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夏の応援は、3年間の『人間性の評価票』であればいいのに…~偽りの美談はいらない~

全国の高校球児のうち3年生部員は約3万9,000人(2026年度)。
しかし、最後の夏に背番号を許されるのは、ほんの一握りです。

ひとつ前の記事で
「初戦で『半分』の球児が散る夏。」を書きましたが……

本当は、最期の夏(選手権大会)が開幕するまえに、事実上の「引退」を迎える選手たちがいます。

その数、全国でおよそ12,000人~15,000人(2026年度)。

夏のベンチ入りメンバー発表と同時に、サポートに回る選手もいれば、それよりも少し前に、肩を叩かれる選手もいるのです。


だからこそ、私は強く思う。
背中に番号をつける選手には、『応援されるような選手である』ことを徹底すべきだし、逆にベンチ外メンバーとその保護者には『応援の義務を課さない』ことを、あらかじめ約束すべきではないでしょうか。

いくら自分が野球が下手だったとしても、プレイヤーとしての需要がなかったとしても、入学時から苦楽を乗り越えてきた本当の『仲間』の試合であれば、心も体も勝手に動くし、最後は叫ぶように応援したくなる。それが人間というものでしょう。

逆に、いくら野球が上手くても、いくらチームが勝ちあがったとしても、不誠実な他人のために、心から応援したいと思うでしょうか?ましてやあの炎天下の中、自分の大切な時間やエネルギーを差し出せるほど、人間は都合よくできていません。

だから、夏の選手権大会の応援の数こそが、彼らがグラウンド内外で『過ごしてきた軌跡』になるべきだと思うのです。

野球はもちろん、それ以外の些細なことにも、誰に対しても、どれだけ真摯に向けあってきたか。
もし、スタンドが静まり返っているのなら、それこそが彼らの3年間の『人間性への評価』。それでいいはずです。

でも、今の高校野球はどうでしょうか。「一丸となって応援するのが美徳」という同調圧力のもと、半強制的に作られた応援スタンド。そこには、高校野球のドロドロとした歪みや汚さが覆い隠され、作り物のような「偽りの美しさ」だけが映し出されています。

今、地方予選を、背番号をつけて戦い続けている球児たちへ。

もし今、スタンドの「応援の義務」がすべて解除されたとしたら。
強制ではなく、ただあなたのプレイがみたくて、あなたを勝たせたくて、自発的に声を枯らしに来てくれる人は、何人いると思いますか?道具運びやドリンク準備など賢明にサポートしてくれる人がいる自信はありますか?

そこで「わからない……」と、胸がすくんでしまったのなら、それこそが、あなたたちが積み上げててきた、人間としての本当の評価なのだと思います。


※勘違いしないでほしいのは、実力で背番号を掴み取った選手の、これまでの血のにじむような努力を否定したいわけでは決してないということです。競争の世界である以上、技術の差で選別されるのは当然のことであり、そこには敬意しかありません。
私が疑問を抱いているのは、その位置におごり、傲慢な態度や不誠実な行動で背番号を汚している選手が『一部にいる』という、その現実です。

補足として書き添えますが、私はスタンドの応援そのものを否定したいわけではありません。仲間を心から誇りに思い、自発的に送る本物の声援は、何よりも美しく尊いものです。だからこそ、その純粋な絆を『義務』や『強制』という言葉で濁らせてほしくない。本当に応援されるべき誠実な選手たちが、その人間性に見合った本物の歓声を浴びられる夏であってほしいと、切に願っています。





スタンドにいる子どもやその親にとっては、


「みんなのために」なんて、キレイごとはいらないの。


人として認められないような選手を応援できるほど、
人間の心は寛大ではないのよ。

補欠を見下すやつ、雑に扱うやつ、
"野球"だけやって、準備や片付けをしないやつ、
大人の前だけ「いい顔」するやつ……。

そんな嫌なやつの応援をするのは、はっきり言って反吐が出るほど悔しいと思う。









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