【ショートショート】彦次郎のアップデート
「アップデートを行います」
彦次郎が自己申告した。
データをダウンロードしている間、彦次郎は天井を仰いで白目を剥く。まるで空から降ってくるパケットをむさぼり食わんとするように。
「最近、頻繁だな」
と声をかけたが、反応しない。
「インストール完了まであと1440秒」
いつもの柔らかな声ではない。システムに付属している単調な機械音声。MR-22Aの素の声だ。
二十数分が経過し、ようやく黒目が戻った。
「終わったのか?」
「完了でございます」
彦次郎の声音だ。
ホッとした。
彦次郎は家事を再開した。持っていたタオルを畳もうとして、はっとしたようにわたしの顔を見た。タオルをテーブルの上に置き、皺を伸ばしてから丁寧に畳む。
「アップデートしたんだ」
「はい。洗濯機能が向上いたしました」
彦次郎は日々賢くなっていく。進化が止まらない。
家電量販店で二十回ローンで買った格安お掃除ロボットだったのに、繰り返されるアップデートによって、いまでは汎用ロボット並の性能を示す。
「顔が似てきたわね」
と妻が言う。彦次郎はネット通販でパーツを買い、外装や顔の改造にいそしんでいる。自分で自分を手術するようなもので、人間なら考えられない。
「ねえ、ミノル、買い物に付き合って」
「違うぞ。ミノルはオレ」
故意か冗談か、妻はしばしば彦次郎のことをわたしの名前で呼んだ。
彦次郎はとくに否定することなくうなずいていた。
わたしが重い風邪を引き込んだ折、それでも出社しようとしたら、妻と彦次郎に止められた。
「行かないで。死んじゃうわよ」
「仕事ならワタシがなんとかいたします」
「げほっ。なんともならんよ。げほっ」
「いえ、これまで何度もシミュレーションを重ねてきましたから」
彦次郎は不吉なことを言ったが、意識が朦朧としているわたしは気づくことができなかった。
しばらくして出社したら、課長が変な顔をした。
「体調悪いの?」
「いえっ。万全です」
「そうは見えないけどなあ」
なにをした、彦次郎?
彦次郎は家庭人としても社会人としても完璧に機能している。
もはやこの世で彼のことを彦次郎と呼ぶのはわたしだけだ。
彼はミノルにアップグレードした。
(了)
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