。
な~んだ。
「正解」なんて分からなくても、
「正解」どころか、
もはや「答合わせ」すら出来なくなってても、
世の中まわってるじゃん。
なんだか嬉しくなりました。
