【第十六弾】 〜学校生活の見える評価は,社会生活では疲れの根本原因に変わる〜
🌟評価がある学校と,評価が曖昧な社会の現実。
学校の成績表を見るとき,
ワクワクしますか?見たくないですか?
社会に出て,しんどさを感じる理由の一つに,
「頑張っているのに,評価されているのか分からない」
という,ふわふわした地に足が付いてない感覚がある。
これは能力の問題ではないのです。
評価が見えにくい環境に置かれていることが一因なのです。
今回は,前回【第十五弾】に書いた一部を掘り下げます。
① 学校の評価は,残酷なほど分かりやすい
学校では評価が形として示される。
テストの点数,順位,提出物等,そして学期ごとの通知表。
良くも悪くも,全体に対する自分の立ち位置がはっきり分かる。
時には傷つく。
嬉しいこともあるが,落ち込むこともある。
それでも「結果」を受け取る経験を,何度も積み重ねる。
学校の先生は成長を信じ,成績を付けることが
大きな責任でもあります。
② 社会の評価は,静かで曖昧だ
社会に出ると,評価は一気に見えなくなる。
点数はつかない。
正解も明示されない。
道を示してくれていた先生はいない。
褒められないからといって,否定されたわけでもない。
評価は,空気のように存在している。
それが想像以上に人を疲れさせている。
③ 評価がないと,人は自分を追い込み始める
特に,真面目な人ほど苦しくなる。
繊細な人ほど,思い込んでしまう。
諦めるという道を進まずに。
「まだ足りないのではないか」
「これで良かったのだろうか」
誰も止めてくれない悩みのサイクルは,
いつの間にか自分を削る方向へ向かってしまう。
④ 学校は,評価と向き合う練習場だった
社会に出て,初めて知ることになる。
振り返ってみると,
学校は評価と付き合う練習の場だったということに。
良い評価に浮かれすぎず,
悪い評価に飲み込まれすぎない。
点数そのものよりも,評価を受け取った後,
どう立て直すか,成長するのかを学んでいたのです。
インプット→アウトプット→フィードバックの繰り返し。
フィードバックからの新たなインプット。
改善・改良のサイクルを,知らずに進めている。
⑤ 大人は,自分で評価軸を作る必要がある
社会では,評価を待つだけでは足りない。
他人に評価されることを,待ってはいけない。
・今週できたこと
・前より少し楽になったこと(慣れたこと)
・続けられていること
こうした小さな基準を,自分で持つ。自分で作る。
それは甘えではなく,
見えない評価の中で生きるための技術なのです。
⑥ 見えない評価の中で,折れないために
学校は,評価が厳しい場所ではない。
評価が「見える」場所なのです。
その経験があるからこそ,
私たちは曖昧な社会でも,何とか立ち続けていられる。
時には折れそうになるけれど,立ち上がれる。
私自身,何度も折れてきました。
それでも今は,また立ち上がれています。
もし今,評価が見えずに苦しんでいるのであれば,
それはあなたが怠けているからではないのです。
ただ,次の段階に立っているだけなのです。
新たな基準を,自分で作る段階へ。
