【第三十弾】その1:学校では「毎日宿題をやる」社会では「小さな努力を続ける」
コロナ禍で,学力は下がりました。
でも,同じ環境でも伸びた子どもたちがいました。
その違いは,「才能」ではなく「学び方」でした。
教育研究では,コロナ禍でも学力を
維持・向上させた子どもたちの存在が
確認されています。
彼らに共通していたのは、
高い才能や特別な環境ではなく,
「学び続ける習慣」を持っていたことでした。
これは社会でも同じです。
変化の激しい時代に評価される人は,
一度の成果ではなく,
小さな努力を積み重ねられる人です。
まず最初の特徴は,続ける力にあります。
今回から連続5回「学校では〇〇,社会では△△」と
タイトルでお送りします。
① 学校では「毎日宿題をやる」社会では「小さな努力を続ける」
最近の教育現場で感じることがある。
子どもたちが主体的に動く場面が,
目に見えて減っている。
かつてなら自分で手を動かしていたような場面でも,
指示を待つ。声をかけられなければ動かない。
精神的な成熟という点でも,
同様の停滞が現場には漂っている。
こうした変化は,一校だけの話ではない。
文部科学省が実施した
全国学力・学習状況調査の経年変化分析調査(2025年公表)では,
2021年度と比較して2024年度は,小中学校ともに
多くの教科で学力スコアが低下していることが明らかになった。
さらに,経済的背景が低い層ほど低下幅が大きく,
学習環境の格差が結果の格差に直結している実態も判明している。
では,宿題という切り口から現場を見てみよう。
「宿題」と聞いて,皆さんは何を思い出すだろうか。
提出日が近づいてから慌てて取り組んだ記憶があるかもしれない。
あるいは,毎日コツコツとこなしていたという人もいるだろう。
いずれにせよ,宿題は「やるものだ」という前提が,かつてはあった。
ところが今,ある中学校の実情はこうだ。
宿題に取り組んでくる生徒は,クラスのおよそ5分の1。
残りの大半は,提出しない。なかには,宿題の存在そのものを
意識から手放している生徒もいる。
教材を持ち帰らないのではなく,出された瞬間に重要性を感じず,
そのまま忘れているのかもしれない。
宿題を課す側も,内容や形式を工夫し続けてはいる。
だが,それでも届かない現実がある。
🌟ここで,静かな格差が生まれる。
宿題に取り組んだ生徒と,そうでない生徒との間には,
1日ごとに小さな差が積み重なっていく。
1日の差は,たしかに大したことではない。
しかし,それが毎日続けば,半年後・1年後には
無視できない学習量の差となる。
恐ろしいのは,その差に気づいている生徒が少ないことだ。
差は静かに,気づかれないまま広がっていく。
東京大学社会科学研究所とベネッセ教育総合研究所の共同研究は,
こうした実態をデータで裏づけている。
学習時間は小学校から中学1年生にかけて増加傾向にあるが,
中学2年生で減少に転じる。
同時期に,勉強が嫌いと答える生徒の割合が初めて半数を超える。
全国規模で,この傾向は一貫している。
しかし同調査によれば,勉強嫌いから好きへと転じる生徒が,
全体の1割程度存在していることも分かっている。
その特徴として挙げられるのは,
「新しいことを知る楽しさ」に動かされる内発的動機づけや,
「進学という目的」が行動の支えとなる同一化動機づけへの移行だ。
外から押しつけられた義務としての学びではなく,
自分の内側から湧き出る理由を持ったとき,人は動き始める。
学びを続けるための条件は,順序がある。
まず 1⃣ 動機を持つこと。
次に,2⃣ 学ぶ時間を日々の中に確保すること。
そして,3⃣ 自分に合った方法を探りながら,途切れさせないこと。
この「途切れさせない」という点こそが,
コロナ禍でも伸びた子どもたちに共通していた姿だった。
量よりも,継続。結果よりも,習慣。
「続けること自体」を当たり前にしていた生徒たちが,
気づいたときには大きなアドバンテージを手にしていたのです。
社会でも同じ。唯一学校と違うのは,
経験の差があり,さらに意欲の高い人がいるということ。
日々の学びを,学びと感じて認知できるのか否か。
それは,あなたがどう生きていきたいのか,という
壮大なビジョンの一部になるのです。
次回は,「自分の苦手を直視出来る人」が,なぜ社会で最も成長するのか,について書きます。
